【行き違い②(misunderstanding)】
とりあえず襟を広げて肩から外そうと試みたところで、近付き過ぎた僕に気が付いたのかサラの腕が不意に僕の首に巻き付いて来た。
起きてしまったのか!?
僕は手を止めて、サラの出方を待つしかなかった。
絡められた首が下がり、サラの顔に近付く。
酒に酔ったサラの甘い息が、直ぐそこまで来ている僕の唇に掛かる。
おそらく少しでも気を抜けば、それは唇と唇が触れあってしまう距離に違いない。
僕はこれ以上顔が下がらないように首に力を入れる。
サラが嫌いなわけではない。
むしろ僕は誰にも負けないほどサラの事が好きなことは間違いない。
そう、それはあの死んだローランド・シュナイザー中尉よりも。
けれどもサラは将来の大幹部候補生で、僕は1つ階級が上がったと言ってもまだ調査員。
しかもサラはまだ17歳なのに僕はもう27歳だし、モデル並みのサラの容姿に比べて僕は髪の毛の薄いオジサン。
言ってみれはヴィクトル・ユーゴの小説『ノートルダム・ド・パリ』に出て来るエスメラルダとカジモドと言っても過言ではない。
小説の中ではカジモドはエスメラルダを救えなかったが(1回は救ったが、結局エスメラルダは処刑されてしまう)僕には彼女を守り通す強い意志がある。
と言っても、この状況はマズい。
激しく鼓動する心臓の音がサラに聞こえてしまうと思ったけれど、余程眠りが深いのかそのサラは気付く様子もなく目を瞑ったまま動かない。
額に汗が滲む。
この滴が落ちてしまえば、必ずサラは気付くはず……。
汗が鼻を伝って下に移動し始める。
もう絶望的!
サラが起きてしまったらこの状況を、どう説明する!?
サラの魅力的な容姿を見ないように服を脱がせて居たなんて言えば“子ども扱いしないで!”と言われるか、そうでなくてもサラの自信を傷付けてしまうかも知れない。
だからと言って“目隠し変態プレイを楽しんでいた”なんて事も思われたくはない。
舌を伸ばして、鼻の先に到達した汗を舐め取るか?
って言うか、そもそも僕の舌は、鼻の先まで届いたか?
それよりも先に、この距離だと舌を出した時に、サラの唇に先に当たってしまわないか??
困り果てたとき、サラの腕が僕の首から離れ、それと同時に寝返りをうって俯せになってくれた。
“ラッキー‼”
これでジャケットを脱がせやすくなった。
僕はこのチャンスを逃さずに直ぐにジャケットを脱がすと、俯せのサラにシーツを掛けてミッションを成功させた。
サラの着ていたスカートとジャケットをハンガーに吊るし、少し気が引けるけれど僕だけシャワーを浴びにいった。
出会ったときのサラだったなら、もしかしたら一緒にシャワー室に入る事も出来たかも知れない。
でももうサラは子供じゃない。
シャワーを浴び終えたあと、体を拭いてからシャワー室の壁と床も拭いた。
こうしておけば、サラが起きてシャワーを浴びるときに気持ち良いはず。
シャワー室を出るとサラはシーツを被ったまま寝ていた。
まだ17歳。
大人だと思っていても、まだ子供。
子供だと思っていても、もう大人。
いろんな意味で、どっちつかずの難しい年ごろ。
寝顔のおでこに、おやすみのキッスをしたかったけれど、それはレディーに失礼だから、顔を近づけてビズをして自分のベッドに横になる。(※ビズ=フランス式のフェイクキッスで、相手の頬の傍でチュッと音を立てるだけのキッス。主に家族や親しい間柄などで行われる)
ベッドに横になって今日のサラの事を思う。
長崎と広島の慰霊碑へのお参りは、武器を扱う僕たちにとってとても大切なことだとサラは言った。
焼け残った原爆ドームの川に飛び込んで死んでいった人たちの事を思い、サラはまるで自分の家族の事のように落ち込んでいた。
お好み焼き屋や、スポーツバーでは一転して陽気に振舞っていたが、屹度無理をしていたのだろう。
そして僕に伝えたかったんだと思う。
広島と長崎で亡くなった人たちは、この一瞬で人生が大きく反転してしまったのだと。
火傷による激しい痛みに耐えかねて、川に飛び込んで折り重なるように死んでいった人々。
火傷に似た症状が出る“放射線熱傷”は皮膚を構成する細胞が破壊されて壊死を起こすために、いつまでたっても皮膚が再生できなくて長く苦しみ、被ばく量が多ければそれは体全体に広がり体中の皮膚が溶けて肉が剥き出しになり耐えがたい痛みに苦しみながらやがて死んで行く事になる。
放射線熱傷からの死を逃れたとしても、大量の放射能を浴びることによる障害は多い。
格好の的に
徐々に、そして確実に体は放射能によって蝕まれて行く。
広島が人類史上最初で、長崎が人類史上最後の核攻撃による被害にしなければならない。