【平和への願い】
日本での旅行の終盤に僕たちは飛行機で長崎に飛び、それから新幹線で広島に行った。
目的は原爆慰霊碑への参拝。
僕たち武器の開発や販売・運営に携わる者にとって、ここだけは外してはならない道だとサラは言ってくれた。
僕の母国アメリカが犯した日本市民に対する無差別大量虐殺こそ、僕がPOCの理念“好戦的な人間を徹底的に排除する”に感銘を受けたこと。
時期が遅れたとは言え、もう制海権も制空権も失ってしまった当時の日本に使用する武器では無かったはず。
東京裁判や先に降伏したドイツに対するニュールンベルク裁判では“疑わしい”と言うだけで多くの敗戦国の将兵たちが弁護の機会も当たられずに一方的に裁かれている。
そういった経緯もあり日本とドイツは好戦的な人々は罰を受け、戦争をしない、おとなしい国になった。
だけどこの裁判を戦勝国側にも適応できていたなら、その後の世界情勢も大きく変わったことだろうと僕は思う。
今この平和記念碑に手を合わせているサラは、この事実をどの様に受け止めているのだろうか……。
「ゴメンなさい」
お祈りを終えたサラが僕に謝る。
いったい何について謝っているのか分からないので聞くと、この原子爆弾投下は僕が生まれる前のことなのだからあまり気にしないで欲しいと言ってくれた。
サラは純粋に戦争の犠牲者について哀悼のお祈りを捧げていたもので、原爆投下を咎めてはいないと。
アメリカでは原爆によって太平洋戦争が終わり、多くのアメリカ人兵士の命が救われたという意見が多いが僕はそう思わない。
そもそも対ドイツ戦にしても、この対日本戦にしても連合国側は無条件降伏に拘り過ぎて相手との話し合いの機会を持とうとしなかった。
ドイツにはヒトラーと言う絶対的な戦争指導者がいたから難しかったかもしれないが、アメリカ政府は終戦前の1945年5月末の時点で日本政府がソ連を仲介役とする和平交渉から終戦を模索する動きを察知しておきながら当時のアメリカ政府はこれを意図的に無視し続け、結果的に広島と長崎に原爆が投下される結果となった。
僕は多くのアメリカ人と違い、この原爆の投下は決して許されるべきではない愚行……いやジェノサイドだと断言する。
ジェノサイドとは、国民的、人種的、民族的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる行為のことで、当時のアメリカ人には人種差別意識が根強く特に日本人は“猿”だと馬鹿にしていた。
原爆ドームのそばにある川に降りる階段に腰かけて、原爆に対する僕の気持ちをサラに伝えた。
「1945年8月6日午前8時15分、人類史上初めて原子爆弾による大量虐殺が行われた。そしてその爆発や放射能により全身に激しい火傷を負った人たちがこの川に飛び込み、川は重なり合う様に死んでいった人々で埋め尽くされたそうだ。殆どの人が軍人とは違う老人や女性と子供たち。当時広島市の人口が推定35万人だったのに対して、約半数にあたる16万人が被爆から4か月以内に死亡した。このような大虐殺が行われたと言うのに、原爆を投下した爆撃機が帰投したテニアンでは夜中まで盛大なパーティーが催された……」
「どうかしているわ」
「たしかに……。話し合いで解決しようとするグループは日本にもアメリカにも居たことは分かっている。けれども好戦的なグループによってそれが実現する事は無かった。そして好戦的なグループは敵国の戦意喪失目的と称して、都市爆撃と言う民間人をターゲットにした卑怯極まりない手段に出る」
「……」
「結局POCの理念にあるように、好戦的な人間を根絶やしにしない限り、話し合う機会は訪れないから平和も来ない。彼等は戦争という名を借りて、ジェノサイドを楽しんでいるんだ。アメリカ開拓時代に白人がネイティブアメリカンを根絶やしにしようとしたように」
「悲しいね」
「うん」
僕はSISCONの考えを否定していない。
SISCONの掲げる、戦争や紛争の火種となる情報を速やかに察知して適切な対策を施すことも充分に戦争回避には役に立つだろうと思う。
だけど、この世の中に戦争を好む人間が権力を持ち続けている限り、話し合いだけでは戦争は防げない。
一旦火ぶたが切られれば、主導的な立場を握るのは敵味方双方ともに戦争主導者だ。
彼等にとって話し合いは無意味。
ただ勝つこと。
ただ敵を殺す事しか考えていない。
彼等の考えは紀元前から何も進歩していない。
“敵を滅亡させれば、敵は居なくなる”と考えているのだ。
手に持つ武器は変わっても、コイツ等の考え方は何も変わっていない。
「サラ、僕は……」
僕は僕のすべきことが決まり、それをサラに伝えようと思って話し掛けた。
ところがサラは僕の言葉を遮るように言った。
「お好み焼き屋さんに行こうよ!」
「おこのみやき??」
「広島と言えば、お好み焼きとカープだって旅行ガイドに書いてあったわ」
「なにそれ? カープは野球チームだって分かるけれど、お好み焼きってなに?」
「写真で見ると、ピザかスペイン風オムレツのような気がするけれど」
「えっ、サラも知らないの?」
「知らないわよ。日本に来たのは初めてなんだもの」
近くのお好み屋さんに入った。
小麦粉を出汁で溶いたものを熱い鉄板の上に薄く敷き削り節をまぶし、その上にもやしと大量のキャベツを山のように盛り付け、頂上に豚バラ肉と揚げ玉などを乗せまたその上に小麦粉を溶いたものを掛けていた。
鉄板の表面から頂上までの高さは20cm近くにもなるから、これでは当分火が通らないだろうなと思って見ていた。
キャベツの山の隣では麺をソースで焼いていて、こっちのほうが美味しそうだと思っていたら、その上にさっきのキャベツの山を裏返しにして乗せた。
あのキャベツの山が、ひとつとして飛び散ることなく裏返るヘラさばきにサラも僕も感嘆の声を上げて喜んだ。
隣では今度は卵を落として薄く広げ、そこにまたさっき裏返したものをもう一度乗せ、その上にソースをかけて少し妬くと青のりや削り節をまぶして皿に盛られて、作り手の手際の良さに見入っていた僕たちのテーブルの上に届けられた。
目の前の“お好み焼き”を食べる前に、とりあえずビールで乾杯をしてから食す。
初めて食べる“お好み焼き”は、まったくピザやスペイン風オムレツのような味ではなく、特製の少し甘いソースとピリッとするスパイスの辛さや野菜の旨味が閉じ込められた絶品の味!
しかもビールにも驚くほど良く合う。