王家の醜聞1
本来なら、幼少期または少年期で婚約者が決定しているはずの王太子なのだが、これには事情があった。
それが今回の結婚相手を決める夜会へと繋がっており、これは王太子がどうと言うよりも、曾祖父である先々代国王の問題であった。
今から七十年前に起こった婚約破棄のツケが今も尾を引いていたのである。
当時の王太子が婚約者に冤罪を被せた上で婚約破棄を夜会で宣言した事が始まりであった。
しかも、その場で新たな婚約者として男爵家の令嬢を紹介したのだ。秘密の恋人を妻にしたいがための王太子の暴挙。婚約者の冤罪は後日晴れたが、今まで通りに婚約継続は出来なかった。夜会には各国の外交官が大勢参加しており、王太子の新たな婚約者の存在を国元に報告されていたからである。
それが無くとも、大勢の前での非常識な振る舞いを曝した王太子に、これ以上余計な事をしてほしくない王家の心情が多分に含まれていた。何しろ、この婚約破棄の件は近隣諸国においては笑いの種になっていたのである。王家としても恥を更にさらすことは出来なかった。仕方なく、男爵令嬢との結婚を王家は認めたのである。
王国中の貴族が反対する中での結婚であったが、意外な事に、その結婚を後押ししたのが婚約破棄を言い渡された令嬢であった。
彼女は公爵令嬢であり、王族が一度言い渡したことを撤回するなど許されないと言って周りを説得したのだ。
その後、公爵令嬢は隣国の皇太子妃になり、後に“賢妃”として諸外国に名をとどろかす事となった。
多少のいざこざはあったものの最終的には丸く収まった感じで、めでたしめでたしになるはずであった。
それが、そうならなかったのは王太子妃となった男爵令嬢に子供が誕生した時。
王太子が一目惚れした美貌の王太子妃の子供とは思えない醜い男児が生まれたのである。因みに、王太子も並み以上の美男子であり、両親に全く似ていない王子の誕生に、一体誰の子供なのか、王太子妃の不義の子か、と王宮中が騒然となった。
真相は直ぐに分かった。誕生した王子は紛れもなく王太子の子供であった。王太子妃の不義などはなかった。なら、何故これほどまでも醜いのかというと、その王子は王太子妃に瓜二つであったのだ。
美貌の王太子妃に瓜二つとはどういうことかというと、王太子妃は整形していたのである。王国や周辺国では馴染みのない「美容整形」を他国で行っていたのだ。
王太子妃の父親は外交官として各国を飛び回っており、その過程で、「美容整形」の盛んな国で治療を行ったという事が発覚したのである。
幼少の頃からの海外暮らしであった王太子妃の顔は、今の今まで「整形」と知られずにいた。子供の頃の顔を知る人もいたが、成長して美しくなったのであろうという認識であったし、東方の国を詳しく知らない人にとっては「整形」という技術すら知ることはなかったのである。
王太子が惚れ込んだ美貌は作られたものであった。




