プロローグ
夜の闇が深くなる頃だからか、私の早い足音は街によく響いた。
城下町から壁にかけての市場は昼の騒音と屋台を置き去りにして、残ったのは重厚な石畳と一つの噴水だった。そこにはいつもと同じメンバーが集まっていた。
「今日は何か盗めたのか?」
メンバーの一人のシンが聞いてくる。その虚ろな目と震えた男思えない華奢な腕に対し、私は顔を縦に振れない。が、横にも振れない。私はただ静寂の街に取り残された枯れた噴水を見ていた。
「そっか」
シンは多くを語らない。察しのいい男であったが故、私は正直嫌いだった。まるで何もかもを見通すようなその言動は、そこらの大人にも生意気に見えたのだ。私に向けた必死の笑顔も、すぐに疲労に満ちた酷い顔に変わってしまった。
狡猾とはお世辞にも言えないような誠実な男だ。そんな男でも飢えにも寒さにも勝てるわけじゃないようだ。そんなボロボロな彼を見ると、1ヶ月でこうなったのならまだ1週間の私はどうなるのかと想像してしまう。だから私は彼を見るのが苦痛なのだ。
シンは傍らに眠るタンとコスをボロボロの布で必死に温めてやろうとする。華奢で体温の低いシンはどうしても彼らを暖めきれないのだ。彼は更に優しく、だが確かに強い力で彼らを温めようとする。
他のメンバーも、私が持ってきた飯を目当てにここに居たようだ。それにガッカリした何人かは既にこの広場から消え、風をしのげる路地にはけてしまった。
だが、私は盗みの才能はあった。何も盗めずにここにくるもんか。ただ一冊の本を持って、ここにやってきた。聡明なタンならこの本の運用方法がわかると踏んでいたのだ。
「ダメだよ。もう、深く寝ているんだ」
心を読むのかこいつは。私は少し不満そうな表情を浮かべそうになり、すぐにやめようと思った。そのまま三兄弟は全員眠りについた。
私は背中と服で隠した本を取り出す。サイズは私の背中をまるまる覆うくらいで、文字はミミズが這ってるようで縦書きに書かれていた。カバーは皮でなく、朱色に染めた紙を内容のページを挟むようにし、ただの糸で締められている。
息を飲んで開いてみる。見たことの無い文字に、圧倒されているのだ。開いてもそこにはずらっと文字が並んでいる。何が書いてあるのかも分からない。パラパラとページを捲っても、頭が痛くなるだけだった。
ただひとつのページで止まったとき、ビビッときた。そうビビっだ。感覚的、本能的にそれが確実に何かを必ず変えるだろうという予感を起こした。それは1ページ丸々に描かれた、陣のようであった。
人類が使う魔法の陣のようなそれを、この市場の真ん中にチョークで書き写した。陣は一文字の狂いなく完璧に完成した。そして私は唱えず待った。何故か。文字を知らないからだ。ただ陣を書けばどうにかなるかもしれない。どうにもならないなら売ればいい。どうにかなって欲しい。ただその一心であった。
しばらくして私は眠ってしまっていたようだった。朝日が昇りはじめ、チョークはその日の明かりに対し青白い光を持って答えている。
その時その青白い光は白光となって街を包む。その光は正しく正義の行進である。愚鈍の具現である。このような修飾をする理由は今ここに現れる男にある。
あの文型に書かれた言葉は後にわかった。それはこう書かれていたらしい。
独善の正義
正義を多く語る人は結構な確率で独善的だ。
そしてその独善的な人間ほど、根本がねじ曲がった人間が多い。だが、それは我々が見た観点である。それが真実だとは限らない。
ならば我々はどうなのだ。正義を語り守りたいものを心の芯に置いた者は少なくはなく、そういう者たちは愚かであったが、そのまま命を燃やし真っ直ぐに突き進み続けた。
多分もうここに悪意の堰を切る必要はない。留めなく降り注ぐ悪意の雨は片方の根絶で初めて止むのだろう。
これを見た君へ。これは正義の行進である。これは愚鈍の具現である。正しくこれを持つものへ。君は仲間を作ったのではない。狂犬の首輪と縄を任されたのだ。またその手綱を握るものは多いだろう。戦争は既に始まっている。
悠然にたつ男がその広場の真ん中にいた。緑と茶色の迷彩の軍帽を浅く被り、蘭服を緩く着こなし、そのうちからは真っ白のカッターシャツを覗かせている。腰に日本の刀身の長さの異なる刀をたずさえている。18歳のような容貌にたいし、大地を揺らすほどの魔力の流動を感じる。息を飲む。
「異説転移により参った。名を出島勇。今より俺は貴方に下る。これよりこの説にて、正義の行進を行う」