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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悪役令嬢もの短編

悔しいとカッパ口になる婚約者に僕は恋をしている

作者: 山納言

 

「カミュ様!」


 元気な声に呼ばれ、僕は振り返った。


「おはようございます!」

「おはよう」

「今日はよく晴れて絶好の登校日和ですわね!」

「そうだね」


 王立学園の校門から玄関までの道のり。

 小走りで横に並び立ってきた彼女とともにする。

 その横顔は朝の日差しよりも眩しく感じられてならない。


 彼女の名はリィナ・レーヴァン。

 僕――カミュ・クラシックの婚約者だ。


 猫のような癖っ毛と、愛嬌のある顔立ち。

 細くもなく太くもない体型は平均的な頭身をしている。

 人をして「どちらかといえば可愛い」と評価される容姿は、その言葉どおりに平均よりやや上といったところだろうか。

 いわゆる美少女と呼ばれる部類には属さないそうだ。


「あっ、ロゼッタ様だわ! ロゼッタ様ぁ〜!」


 教室に入るなり、リィナははしゃぐようにしてロゼッタ嬢のもとへと駆け寄った。

 その姿はまさしく忠犬のごとく。

 公爵令嬢ロゼッタ・ミズガルドはリィナの憧れの存在であり、目にするたびに追いかけるというのだから、やはり忠犬と呼ぶのが相応しいだろう。

 ぶんぶんと振られている尻尾がそのお尻に幻視されてならない。


 そんなリィナを人は取り巻き令嬢と呼ぶ。

 我が国――ランバル王国の妖精姫と名高いロゼッタ嬢にはべり、媚を売っているという悪いほうの意味で。


 授業前の教室の中。

 ロゼッタ嬢の周りにはリィナ以外にも数名の取り巻き令嬢がいる。

 皆、ロゼッタ嬢よりも家格が劣り、容姿や能力においても劣るものたちだ。

 己の社会的地位を安定させるためか、家同士の結びつきの強化を目論んでか。

 なんにせよ、大体の取り巻き令嬢は打算ありきでその場所に陣取っていることは間違いない。


 ところが、ことリィナに関していえば話は別だ。

 彼女はただ純粋にロゼッタ嬢を慕っているのだから。


 寝ても覚めてもロゼッタロゼッタ。

 「いつかロゼッタ様のような淑女の鑑になりたい」とはリィナが常々口にしている言葉だ。


 だが、およそ夢にも似たその目標は陰で皆から馬鹿にされている。

 率直に「分を弁えろ」と。


 ロゼッタ嬢は公爵令嬢、リィナは子爵令嬢。

 ロゼッタ嬢は妖精姫と呼ばれるほどの美貌を、リィナは「どちらかといえば可愛い」どまりの美貌を。

 家格や容姿以外にも、頭脳や立ち振る舞いなどのすべてにおいて、両者には明確な優劣の差が見受けられる。

 それゆえリィナは、同世代の子たちから格好の嘲笑の的にされているというわけだ。


「はい、皆さん。席についてください。授業を始めますよ」


 談笑していた生徒たちが各々の席に戻る。

 初老の教師が壇上に立ち、歴史の教科書を読みあげながら黒板に文字を連ねていく。

 僕から少し離れた位置、右手前方にいるリィナ。

 彼女はその板書を、後ろ姿でも一生懸命だとわかる忙しない動きで写していた。


 夢を追う姿は素敵だ。

 僕はリィナを見てそう思う。

 なんて素敵なのだろうかと、そう思わずにはいられない。


「え〜、ではこの人物の名称を……リィナさん、お願いできますか?」

「はい! 答えはバルザックだと思います!」

「違いますね。バルザックではなく、バルディーナが正解です」

「す、すみません……」


 答えを間違えたリィナは恥ずかしそうに顔をうつむけている。

 そんな彼女に、少なくない女子たちが小馬鹿にしたような目を向けていた。

 ほんの小さな失笑も漏れつつ、授業は続けられていく。


 肌にまとわりつくような、生温い不快感を覚えさせられる教室の空気。

 僕は頬杖をつき、窓の外をぼんやりと眺める。

 あの日を思い起こさせる、よく晴れた空が目に映った。


 いまから七年前のあの日。

 リィナの家の庭先にて、僕は彼女と初めて出会った。


 代々宰相を務めているクラシック侯爵家と、母の親友の嫁ぎ先であるレーヴァン子爵家。

 僕の母と、母の親友による「お互いの子供をくっつけちゃおう計画」によって、僕とリィナは婚約することになったのだ。

 両家の父もまた、特に反対するわけでもなかったため、その計画は滞りなく実行された。


『初めまして、リィナ・レーヴァンと申しますわ』


 ませた女の子だな。

 それが僕がリィナに抱いた第一印象だ。

 誰かの仕草を真似たようで真似しきれていない、さも大人ぶったような背伸びした挨拶は、単純に面白いと思えるものであった。


 しかしながら、恋に落ちることはないだろう。

 それが僕がリィナに抱いた第二印象だ。

 僕自身、別に面食いというわけでもないと思うが、リィナを見て一目惚れをするようなことはなかった。

 普通に、本当にただ普通に女の子を紹介されただけといった感じだ。


 だが結果として、僕はリィナに惹かれるものがあった。

 なにを隠そう、それこそがカッパ口である。


『では我が家の庭をご案内しますわ』

『はい』

『まず、これがペレネの花ですわ。ペレネの花は眠りを誘う香りを発しますので、長時間かいでしまうと眠ってしまいますのよ』

『いや、これはペモンネの花ですね。効能は眠気覚ましであって、眠りを誘う香りは発しませんよ』


 母同士の計らいで、二人きりにされた散歩中。

 花壇の前に立ち、間違った知識を得意げに披露するリィナを、僕がなんの悪気もなく指摘した、そのときだ。


『むぅ……!』


 リィナはカッパ口をしたのだ。

 眉をひそめて目を見開き、悔しそうな表情でもってカッパ口をしてみせたのである。


 そもそもカッパ口とはなんぞや。

 そう疑問に思うものも多いだろう。

 カッパ口とは、伝承にあるカッパという名の妖怪、それに似た口の形を意味している。

 具体的に説明すると、上唇で下唇を覆い隠すようについばみ、鼻の下を伸ばすような形になってしまう口もとのことだ。


 あのとき、初めてカッパ口をする女の子を見た衝撃はけっして忘れられない。

 こんなに可愛い生き物がこの世に存在するのかと、鈍器を頭に叩きつけられたかのような凄まじい衝撃。

 口から思わず「おぉ……」という感嘆を漏らしてしまうくらい、僕はリィナのカッパ口に一瞬にして虜にされてしまったのであった。


「え〜、ではこのルマンザ戦争が起こった理由を……カミュ君、お願いできますか?」

「はい。ルマンザと呼ばれる奇跡の力をもつ聖杯を巡り、王位継承権を有する二人の兄弟が争ったからです。また、当初は単なる王位継承権争いとされていましたが、背景にはアルファネス教会による大陸統一の野望があったことが、近年見つかったダンテペグロ白書によって明らかになりました。ただし、そのダンテペグロ白書は原本ではない複写品であり、アルファネス教会関係者の手によって内容が改ざんされた事実も発覚しているため、真偽を定かにすべく検証が進められている最中です。なお、その結果についてはすでに当家で――」

「はい、ありがとうございます。よそ見していると思って答えさせて申し訳ありませんでした」

「いえ」

「それと、あとでこっそり真偽のほどを教えてくれると非常に嬉しいです」

「わかりました」


 一息つき、再び窓の外に目をやる。

 目を離していた隙に流れてきていた雲が、左から右へと空をゆっくり流れていく。

 こちらに向けられているクラスメイトたちからの好奇の視線を努めて無視し、また頭をぼんやりとさせる。

 今日は本当に良い天気だ。


 婚約を結んでから、僕とリィナは度々会うようになる。

 悔しいと彼女はカッパ口をするのだと判明したのは間もないこと。

 なにか失敗するたび、カッパ口をしてぷるぷると震えていたものだから、もはや改めて誰かに聞くまでもなかった。


 覚えなおしたはずの花の知識がまだ間違っていて、カッパ口。

 デート中に石につまずいて転んで、カッパ口。

 カフェに食べにいった目当てのデザートが売り切れていて、カッパ口。

 頑張ったのにも関わらずテストの結果が振るわずに、カッパ口。

 ロゼッタ嬢が婚約者であるルーク殿下から蔑ろにされて、カッパ口。

 ルーク殿下が男爵家のネネ嬢とイチャイチャしてて、カッパ口。


 ともあれ、僕がリィナを好きになった理由は、カッパ口だけではない。

 もちろんカッパ口がきっかけであることは否定できないが、さすがにそれだけで彼女を好きになりはしない。

 

 僕がリィナを好きになった一番の理由。

 それは、彼女がひたむきに夢を追う姿に心を打たれたからだ。


 リィナには、淑女の鑑のようなレディになる、という夢がある。

 それこそ、彼女の慕うロゼッタ嬢のようなレディになるのが将来の夢だそうだ。

 淑やかにも聡明で美しい、社交界の華と呼ばれるような存在になるのが、リィナが幼いころから抱いてきた夢なのである。


 もっとも、その夢はまず間違いなく叶わない。

 これはリィナを馬鹿にしているわけではなく、彼女を客観的に分析したうえでの結論である。

 容姿、能力、家格などなど。

 贔屓目を抜きにリィナという人間を見たときに、彼女が社交界の華になることができる可能性は残念ながら皆無でしかない。

 直接確認したわけではないものの、実際のところ、当の本人もそれは重々承知しているように思われる。


 だがしかし。

 それでもリィナは夢を追うことを諦めていない。

 叶わないとわかっていても、己の夢のために日々努力しているのだ。

 身の丈に合っていない夢をひたむきに追いかけているのであった。


 まるで太陽のようだと、僕はリィナに心を惹かれずにはいられない。

 遺伝によって与えられた才能のうえに胡坐をかき、努力を知らない僕にとってリィナの姿は太陽のごとく眩しく感じられた。

 また、どうにかして手に入れたいとも、光に誘われる羽虫のように彼女を強く求めずにもいられないでいる。

 身を焦がすような恋に溺れ、いまなお夢中にならずにはいられないでいる。


「カミュ。なにをぼけっとしている?」

「ほらほら、カミュ君。早く生徒会室に行こ?」


 いつの間に授業が終わっていたのか。

 すぐそばにルーク殿下とネネ嬢が立っていた。

 先立って歩いていく彼らのあとに続き、昼食時を過ごす生徒会室へと向かう。

 現在十八歳、学園を卒業する三年生となったいま、ルーク殿下は生徒会長を務めており、僕は書記を務めている。


「おう。お前ら、遅かったな」

「殿下、ネネ。私たちは先にいただいてますよ」

「皆ずる〜い! もう、なんで待っててくれなかったの!?」

「あはは、ネネちゃんが怒ってる」

「なにかといえばずるいずるい。本当、ネネ君は子供みたいだね」

「そうやってまた私のこと馬鹿にして! 知らないんだからね!」


 生徒会室に入り、ほかの四名の役員たちと時間をともにする。

 ネネ嬢以外は男子生徒であり、彼女以外は生徒会の正式な役員である。

 ネネ嬢はルーク殿下のお気に入りであるため、一般生徒にも関わらず生徒会室への入室を特別に許可されているのであった。


 見目麗しい役員たちに囲まれ、ネネ嬢がきゃっきゃと楽しそうにしている。

 ピンク色の髪が目立つ、庇護欲をそそる可愛らしい見た目は、彼らには大層ウケがいいようだ。

 窓際の席に座り、一輪の花を囲んだ談笑からは距離を置いて窓の外を眺める。

 よく晴れた空の青色が心を癒してくれる。


 唐突ではあるが、僕ことカミュ・クラシックは天才だ。

 どれぐらい天才なのかというと、四歳で母国語を完全に理解し、七歳で剣聖や宮廷魔術師長顔負けの実力を身につけ、十歳で一財を単独で築き上げたほどの天才である。

 十三歳の時点で、とある小国を間接的に支配下に置いていたくらいの本物の天才だ。


 ただし。

 それでもクラシック侯爵家の歴代当主に比べると、僕は平々凡々なレベルの天才でしかなかった。


 生まれて己の才に気づいてからというもの、僕は遊び心からすべての能力を隠してきた。

 いつかのある日に突然、皆にすべてを打ち明けて心底驚かせてやろうと子供心に企んだのだ。

 誰にもばれないように正体をひた隠しにしつつ、秘密裏にあらゆる偉業を成し遂げてきたのであった。


 そうして僕が十五歳を迎えたとき。

 まずは当主である父から驚かせてやろうとすべてを伝えたとき、父から返ってきた言葉は「凡だな」という一言であった。


 それと同時に投げて寄越された本には、歴代当主の輝かしい経歴が書き連ねられており、僕は己の身のほどを思い知らさせられたというわけだ。

 わずか五歳の身で大帝国を建国した初代当主とか、もはや人外の域に達しているとしか言えないだろう。

 変身・分身・転移・洗脳の4ステップによる効率的建国など、控えて目に言って化け物以外の何者でもない。


「ねぇねぇ。ぼんやりと外を見て、カミュ君はなにを考えてるのかな?」

「なんでもないよ。ああ、僕はちょっと用があるからこれで失礼するね」


 ネネ嬢が僕の肩を人差し指でつつきながら、上目遣いで話しかけてくる。

 これはルーク殿下を始めとする生徒会役員たちの大好物な仕草だ。

 ルーク殿下からの嫉妬の目線を感じつつ、僕はそれにまったく気づいていないふりをして生徒会室をあとにした。


 独り歩く廊下で、コツコツという音が静寂の中に響く。

 周りに人影はない。

 昼休みの生徒たちがもたらす喧騒は遥か遠くのものに感じられる。


「カミュ様。準備が整いましたのでご報告にあがりました」

「そう」


 宙から届いた声に一言、歩みをとめずに返す。

 物陰にほんの少しの気配を残し、声の主はすっと姿を消した。

 ふいに破られた静寂はもとの静けさを取り戻し、穏やかな時を刻んでいく。


 また唐突ではあるが、僕ことカミュ・クラシックは傲慢だ。

 この手の平のうえで、リィナと父以外のすべてを転がせられると本気で信じている。

 そのためならこの手を汚すことを少しも躊躇しないくらい、僕はひどく傲慢で身勝手だ。


 例えば、己の婚約者の憧れが地に堕とされることを許さない。

 例えば、卒業パーティーの場で己の婚約者を断罪しようと企てている級友を事前に処分することを躊躇しない。

 例えば、彼に同意を示すほかの級友たちも、皆まとめて地獄に叩き落すことを苦に思わない。

 例えば、見るも可愛らしい令嬢に、炭鉱労働者の娼婦という過酷な職業をあてがうことに罪悪感を覚えない。

 例えば、彼女の日記に書かれていた、「ルークメインの逆ハーレムエンディング」という名の正史とやらをねじまげることを気にもとめない。

 例えば、それらすべてを正当な手順を踏むわけではなく裏で、純粋かつ強大な武力の行使をちらつかせた脅迫によって推し進めることになんの疑問も抱かなかった。


「あっ、いらっしゃいましたわ! カミュ様ぁ〜!」


 廊下の遠く先、きょろきょろと忙しなく辺りを見回していたリィナが、僕を見つけて小走りに駆け寄ってくる。

 その手に、僕の大好きな彼女お手製のクッキーが入ったバスケットを携えて。

 小走りといえども、廊下を走るという行為が淑女にあるまじきことを知ってか知らずか、嬉しそうに駆け寄ってきてくれている。

 その顔に、僕以外の誰にも見せたくない可愛い笑みを浮かべて。


 そう、僕はひどく傲慢だ。

 あくまでも自分の都合のいいようにだけ、婚約者を庇ったり庇わなかったりする。

 

 それでも、リィナに恋をしているこの気持ちに嘘偽りはないと思う。

 彼女のためならこの命でさえ惜しくない。

 心からそう思ってならないのだから。


お読みいただきありがとうございました!

※クラシック家の初代当主は日本出身のイキり転生者です!

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