エピローグ
「優一さん、まだ残っていたんですか?」
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。机に残ったよだれをテッシュで拭き取り、ゴミ箱へ捨てる。
声を掛けてきたのは俺よりも8歳下の青年。未だ着慣れない白衣によって初々しい研修医姿が爽やかな印象を受ける。
「なんだ、今井か」
彼は俺の後輩にあたる。何故だか俺に懐いてしまい事あるごとに俺のところに顔を出す。
「優一さん何日家に帰ってないんですか?」
「大丈夫、風呂は入ってるし着替えも病院にストックしてるから」
「そうじゃなくて。ちゃんと自分の家に帰って休まないと体壊しますって事です」
「大丈夫だよ。俺にはこれがある」
机の引き出しからチェーンが付いたダイヤルロック式の鍵を取り出す。
「なんですか?これ」
「これは“呪いのアイテム“。俺はこれをもらった時から死ぬ事が出来なくなったんだ」
今井は呆れた様子で俺を見る。
「大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫だよ!昔ある女の子に貰ったんだ。まぁ、その子がきっかけでまた医療の道を進むことを決めたんだけどね」
「そうだったんですね。なんかすみません」
今井は少し申し訳なさそうに頭をかく。
「そろそろ帰るわ」
重い腰を上げると椅子がすっかり俺のお尻の形になっていた。
「そういえば明日希望休でしたね!どこか行くんですか?」
「あぁ、さっき話した子のところに挨拶にね」
「お!まだ話続いてたんですね!俺も今度会ってみたいなぁ」
「そうだな。今度会わせてやるよ」
じゃあ、と今井に手を振り部屋を出る。
病院の外は少しまだ寒気が残っているようで息が白くなった。
家に帰り、着替えを済ませ、出発しようとした時には朝日が顔を出した。眩しさに目を細めながら車を走らせる。
彼女がいる場所は車で小一時間くらい走らせたところ。少し高台になっており、街が見下ろせる場所だ。
昨夜のうちに買っていた花を車から取り出して彼女の元へ向かう。花屋が近くにあるのは病院勤務にとっては利点だなぁ、などと思いながら長い階段を登る。彼女がいる場所は一番上。まぁ彼女らしい場所どりだなと思っている。
と、考え事をしていたらたどり着いた。
「約束通り、今年も会いにきたよ」
まだ誰も来ていないらしい空っぽの花立に花を飾る。
「俺はまだ、頑張ってるから」
線香の煙があたりを包み込むように漂う。
「春香の分までちゃんと生きるから」
頬を撫でる風に花の香りがした。
今年の春は、なんだか暖かく感じた。