死にたい僕と生きたい彼女5
あれから春香は何事もなかったように過ごしている。
何か病気をしているのではないか。あの大量の薬は何なのか。疑問ばかりが頭の中に溢れてくる。
肝心の春香も僕の心配を察したようで「あの薬は痛み止めだから大丈夫」と、何が大丈夫なのか訳の分からない説明をした。その説明で納得できるほど馬鹿じゃない僕は益々心配することとなる。
あの日以来春香は隠す様子なく大量の薬を飲むようになった。それも毎食後だ。
その様子を見せられて平気でいられるほど僕の神経は図太くない。
「どこか痛くない?」
「具合悪くない?」
「気持ち悪くない?」
という僕の心配の言葉に嫌気がさしたのか春香が言う。
「うるさいなぁ、もぅ!大丈夫なんだってば!」
まるで反抗期のような物言い。実際春香の年くらいなら反抗期だとしても不思議はないか。
「そっちこそ大丈夫なの?今夜からやるんでしょ?」
「そうだけど」
こんなにも心配しているのは僕が今夜からアルバイトに行くことになっているからだ。
仕事の内容は交通誘導員。いわゆる工事のガードマンてやつだ。電話をしたら人手が足りないから今夜から来てくれという。正直迷ったが賃金即日支給はとても魅力的だった。それに合わなければ辞めればいい。
自分は意外と行動的な人間だったんだと自分自身驚いていた。
そんな余裕も長くは続かなかった。
いよいよ出勤。はじめての労働だ。
家を出た瞬間から不安と緊張で心臓が破裂しそうだ。もし怖い人たちばかりだったらどうしよう。仕事でミスをしてしまったらどうしよう。などと心配事が次々と頭に浮かび恐怖が押し寄せる。それでも職場への歩みを止めなかったのは“春香の為“と自分を鼓舞する理由があったからだと思う。
「おう!お前が優一か?」
いつの間にか職場についていた。入り口に立っていた髭面の初老の男。背は小さいが態度がやたら大きい。
「あ、あの、よろしくお願いします」
「おう!しばらくは僕が教育係として現場に同行するからな!よろしく頼むわ!」
彼は岩田さんと名乗った。岩田さんは仕事に真面目で僕に優しくいろいろ教えてくれた。やる事は単純だ。この仕事なら僕でも余裕で続けられそうだ。
「じゃあちょっとやってみるか。夜だから車はあまり通らないだろうし、お前なら大丈夫だろう」
岩田さんの指示で交通誘導を開始する。
難しいことはなにもない。緊張をしていたのは最初の数台だけだ。それに岩田さんの言う通り夜間の為か車通りはほとんどない。…むしろ暇だ。
そうなると考えてしまうのは春香のことばかりだ。あの薬はなんの薬なんだろう。あんなにも大量の薬を飲む必要があるのだからひどい病気なのだろう。もしかしたら今家で具合を悪くして倒れているかもしれない。僕は早くても朝にしか帰れない。考えすぎか…いや、今日じゃなくても明日具合が悪くなるかもしれない。僕が春香にしてあげられることは何かないだろうか…
突如鳴り響いた甲高いブレーキ音で我に帰った。
考え事で周りが見えていなかった。車二台が向かい合うように停車していた。
「なにやってんだ!危ないだろうが!」
すぐに理解した。僕の誘導ミスで事故が起きるところだったのだと。岩田さんがすぐに運転手に駆け寄り謝罪していた。
僕はただその状況を見ていることしかできなかった。
僕はなんでことをしてしまったんだ…
「後悔」という言葉しかない。
このくらいの仕事なら僕でもできるなんて思ってはいけなかった。
僕は「出来ない」側の人間だったのに。その後、傷心の僕を気遣ってか岩田さんがこまめに休憩をくれた。ひとりでもテキパキと仕事をこなす岩田さんを見て、僕にはこの仕事も合わないかもしれない…そう思った。
長い1日が終わり、上司より給与を渡された。
僕は受け取る資格なんてない。今日仕事をしたのはほとんど岩田さんなのだから。
と、岩田さんが僕の手を取り給与を握らせる。
「これは今日お前が稼いだ金だ。遠慮する事はない」
「でも、僕はなにもしていない。仕事をしたのは岩田さんだ。僕には受け取れない」
「なら、早いところ一人前になって僕を楽させてくれ」
岩田さんは僕に笑顔を向ける。
「また、必ず来い。待ってるから」
会社を出たのは2時間前だ。
あれから僕は電車に揺られ、ある場所へ向かっていた。
一度は挫折した。
けれど今日なら踏ん切りがつくかもしれない。
やっぱり僕には無理だったんだ。僕なんかが…
途中の商店で買ったロープを木の枝に括り付ける。少し古いものらしく安くしてもらった。ボロボロだけど僕の体重くらいなら支えられるだろう。
今度こそ終わらせる。
もう誰にも迷惑をかけたくない…
自分の手で…