閑葉3 若族長の調査遠征
1匹の猛獣が5匹のゴブリンゾンビに囲まれている。
猛獣の種族はセジャ。
体だけを見れば大きなネコだが、その頭には毛がなく鱗に覆われている。
蛇の頭を持つ獣だ。
中央のゴブリンゾンビが得物を大きく振り被る。
セジャの視線が吸い込まれる。
しかしそれは囮だった。
すかさず、他のゾンビが左右から1匹ずつ飛び掛かる。
セジャは咄嗟に前方に飛び掛かる。
現状の最適解を本能が算出し、考えるより前に猛獣は動いていた。
中央の得物が降り降ろされる前にこちらの攻撃が通れば、致命打にはなり得ない。
左右の攻撃は受けるとまずい。しかし、後方へ回避したとして、もし中央のゾンビが獲物を投擲したならば、確実に避けられない。
セジャは理解していない。しかし、セジャの本能がそれを瞬時に理解する。
よって、左右を回避しながら前方へ攻撃。これがセジャの選択だった。
「黒き日輪よ。立ちはだかるものを冥府へ導き給え。【シュトケプリ】」
しかし、セジャの牙も爪も届かなかった。
遠方から飛んできた漆黒の塊によって吹き飛ばされる。
まるで日蝕時の太陽のようなそれはセジャの重心を捉え、砂地へと転がす。
砂ぼこりが舞う。
日蝕が飛んできた場所にはフードで頭まで覆った白いローブの人影。
手には杖。先端のスカラベの意匠が特徴的だ。
「念のためにもう一撃です。【シュトスピア】」
杖を大地に突き刺す仕草。
先端のスカラベが周囲の魔素を纏い妖しく輝く。
横たわるセジャの首から漆黒の棘が生える。
大地からの串刺しだ。
既に動いていないセジャにダメ押しの一撃が決まる。
「いっちょ上がりにゃ」
フードを外すと、猫耳がぴょこんと跳ねる。
獣人族の若き族長、シカモアは額の汗を拭う。
「ゾンビさん達もお疲れ様でした」
労いの言葉をかけられたゴブリンゾンビたちだが、反応はしない。否、できない。
ゾンビたちはシカモアの独自の死霊術【カーケプリ】により完全に精神を支配されているからだ。
5匹は主人からの新たな指示が飛ぶまで後方に控えている。
既にゾンビたちは彼女の眼中になく、シカモアは手帳と羽ペンを握りしめ獲物をまじまじと観察していた。
「なるほど。セジャは小型のアメミットだなんてアビンは言っていましたが全然違いますね。頭の形状、歯の数、鬣の有無、下半身の体形。むしろ、共通点が前足の形状くらいに思えます。里の資料には同じハネナシグリフォンの仲間に分類されていましたが、あれは100年以上前の資料。青の孤島にあると言われる学園の、最新の博物学の研究成果を見てみたいものです」
キー、キーっと甲高い鳥の鳴き声。
上空に小さな影が飛んでいる。
相棒のホルス鳥のネフティーだ。
「ごはんはもうちょっと待ってねー。あと少し、あと少しだけ観察させて。……ふむ。それにしても、なかなか死体の状態がいいですね。確かセジャゾンビのレシピは……ああ、ありました。手持ちで供物が足りるようなら、この子も使役しましょうか。今回の調査はどれだけ歩くかわかりません。早い段階で移動手段を確保しておくのも悪くありませんね。ゾンビさん、荷物を……」
キー、キーと声は止まない。
シカモアは顔をしかめると杖を素早く振る。
待機していたゴブリンゾンビが辺りに置いてある荷物を回収し始める。
「この鳴き方、また襲撃ですか。さすがは深淵の地ですね。入り口ですらこんなに生き物たちが活発とは。せっかく仕留めましたがこの子は置いて逃げましょう。」
遠方に複数の小さな影を確認したシカモア。
陽炎でシルエットが揺らめき、何者かはわからない。
勤勉な少女はこの地で群れを成す生き物を思い浮かべる。
メスのアメミット。
最恐の相手。先ほどのセジャを超える体格を持ち破魂の魔法を操る1匹でも手に余る猛獣。交戦して生き残れる可能性は限りなくゼロに近い。一撃でも攻撃を受ければ、心を壊され廃人となってしまうからだ。
オイハギアリ。
最悪の相手。餌と認知された最後。数の暴力で執拗に追い詰められ、持ち物、命、肉体、根こそぎ奪われるだろう。
そんなモンスターとは会敵しないに限るとシカモアはうんざりした顔で確信する。
シカモアは荷物持ちのゾンビから受け取った革袋の水を少し舐めるとネフティーが飛ぶ方へ速足で歩みを進めた。
その後をゴブリンゾンビたちも後を追う。
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
1時間は経っただろうか。
シカモアはまだ歩みを止めない。
右手にはスカラベの杖。左手には革の手袋。その上にネフティーが止まっている。
すでに追手の影はないが念を入れて距離を取った。
追手の目的が獲物の横取りとは限らないからだ。
幸いにして他の生き物からの襲撃はない。
そろそろ休憩でもしようかと思っていたシカモアは代わり映えのしない景色の中に大きな変化を見つける。この黒と灰色の砂漠には不似合いな白色。方角は深淵の地の奥。つまり、今回の調査の進行方向だ。
「雲…いえ、霧でしょうか? こんな砂漠の真ん中で? 大きなオアシスでもあるのでしょうか? しかし霧が発生するほど大きな水源ならいままでなぜ発見されてないのでしょうか。 なぁに、ネフティーも気になるの?」
キーと鳴くとともにくの字に翼を広げるネフティー。
「気になるねー。それじゃ、あそこを調査してみるにゃ。でも、その前に休憩」
シカモアは後方のゾンビたちに荷物を降ろすように命令し、アンデッド用の再生魔法を掛けてあげた。
この深淵の地に至るまでの道中で捕獲した即席の荷物持ちだが、ここでは使役しやすいアンデッドと遭遇できるとも限らない。大切に扱わねば移動速度か装備のどちらかを犠牲にしなければならないだろう。
「砂が吹き付けるせいでゾンビさん達の消耗が激しいです。ちょっともったいない気もしますが、聖布を使ってゴブリンミイラに強化してあげた方がいいかもしれません。ゾンビさん、荷物を……」
キッと鋭い警戒の声。ネフティーはじっと一点を見つめている。
「ちょっと休んだと思った途端これにゃ。 ネフティー、お願いできる?」
左手の手袋が少し軋む。ネフティーは前かがみで翼をいつでも開ける状態だ。
「やる気満々だね。それじゃ、お願い」
シカモアがネフティーの視線の方向にそって水平に左手を動かすと、黒い残像を残しネフティーが飛び出す。
景色に黒いラインが走る。水平に走るそれはバリスタで飛ばされた巨大な矢のようだ。
ホルス鳥は小さな岩の手前で進路を変え急上昇する。
黒いラインは本体に置き去りにされそのまま直進、黒い突風となり岩陰を襲う。
風に煽られた岩砂に灰黒色の炎が灯る。
霊魂の様にも見える炎が地表に隠れる者を燻出し、空中へ巻き上げる。
小型のコブラのようだ。
ネフティーはジェットコースターのようなループを描き、元の水平の軌道に戻っていた。
打ち上げられたコブラ目掛けて一直線に飛ぶ。
空中で足を使って器用に獲物をキャッチする。
コブラはすでにだらりとうなだれている。
狩りを完ぺきに成功させたネフティーは悠々と旋回しながらシカモアの左手へ戻ってきた。
灰黒の炎は未だ砂を焦がしている。
「よしよし、ありがとね。」
シカモアはネフティーを褒めつつ、用意していた干し肉と狩ってきた獲物を交換する。
ネフティーは地上に降りて、翼で干し肉を覆い隠す。キョロキョロと辺りを見渡した後に干し肉を啄み始めた。
その間にシカモアは獲物の考察に勤しんでいた。
「蛇、コブラですか。しかし、最近の深淵の地の調査では蛇が出たという記録はなかったと思います。昔話ではよくききますけどね。眠りに誘う毒蛇アスプ。不吉の象徴。そしてアポピスの眷属。まさか深淵の地の環境の変化とは……」
一瞬、止まるシカモア。直後、魔素を練ってオーラを纏う。
「はっ。アスプは常に番で動くと本に書かれていました。【バーセンサー】」
魂の反応は真下。
その瞬間、足元の砂が爆ぜる。
シカモアが慌てて足を引く。
しかし、間に合わない。
足首に狙いを定めていたアスプが矢のように飛び出す。
牙が刺さる直前、灰黒の火の玉が飛んできて蛇は吹き飛ぶ。
火の玉の飛んできた先にはネフティー。
ハヤブサに似た炎鳥は襲撃者を見つめていた。
鷹や鷲のような鋭さはない。スズメのような愛嬌すら感じる。しかし、その目は冷徹なハンターの目だ。
慢心はなく、確実に次の一手を計算している。
しかし、ネフティーは攻撃することはなかった。
なぜならアスプは大地から突き出た影の棘で串刺しになっていたからだ。
「【シュトスピア】。ふう。今のは焦りました。ネフティー、ありがとね。さて、改めて休憩ですね」
足を投げ出し、しばしの間、謎の霧を見つめるシカモア。
突風によりローブに砂が叩きつけられる。
ネフティーはシカモアの影に避難している。
「そこそこの時間経ちますが、あの霧は移動せず、形も変わりません。これだけ風が吹いているにも関わらず」
シカモアは顎に手を当て熟考する。
沈黙の時間がしばし流れる。
「砂漠の活性化、村を襲った新種の生物、四天の眷属に謎の霧。どうも1つに繋がりません。もしかしたら今回の異変の原因は一つではないのかもしれませんね」
キー、キーとネフティの警告が響く。
「いけません。ちょっとゆっくりしすぎましたね。襲撃者にかぎつけられました。すぐに発ちましょう。それでは、謎の霧に向けて出発にゃ。」