閑葉 テト族の隠れ里にて
あらすじを更新しました。
里の広場に陽炎が揺らめく。
砂漠の日中は、まるで灼熱の中にいるのようだ。
それでも、ここに住んでいるテト族の多くの者が活動している。
テト族は猫のような耳としっぽを持つ獣人とよばれるヒトの仲間だ。
現在はドゥアト砂漠のあるオアシスで外界との接触を断ち、ひっそりと暮らしている。
そんな里の中を何かを叫びながら、どたどた駆ける男が一人。
家だろうか。まるでプレハブ小屋のような、小さな四角い砂岩の壁の建物。
その建物の間の一番広い道を通って、中央の大きめの建物へ向かっている。
周りの人はのんびりとした様子だ。いつもの光景らしい。
建物の入り口で急停止。深呼吸。
わざとらしいノックを3回して、建物の扉を開けた。
建物の中では入り口に向いた書斎机のような台に、エジプト神官のような恰好をした一人の獣人の少女が本を読んでいた。
その机を囲むように、本や魔道具が仕舞われた棚が、壁際に整然と並べてある。
隅の止まり木から暗めの羽色のハヤブサのような鳥が来訪者をじっと見つめている。
一部屋しかないのに生活用品は一切ない。
建物そのものが執務室だった。
「事件です、事件ですニャ。族長様、シカモア様」
「今日は何事ですか、アビン」
シカモアと呼ばれた少女はあきれたような口調で答える。
読んでいた本をしまい、ネコの獣人とは思えないほど背筋はピンと伸ばし男に向く。
その瞳は鋭く光り、視線には芯が入っている。
受け答えとは裏腹に男の話を真剣に聞いているようだ。
族長の少女はアビンの慌て方がいつもと違うことに気づいている。
「エジが、今朝から魔法が使えなくなってますニャ。これは大事件だニャ」
「その話が本当なら、間違いなく大事件ですね」
「昨日、一緒に狩りをした時はバシバシで絶好調でしたニャ。具合が悪いわけではないのに、魔法だけ使えなくなってたニャ」
「昨日の狩りの報告は受けています。アビン。貴方は大丈夫なのですか? あれを仕留めたとき、エジと一緒にいたのでは?」
「そういえば朝から試してなかったですニャ。話を聞いてすぐに駆け付けましたニャ。影の槍よ【シュトスピア】。……ニャっ!? 出ないニャ。あれ? 【シュトスピア】。ニャに? これも大事件だニャ。シカモア様、僕も魔法が使えないニャ」
「体調は問題ないのね? 体に違和感はない?」
「この通りピンピンですニャ。魔法を使おうして初めて気づいたニャ」
「午後の仕事はシニアに引き継いてもらいなさい。昨日の狩り参加者全員を訪ね、魔法が使えるか確認。その後、エジと他の魔法が使えないものを連れて、今日のところは治癒師のところで休んで」
「お心遣い、感謝しますニャ」
「あと、このことはほかのヒトに触れ回らないこと。みんなを不安がらせてはダメよ」
「了解ニャ」
アビンが建物から出ていくのを確認すると、悠然と構えていた族長は背筋を曲げる。
そのまま椅子の上で丸まり、シカモアは頭を抱える。
頭飾りが落ちそうになり、慌てて捕まえる。一旦静止後、机の上に控えめに置く。
「次から次に問題が起こりすぎよ。母様はこんな大役どうやってずっと熟してたのにゃ」
まだ幼さの残る顔立ちの族長は指を折りながら今の問題を確認する。
「最大の問題はアメミット。最近、アメミットの姿が村の近くで目撃されている。この里には強化幻影魔法【ハウフェイク】でほとんどの野生動物からは隠れられるけどやつらは別。魂感知魔法【バーセンサー】で村を発見される可能性があるわ。先手を打って追い払うつもりだったのに」
この里の精鋭戦士であるエジ、アビンが現在魔法が使えなくなってしまった。先日から実行中のアメミット狩りは一時的に中止するしかないだろうとシカモアは思案する。彼ら抜きでアメミットと戦うのは無謀に近い。
「次にビス族との関係。唯一交流のある集落なのに関係はうまくいっていない。私がまだ子供だからって完全に見下している。ふざけないで!」
ばたばたばたっ。今まで彫刻の様に大人しくしていた黒いハヤブサが大きく羽ばたく。部屋の隅の石製の止まり木から黒いもやがまるで陽炎のように揺らめく。
「びっくりしちゃった? ごめんね、ネフティー。おいで」
シカモアは腕にとまったホルス鳥のネフティーを撫でながら高ぶってしまった心を落ち着かせる。世代交代後、態度が変わったのは誰の目にも明らかだ。
「シニアがけん制してくれなければ今頃どうなっていたのかしら」
不安げにシカモアは呟いた。
「最後に昨日現れた新種の動物ね。あんな生き物いままで見たことがない。アメミットの問題も併せて、この砂漠に何かが起こっているのは間違いないわ」
こんこんこん、と扉がノックされる。シニアですじゃ、と声がする。
サッと身なりを整えたシカモアは入室の許可をする。ネフティーも定位置に戻る。
「アビンからお話し伺いましたのじゃ。遅れましたのじゃ」
「いいえ、お休みだったのにごめんなさい。緊急事態よ。アメミット狩りは一時中止。調べてほしいことがあります」
「そう言うと思いまして、昨日の狩りにいった者から話を聞いてきましたのじゃ」
「助かります。昨日狩りへ行ったエジ、アビン以外の者は魔法が使えましたか?」
「問題ない者が半数、魔法が弱くなっている者が半数でしたのじゃ」
「全員でなかったのは不幸中の幸いだわ。そうなった心当たりは?」
「昨日仕留めた新種ですじゃ。あの動物の狩りで前に出ていた者ほど魔法が弱まっていたのですじゃ」
「昨日の報告だと、ここから南東の方角でアメミット狩りの作戦中に例の新種2~3匹に会敵。騒ぎながらこちらへ接近してきたため迎撃。1匹を仕留め、2匹は逃した。間違いないですか?」
「間違いないですじゃ」
シカモアは顎に手を当て熟考する。
こうなると話しかけても無駄だと知っているシニアは次の言葉が出てくるまでじっと待っている。
「今回の件とアメミットの活性化、原因は同じだと考えています。砂漠の南東、つまり、深淵の地を調査する必要があります」
「危険ですじゃ。あそこはアメミットだけじゃなく、ガストやグールのようなアンデッドも多くいますのじゃ。第一、エジとアビンがいない今、里の防衛だけで手いっぱいですじゃ」
「ダメです。後手に回ると手の打ちようがなくなります。それにこの事態の原因を究明しなければ、じりじりと戦力が削られてしまいます。すぐに動くべきです」
「そもそも、誰が調査にいくのですじゃ。適正な人員がいないのですじゃ」
「人員ならいますよ。私です」
シカモアが肘を上げるとネフティーが止まる。
部屋の空気が一変する。
強大な黒のオーラで満たされる。
自然体で構える一人と一匹からプレッシャーが放たれている。
「シカモア様、本気なのですじゃ?」
「もちろんですよ。事態は思っているより深刻です。使える人材は誰であろうと使うべきです。シニア、私の留守の間、よろしくお願いします」
シカモアは席を立つと、固まって動けないシニアの脇を通る。灼熱の日差しの差す建物の外へ、歩みを進める。
「里にかけた【ハウフェイク】の点検、狩人たちへ魔法に頼らない武器の手配、私たちの遠征用の物資の確保。最低限のことをやったら面倒が起こる前にすぐ出るわよ。他の幹部への説明は完全にシニア任せね。いつも頼ってばかりで悪いけど」
ネフティーに説明するようにそう呟くシカモア。
その瞳に映るのは族長の使命感に燃える炎だけではない。
閉塞した里から遠く出る。
遠足前夜の子供のように心が弾んでいるのが抑えきれてない。
その瞳をキラキラと輝かせていた。
「椅子に座って待つのは飽きました。さぁ、本じゃ出会えないどんな未知が私たちを待ち構えているかにゃ?」