闘気、成果。
またまたまた遅くなってしまいました…。カメさん更新で申し訳ないです。しかも前回魔眼が覚醒するといっていたのですが、まだ成長過程なので詳細に書きたい部分が多く、来る来る詐欺をしてしまいました。すみません。
余談ですがこのサイトにはアクセス解析なるものがあるのに気が付き確認してみたのですが、700人弱の方々に見ていただいているようでビックリしてしまいました。小さめの学校の校長先生になった気分ですww
ウィリアムの書斎に侵入してから4年と数か月が経った。五歳を迎え、無事に言葉が話せるようになり、今では歩くこともできる。それまでの間、色々なことがあった。
先ず、目標を決めてから数か月が経過した頃、ウィリアムとエリシアの激務が終わった。なんでも魔物が大量発生していたらしい。個々の魔物は強くないのだが、その量が問題だったらしく、一年の時を経てようやく収まりがついたのだとか。普通ならば魔物の大量発生が起こったとしてもこの規模の魔物は現れないそうなのだが、何らかの原因により異例の事象が起こったとされて、数年経った今でも研究者たちの手で調査が行われている。
エリシアとウィリアムは冒険者だったので、冒険者が集うギルドという組織からの強制依頼によって、討滅戦に参加していた。しかし、ウィリアムはギルド内でも頭が良いという評判があり、戦場に行くエリシアを見送りつつ、ギルドの書類整理などを手伝わなければならなかった。二人とも子供が産まれたばかりで家庭のことを気にしなければならない状況で強制的に働かせられ不満が積もっていた。その反動もあったせいか、強制依頼が終了したあとは、それはもう溺愛された。おかげで闘気や魔力の訓練の時間が少し減ってしまったのだった。
その魔法と闘気の訓練だが、数年間の弛まぬ努力により絶大な進歩を遂げていた。練習時間が減少してしまいはしたものの新しい魔法を交えた特訓や、より効率的な鍛錬方法のおかげでロスどころか今までの倍以上の成果を叩き出していた。それは目標としていた三つの課題を達成したことを意味する。魔力の総量に追いつくように闘気の修練を重点的に行っていたにも関わらず、それだけの成果を出したのだから結果は重畳と言える。
課題の一つであった闘気の鍛錬だが、魔力の操作以上に苦労した。初めのうちは身体の中に闘気と思わしき存在を感じられはしたのだが、魔力のように移動させることが出来なかったのだ。闘気の基本的な用途としては、身体に纏わせることで防御力の向上や攻撃力の向上を図るのだが、闘気自体が動かせないのではどうしようもない。本で読んだ内容を思い出してみても、闘気を扱う人間は平均的に単純、基、脳筋だからなのか曖昧で感覚的な練習方法しか書かれていなかったように感じる。どうにか闘気を操ろうと試行錯誤すること数か月、日本の武士や僧侶からアイディアを貰い、集中することで初めて闘気の操作ができるようになった。
闘気を扱うコツとしてはやはり、瞑想だろう。最初の内は全く闘気を操ることが出来なかったのでとにかく集中することを意識した。そこで出てきたのが瞑想だった。オルルのイメージでは、日本の武士や僧侶は瞑想を行うという認識があった。雑念を排除し、物事に集中するためや宗教的な思想のためなど、目的は数多であるが行うものは少なくなかっただろうと。
覚えている知識を総動員して瞑想を始めた。無心に近づくため、脳内の思考を抑えるように身体の中にある闘気と呼吸を意識する。筋肉の強張りを一つ一つ紐解いていくイメージをして、だんだん、だんだんと身体が溶けるように柔らかくなってきたところで再び無心に返る。研ぎ澄まされていく感覚と集中力が頂点に達す。そこまでして体内の闘気に意識を向けるとようやく闘気を動かすことが出来た。
初めて闘気を動かすことが出来た日は集中のあまり、体力と精神力を大きく消費した。額の脂汗は止まることなく、激しい空腹と疲労感と共に気絶した。しかし、コツを掴むことが出来たオルルは、魔法の特訓と並行して着実に鍛錬を積んでいった。今では闘気を身体に纏わせるだけではなく、物に纏わせる、放出するなど多彩な仕様方法を覚えた。日に幾度となく、魔法と闘気の訓練で気絶するという決して、身体によくない生活を送った甲斐があったとオルルは考えていた。
そして課題の一つであった魔力と闘気の研究により、闘気も魔力に引けを取らないほど成長していた。
オルルは闘気を自由に扱えるようになってから効率的な闘気の訓練の仕方を模索し始めたのだが、初めに行ったのは魔力の増加方法と同じ訓練方法を使えるかどうかを照らし合わせることだった。魔力の使用時に必要以上に魔力を込めたり、魔法を複数回、連続または同時使用したように、闘気でも同じことを試してみたのだ。しかし、オルルは闘気を使う魔法のような技を知らないので短期に闘気を消費する術を持っていなかった。結局、数日間の間は体外へと闘気を放出する以外の方法は重い追加なかったのだが、このままではいけないと絞り出した答えが闘気放出方法と使い方だった。
オルルは初めて闘気を移動させた時のことを思い出し、着眼した。闘気自体の使用何度からその運用や移動方法を工夫するだけで充分な効果があるのではないかと考えたのだ。
最初に思い付いたのが闘気の放出時にその形を変えることだった。ただ移動させるだけでも多大な集中力
を必要とする闘気の運用に、より集中力と闘気が必要となる工程を挟むことでその消費量を飛躍的に上げることが出来るのではという考えだ。
次に思い付いたのが闘気を使用する身体の部位の増加だ。身体の部位というと語弊があるかもしれない。なぜならオルルは体内の内臓や血管をも闘気で覆うことをイメージしているからだ。以前、オルルが読んだ闘気についての本には「闘気による攻撃は闘気をぶつけることで威力を抑えることが出来る。」と書いてあり、そのため、闘気を使う者同士の戦闘ではお互いに自分の身体を闘気で覆い、相手の攻撃を防御することが多いということもオルルは知っていた。ならば、身体を守る役割や攻撃の役に立つ闘気が込められる場所が多いに越したことはなく、それは体内にあっても役割は果たすだろうという推測で試すことにした。
結論から言うと、この二つの訓練は一応成功した。というのも、この二つの方法は効率面では申し分ないのだが精神の疲弊が酷く、特訓の途中でこと切れてしまうのだ。反復練習を重ねに重ねてようやく納得のゆく結果を出せた。
一つ目の闘気を変形させる訓練は、体外に出せたオーラのような物の形状を身体に纏わせず、変形させるというものだ。闘気を球体や四角形のような簡単な形に変化させたのだが、簡単といっても一瞬のあいだ変化させるだけでも数か月の月日を費やした。一度コツを掴んでしまえば順調にその工程にも慣れていくのだが、最初はとにかく精神的な疲労が苦痛だった。
そして二つ目の訓練、身体の細部まで闘気で覆う訓練だが、これが曲者だった。オルルが習得するまでの期間が一番長かったのもこれだった。オルルは瞑想をして極限まで高めてから挑戦したのだが、それでもってしても訓練の目標の千分の一にも満たない成果しか出せなかった。闘気を皮膚に染み込ませるように、血流に闘気を流すようになどイメージの補強を行いつつ、時間をかけ、丁寧に丁寧に、焦らずに練習を続けて完成したのが二年後であった。
正直なところ、オルルはこの訓練の順番が逆であったなら諦めていただだろうと思っていた。好奇心と意欲は旺盛なオルルですらそう思わせるほど二つ目の鍛錬は辛かった。だが、同時にその効果は絶大であった。並行して続けていた魔力にも追いつくほど闘気の総量も増え、ただ身体に纏うだけでもその密度は相当なものになり、闘気の移動速度と精度も大きな進歩を見せた。