絵空事週間月曜日
ほおを伝う涙に僕は夢の続きを見ているような錯覚を覚える。しかし、そこはがらんとした自室だった。夢が抜けて落ちていく感覚を感じて、こぼれた涙を拭き取りそして僕は窓を見上げる。
窓の外には月が朝から浮かんでいた。青い空に浮かぶ月は欠けていてずいぶん不格好だった。
まるで僕のようだな、とか思ってしまい、自分で自分をしょうがなく思ってしまう。
あいつに振られてもう数日。僕、響は自分の置かれている状況から立ち直ることができていない。
隣の家からする物音は普段より控えめだった。
こんなところまで遠慮されていると思うと、自分のことが恥ずかしくなる。
ドアを開ける音がしてしばらくドアのインターフォンが鳴った。
「響!いつまで気にしているんだよ?」
纏がやってきた。
ガチャリとドアを開く音。
「だから、てめえ当たり前のように入ってくるなよ!」
だめだ。僕の部屋に近づいてくる。
「あ、うっせえ!」
横暴な幼なじみの名は纏。彼女に逆らうとろくなことがない。
眠りから覚めた僕はそれに気づき、速やかに敗北宣言を行う。
「わかった支度するから十分待って。」
「十分待っていたら遅れるんだけど。」
もうそんな時間かと思い時計を見て慌てた僕に彼女は言う。
「もういいよ。一緒に遅れてやるから。」
詰まらせたパンと格闘している僕を見て纏は続けて言った。
「だから、ゆっくり食えよ。」
そう言いながら差し出したコーヒーを受け取った。
纏は文武両道で優しいから周りから非常にもてる。
まあ、幼なじみの俺から見たら、がさつで気に入らないと暴力を振るういけ好かないやつなのだが。
ご飯が終わり、支度が調ったあと彼女は突然そう切り出した。
「告白断った理由なんだけど、」
僕は反射的に突き放す。
「答えなくていい。」
そんなこと聞くまでもなくわかっている。
あくまで彼女にとって、幼なじみなんだ。そう僕は思っている。
幼なじみという関係に期待した僕と違って。
じゃないとやっていられない。
それなのになんで彼女は惑わすようなことを言うのだろう。
抱いた思いが表された、僕の言葉は彼女を容赦なく傷つけた。
言葉を聞いた彼女の顔がクシャッと歪んだ。
やってしまった、と思った。
バタンと荒っぽくドアを開けると彼女は言った。
ごめん、やっぱ先行くわ。
彼女を追いかけることは出来なかった。
一瞬彼女を疑った僕には、その資格さえないと思った。
・
ドアを力ずくで閉めて走る私は泣いてなんかいない。
決して泣いていない。
自分でも白々しい嘘をついて、自転車を走らせる。
通い慣れた通学路だが、時間が違うからか、見慣れない人が歩いている。そういう人々は泣きながら走る私を、不審そうに見ているが、そんなことをかまっている余裕もない。
赤信号で止まった。
ブレーキの音の大きさで自分がだいぶスピードを出していたことに気づく。
一回止まると、スピードと共に焦っていた気持ちがだいぶ落ち着いてきた。
そして、朝の出来事を落ち着いて考えていた。
自分でもあんまりだったと思う。自分の態度も、あいつの態度も。
響に伝えたかったことはあまり言えなかった。
言葉が足りないことはいつものことだし、それが自分の欠点だと自覚している。
それでも、響が気づいてくれなかった。
その事実に再び打ちのめされる。
響、あいつはいつも私の少ない言葉を汲み取ってくれる。
たまに生じる諍いでも、彼がいつも先に折れた。
私はどれだけあいつに依存していたのだろう。
心に生じた疑問は私の心を締め付けていた。
信号は変わり私は再び自転車を走らせる。駅についたら電話をかけよう。
この、気持ちを伝えるならあの子。気づいたらそう思っている自分に気づいた。
・
大遅刻をして、僕は学校に着いた。
周りにどやされながら席に着く。やはり纏の席は空いていた。
授業中だが隣の女子に纏のことを尋ねる。
「私は知らない。響が知らないならだれもわからないんじゃない。」
予想していた返事にはあらかじめ考えられた返事を口にする。
思わずため息をつく。
結局、いつも通り纏の心配をしている。
けんかをしたって、いつも折れるのは僕だ。
―――なのになぜ?
纏を一番大事にしているのは僕だ。
報われないのはなぜ。
それはある種、心の棘だ。
だから纏をのろっている。愛しているが故にのろう自分を自己嫌悪するなかでチャイムが鳴った。
日直の号令とともに礼をする。
「おい響、礼がなっていない。」
堅物として有名な教師だ。いつも生徒の態度にけちをつける。
僕だって怒られるのは初めてじゃない。
型にはまった出来事は悪い方向に連鎖していた考えを断ち切る。
「すいません。」
とりあえず謝る。
の言い方にカチンときたのだろう。
―――ほら、そういうところが。
先生の説教が長くなりそうなところで友達がなだめた。
わざわざ、謝ることないのに。
友達が口々にそういった中で、僕の我慢の限界は訪れた。
ごめん、やっぱ別のところでご飯食べるわ。
そういって席を立つ。
やっぱあいつ今日変だぞ。
走り出す僕の背中では、確かにそう聞こえた。
・
階段を全力で駆け上がり力一杯屋上のドアを開ける。
バラバラと昼食を食べていたグループが何事かと僕を見た。
視線を無視してフェンスに寄りかかる。
そうして膝に顔を埋めていると幾分か気持ちが落ち着いた。
それでも、僕の心は空っぽだった。纏が近くにいない。
たったそれだけの理由で。
「お弁当食べないんですか?」
突然声をかけられる。周りには僕以外いない。つまり対象は僕だ。
それでも、すぐに顔を上げるわけにはいかない。くだらない僕にだって面子はある。ましてや泣いてなんかいたら。
僕が答えないことを彼女は気にせずに続けた。
「纏さんも心配してますよ?」
思わず顔を上げると彼女は笑った。
「残念。ウソです。」
その言葉に怒りを覚えた僕にさらに彼女は続けた。
「泣いてるときより幾分かっこよくなりましたね。」
そういったきり、彼女はひとしきり笑っていた。
「僕より年下じゃないか?」
彼女の胸ポケットを見てようやく、そういった僕に彼女は答えた
「だったらこうよべばいいですか響先輩。」
「やめてくれ。」
げっそりした僕に彼女は悪びれもせず言った。
「私、蓮って言います。先輩のひとつ後輩になりますね。」
名乗った彼女に僕は何も答えなかった。
「もしかしてお弁当忘れました?」
ムキになって反論しようとした僕はお弁当を持ってないことに気づいた。渋々だが蓮にそう伝える。
意固地になってしまうのは改善されてなかった。
そうすると蓮はまた笑った。
「じゃあ私の食べます?でも、でもとてもダサいです先輩。」
そういった彼女は自分の弁当を差し出した。ニコニコしているが全く油断ならない。
「いらない。」
おなかは空いていたがムキになって僕は答えた。
「ホントに?」
彼女はそう言うと弁当からから揚げをつまむと僕の前でそれを見せつけてきた。
「ほら、アーン。」
「いやだね。」
すると彼女はあきれてこう言った
「先輩。女の子からの好意は素直に受け取ったほうがいいですよ。」
「僕はおまえを女とカウントしていない。」
「そうですか。じゃあ、意地でも女としてカウントさせます。」
彼女はそう言うと再び唐揚げを僕の前に向けた。
そうして始まった僕と蓮のにらみ合いは蓮が先に折れた。
「もしかして、先輩女の子に優しくされたことないんですか?」
図星だった。言い返す言葉を探している内に彼女は勝手に続けた。
「あたりみたいですね。先輩って好きな人にずっと尽くしちゃうタイプでしょ?」
確かにそうだった。僕はずっと纏に尽くしてきた。それでいて、纏に振られて勝手に落ち込んだ。そう気づいたら、蓮になにも言い返せなくなった。
そして、言い返せないうちに口に唐揚げを放り込まれた。
びっくりして、言葉もでないだが唐揚げはうまかった。そう
だから、と彼女は切り出した。
「私と付き合いませんか?」
話の筋がわからない僕に彼女は続けて言った。
「クリスマスまでに女としてカウントさせて見せます。」
「ごめん。意味がわからない。」
話を一回止めようとする僕を振り切り彼女はさらに続ける。
「だって、尽くされたことないんでしょ?一回くらい、尽くされてみたいとか思わないんですか?」
言い返せない僕に彼女は追い打ちをかける。
「だから、もう一回だけ言いますよ。女の子の好意は素直に受け止めるものなんです。」
そういうと彼女は僕の手をとり歩き出した。
「行きましょう。先輩、もうおすぐ昼休みが終わりますよ。」
確かにあと五分の予鈴が鳴っていた。
・
纏は結局五時間目も来なかった。
先生に聞くと正式に今日は休む、と連絡が入ったらしい。
そして、今日は早く終わる日のため五時間目が終わると終礼があった。
盛大に遅れた僕には授業を受けた気がしなかった。
帰りの挨拶をして、いつも通りに僕は下駄箱に向かった。
今日はもめたばかりだから、友達と一緒に帰るのは気まずい。
それに大半の友達は部活に入っていたから、もともと一緒に帰れるわけではなかった。
それでも、一人で帰るのもいやだったから下駄箱をうろうろしていたら、蓮が現れた。
「なに、不審者みたいなことしてるんですか先輩?」
横に来るなりそう言った蓮はそのまま前まで来てこっちを振り返った。
「もしかして、私と一緒に帰りたかったんですか?付き合わないとか言った割には帰る気満々じゃないですか。」
「そうじゃないから。」
精一杯の言い訳はあっさり否定された。
「だって今日みんな部活ですよ。それに待ってたて纏さんが来るわけでもないですし。」
「なんで纏のこと知ってんの?」
彼女は笑ってその言葉を無視した。
「それより、帰るんだったら帰りましょうよ。」
そう言うなり彼女は僕の手を取るとまた聞いてきた。
「ほら、シャキッとしてください。女の子のことをしっかりエスコートできない男はだめですよ?」
そういうなり歩き出した彼女に連れられて僕も歩き出す。
周りの視線が痛い。周りに生徒や先生がいるこんな場所で歩くのはとても恥ずかしかった。
「人前でいちゃつくことのできるやつってすごいよな?」
嫌みのつもりで言ったのに普通に無視された。つくづく自分のほうが子供だと感じる。
「あれ、先輩ほおが赤いですよ」
そう言われ、意識した僕のほおがさらに熱くなった。
まったくわかりやすい。心の声が僕を笑う。
そのまま、会話もなく校門を出る。せめてもの抵抗で手をつながないで歩いた。
電車に乗ると、やはり帰る時間だったから混んでいた。蓮とともに乗り込むが、周りの視線が痛く感じるのは僕の被害妄想なのだろうか。そのまま、入り口にいるわけもいかないので席の前に立つ。
特に会話もなくそのまま出発する。特に意識もせずにスマホに手を伸ばしラインを確認する。誰からも連絡が入ってなかったが、それはいつものことだった。それでも、纏からの連絡がないことに落ち込む。隣を見ると蓮はニコニコしながらスマホを触っていた。
その姿を見て思わずため息をつく。すると、蓮は顔を上げた。
「なんですか先輩?もしかして私のこと好きになりましたか?」
「ならねえって。だれと話しているか気になっただけだ」
そう、聞いた蓮はクスっと笑う。
「もしかして浮気の心配ですか?さっき、尽くすって宣言したじゃないですか。だから多分大丈夫ですよ。でも先輩にもそんな独占欲あるんですね驚きです」
そんなこと思っちゃいないさ、とは言えいちいち反論するのもおっくうだった。
「恋って難しいですよね。報われないことを、当たり前だと思わなきゃいけないなんて」
そう言うと蓮は電車を降りていく。
私この駅なんでさよならです、って言って降りて隣の席には誰もいなくなる。
最後の言葉はただ僕にだけ響く。ただ、あいつが知っているとは思えなかった。
「あ、ライン聞くのを忘れてた。」
もう当分彼女に問いただす機会が訪れるとは思えなかった。
どっちみちもう週末だ。
そう思い、纏からの連絡がないことを確認したら僕は寝る。流れる涙をあくびだとごまかすため。
駅を出るともう日は出ていなかった。
無言で駐輪場に向かいその中で度々目に入る赤緑の飾りにもうクリスマスかと思い当たる。
世間は恋人ムードの醸成を待ってくれる気はないようだった。
・
今何時だっけ?
布団から手だけ伸ばしてスマホをつかむ。つかんで目を開けると部屋はもう暗くスマホの光量を落とした明かりでは頼りなかった。
うーん、とか女性にあるまじき声で伸びをするそしてスマホを握ったまま照明をつける。
自動で明るくなるスマホには目当てのラインは入っていない。
なんだ、安心したかのよう残念な様な気持ち。
安心すると腹が減る。その原理に従うようにおなかが鳴る。
適当に私を心配するクラスメイトに適当な返事を返す。こう心配してくれる友達が多いのだから私は恵まれているのだ。あいつなんかより。
そうやって下らない意地を張る。
でも、満たされない。
答えてくれる人なんかいないから。
ホントは気づいているのだ。
だから、せいぜい私は行くべきところに行くか。
そう思い、私は外に出る。
いつもはただ惰性で向かう隣の家を見て明かりがついていることに安心する。
ただ、ドアの前から動けなかった。炒飯のいい匂いが隣からする。
食欲に負けたとか誰に言うわけでもない言い訳をし、隣の家のドアにたつ。
大丈夫、深呼吸、深呼吸。いつも通りやれば問題ない。
そんな考えを抱いている時点でいつも通りじゃないでしょ?
そう、響は言うだろうか。
そんなことを考えていたら、ドアが開いた。