侵攻と将
これまで何度もジラウ連邦軍が国境を越えドラキア王国のマーシュという土地に攻め込み、猛将のハーバルがそれを逃散させたことは触れた。ここでマーシュという土地について触れたい。マーシュは年中気温が低く、冬の寒さにより毎年凍死する者がいるほどであった。凍死するのはマーシュに慣れておらず、異動してきた兵ばかりでマーシュに慣れた兵や近隣の住民は防寒に気を配るので凍死することは滅多にない。マーシュの寒さを侮る者は凍死、死に至らずとも凍傷がひどく戦闘不能になることもあった。この大地は特に国境沿いの起伏が激しく鬱蒼とした森が生い茂っている。ドラキアからジラウに攻め込んだことは建国以来ないが仮に攻め込むとしたらこの森林が兵を隠し、攻め込まれたとしても敵の騎馬部隊の行軍を遅らせる効果があった。国境沿いの森林地帯を超えても鬱蒼とした森林は続いているが比較的平坦な地面になるので行軍に支障はない。森林を超えた侵略軍を止めることができなければ楽々に王国領土を切り取ることができるが切り取ったとしても何の要害もない土地なので守ることは難しい。自然ハーバルの守るマーシュの城塞を陥落させることができなければ支配がしにくく、かといって容易に落とせるものでもなかった。しかし連邦軍はハーバルの城塞を落とす段階にまでたどり着いたことはなく国境の森を超えたあたりで毎度撃滅された。またハーバルの支配地域を迂回するように東から王国に侵略しようにもドラキア王国の東方は山地続きでこれが天然の要害となっており行軍は困難を極めた。この天嶮のおかげで王国は東方に少ない兵をおくだけで済み、その分兵を他の地域にまわすことができた。
ハーバルの兵法に守るということはなくひたすら攻め続けることだけが彼の得意とするところであった。彼は副将やその配下の将と会議をすることはあっても配下の提案を呑んだことは一度もなかった。また配下の将も戦えば必ず勝つといっても過言ではない将軍ハーバルの意見に口を出すというのはやりにくく、次第にハーバル配下の将はハーバルの言う通りにしか行動しないようになっていった。それでも問題なくハーバル軍は刃物で紙を突き破るかのように容易に敵を倒してきたので誰も問題視することはなかった。
ハーバルが将軍になってからジラウ軍が侵攻してきた際、ジラウ軍の将軍を討ち取った話をしよう。マーシュは頻繁に連邦の侵略対象になるため多くの王国兵が割かれているが当時帝国との戦いもあり、帝国と王国の国境付近に兵がまわされ動員できる兵の数が少なかった。この戦いでハーバルが動員した兵は2万であった。長槍を主武器とした兵がほとんどで騎馬部隊は5千であった。攻め込んできた連邦兵は4万強で兵の構成は王国と大差なかった。連邦兵は皆、赤い軍装をしており、彼らが集まり1つの運動を取るとき遠くから見てみると赤い霞が自在に動いているようであった。一方王国兵の軍装は黒でこちらも軍全体が山に登ればその山が黒く染まった。アルバイン帝国の動きを機敏に察知してのドラキア侵攻であった。連邦の人間は建国以来南下を国の第一目標と考えてきた。奪われた故郷を取り戻したいという感情や連邦のように極寒の厳しい大地ではない帝国や王国の土地が砂漠の中で望むオアシスや華美の限りを尽くした宮殿の金銀財宝のように見えてならなかったからであった。
諜報の結果、何度も攻め、失敗してきた越境作戦であったがマーシュにいる兵が少ないと知らされジラウ兵の士気は高かった。それに自軍の数が相手の倍であることも士気に影響した。逆に王国兵は相手が倍であることを知り初めは息を飲む思いであったが彼らは皆、自身を率いる将軍ハーバルの存在を思い出し戦意を萎えさせることはなかった。またハーバルも士気の維持のため自ら陣中を馬で駆け回り自らの姿を兵に見せつけ兵を安堵させた。
連邦軍を率いる将軍はグレゴリー=ナポロフといった。一言でいって軍事的才能もなく、事務処理能力があるわけでもない愚鈍な将で将器もなかった。彼はかつて今の連邦の寒さきわまる大地に追いやられた貴族の末裔であった。連邦の人間が皆、南下を渇望していることは述べたが彼にはそういった気概がなかった。自身の上司にあたる者には媚び諂い、部下には辛くあたり目前の利益ばかり考え、先見の明がない男であった。それでも彼が連邦軍のなかでも高位の存在になれたのは彼が美男で一見物腰の柔らかな人物に見えることにより相手の印象を良くし、上司の好みを調べ自身もそれに没頭するという出世に対し抜け目のない男だったからであろう。連邦の最高機関は連邦人民委員会議といい、議長が連邦のトップであった。議長はヴァベリ=カラナウといい温和で陽気な男であった。人望厚く、誰からも頼りにされ、町に繰り出し子供の頭を撫でてやってくれという親がいれば喜んで撫でてまわった男だった。しかしドラキア王国やアルバイン帝国の話になると苛烈な男へと変わり、誰よりも南下政策に対し情熱を注いだ。彼は連邦の人間に対し恨みを抱くことは一切なく、ただただ南の人間を憎み、これを一掃することを望んだ。
そんなヴァベリの性格、行動、望みを知ってかグレゴリーは進んでマーシュ侵攻を請け負った。彼が大したことがなく、媚びることしか能がないと知る他の将軍や副将軍は反対の姿勢を示したが演技派のグレゴリーは場や人目を気にすることなく大声で泣き、如何に自身が連邦市民のため南下し帝国と王国の大地を切り取りたいかという今度の侵略戦への熱い思いを叫んだことで人の良いヴァベリは感激しグレゴリー同様涙を流しグレゴリーを称え、マーシュ侵攻の司令官に任命した。グレゴリーはマーシュのハーバルの実力を聞いてはいたが目にしたことはなく過少評価をしていた。それに自軍の数がマーシュの兵の倍いることも彼が進んで請け負った要因であった。長年破ることができなかったマーシュの軍団を楽に粉砕することができるという浅はかで安易な考えであった。もし成功すれば自身の出世に拍車がかかると考えていたことは言うまでもない。




