暗き森の主
月明かりとスタンドの明かりに照らされる中ペラペラと一枚一枚丁寧にページを捲っていく。
「ふむ、これは中々どうして、面白いじゃないか」
一人の男の声が部屋の一室から廊下に響く。落ち着いた声。若々しくも何処か熟成した、そんな響きである。
その神秘的な空間を扉を開く音と、一人の女性の声が壊す。
「失礼します」
男がその声に反応しゆっくりと振り向くと、そこには綺麗な金髪を靡かせ、いくらするであるか予想もつかない高級な雰囲気を漂わせたメイド服を着込んだ、見目麗しい女性が20度程頭を下げたまま静止している。
その女性の耳は男のものとは違い、少し尖っており、そのような特徴を持った者で尚且つ、美しい金髪を兼ね備えた者をこの世界ではこのように呼ぶ――エルフ――と。
「あぁ……キミか。どうしたんだい?僕に何か用かな?」
読んでいた本が面白い展開になってきた所で中断された彼は少し不機嫌そうにしながらも、扉の前で姿勢を崩さないエルフに声をかける。
「読書中に申し訳ありません。しかし、ご主人様のお耳に入れたいことが……」
彼の反感を買ったことに謝罪し、それでも耳に入れたいことがあるという彼女の顔は真剣そのもの。
そのような彼女にこれ以上不機嫌さをみっともなく出し続けるのも自分の価値を下げると思った彼は落ち着き払って対応しだす。
「そうかい、君がそこまで言うならば、よっぽどのことなんだろうね。しかし、僕はキミの主人になった覚えは未だにないのだが、まぁ、好きにすると良いよ。それで、本題は?」
「はい、先日エルトニア帝国で反乱が起き、王族の殆どが暗殺され、第三王女のみが生き残りました」
その報告を聞いた彼は不思議に思い彼女に問い質す。
「おかしな話だね?第一第二王女は殺すが第三王女は殺さない。王女を嫁に貰い、地位を手に入れるにしても、国のトップとしての血筋も手に入れるにしろ、第三王女よりも第一王女の方が格は上だ。つまり、彼らは第三王女を殺し損ねたってことじゃないのかな?」
「その通りです。そして、その王女様なのですが……」
そこまで来て少し彼女が間を取ったことで彼も気づく。
「なるほどね。この“森”に逃げ延びようとしているってところかな?」
「其様で御座います。なので、もしこの“森”に入られた場合の対処をお教え頂きたくこちらに伺った次第です」
そうして、彼は漸く不機嫌さが内に静まる。
「それならば仕方がないね。恐らく王妃が此処に来るように支持でも出したんじゃないかな?全く……迷惑な話だよ。僕は争いが何よりも嫌いだってあの時に教えたはずなんだけどね」
彼がそう言った時、先程まで顔に感情や表情を全く出さなかった彼女が眉をひそめるが、本当に一瞬だけであった。
「私がいない時の話でしょうか?」
この反応を見て分かる通り、彼女は恐らく彼に好意を寄せているのだろう。
「君には関係のない話さ。昔、彼女は僕に助けられ、僕に恋をした。まぁ、その好意には答えはしなかったけどね。最後まで、ね。それだけの話さ。」
しかし、彼は彼女のことなど気にしていないという風に、多少の昔話を聞かせ、遠回しに君の好意にも答えるつもりはないと。そう彼女に伝える。
「そう、ですか。」
そう言われてしまえば彼女に為す術はない。しかし、それでも彼女は彼からは離れないだろう。それは彼女と、“もう一人の少女”においては絶対の誓いとなっている。
「ディアラ」
彼がそう言った瞬間に、何か白い影がエルフである彼女の脇を通り過ぎ、彼の座る椅子のすぐ隣に膝をつき頭を下げた姿で止まる。
「お呼びでしょうか、我が主」
「そうだね。まずは頭を上げてくれないかな」
彼の言葉に顔を上げる影だった者。その姿はスタンドと月明かりによって明るみになる。頭上には2つのピンッと立った少し大きな耳に、お尻にはゆらゆらと揺れるフサフサな大きな尻尾。胸はエルフの彼女よりも多少大きなものがある。髪の色はキラキラと銀色の輝きを帯びている。耳と尻尾だけを見るならば彼女は獣人で、犬人族だろうといえる……が、その輝く銀髪によって一つの種族に絞られる。
それが――ウルフェン族――である。
ウルフェン族は犬人族と似ているがその生き方は他の獣人よりも熱烈だ。そして、ウルフェン族は他の獣人と違い、他種族と交流することは滅多にない。なので人族やエルフ族の間では存在しているのかどうか確認を取れるものは極々わずかである。
そんな希少な存在である少女が、一人の男を主と呼び、忠誠を誓っている。未だに彼女はかの獣人を疑わしく思っているが、男はこの世の中において一番彼女を信頼しているようなのだ。そして、それがエルフである彼女の嫉妬心を刺激する。私のほうが先に彼と出会ったのに……と。
しかし、そんな彼女の嫉妬心などお構いなく、彼と獣娘は会話を続ける。
「君に頼みたいことがあるんだけど、良いかな?」
「主の命令であればどんな命令でもこなしてみせます」
彼は思う。やはりこの子を助け連れてきて正解だったと。
獣人の多くは理性よりも本能で動くものが多く、また感情表現が非常に激しい。今会話している彼女なんて、感情がダダ漏れである。そのフサフサとした綺麗な尻尾を会話を重ねるほどにブンブンと大きく揺らす。
エルフの彼女はその尻尾振りが主人の邪魔になっていると考えているのだが、実際は人の考えていることをあまり理解出来ないがため、とにかく人を信用できない彼は、この感情の起伏によって動く尻尾ほど信用できるものがないのだ。
それによって自然と彼女は彼のお気に入りへと昇格しているのである。
「この”森”に入って来るであろう少女を助けてあげて欲しいんだ。頼めるかな?あ~でももし、ディアラが危険だと感じたらその少女を無視して逃げてもかまわない。キミのほうが何倍も大切だからね」
彼のこの言葉に歓喜の感情を抑えきれない彼女は顔を真赤にし、耳をピクピクと動かし、尻尾をブンブンと千切れるのではないかと思うほどに大きく振り、しかし言葉は丁寧に、態度も部下らしく振る舞う。
「主に、主にそこまで言って貰い、感謝の念が耐えません。必ずや、お役に立ってみせます。」
そう言うとまた彼女は白き影となりて、その場を去る。
きっと彼女は少女を見事助け出し、この場にやってくるだろうと思いながらエルフである彼女もまた彼に指示をもらう。
「ユーリアは非常事態が起きたときのために連絡網をしっかりとしておくこと。それが何よりも大事だよ」
「承りました」
そしてエルフ――ユーリアもこの場を離れる。
この場に残るは男一人。
そして一人になったことをしっかりと確認すると一息溜息を吐いた後、呟くように言う。
「本当に、人間っていうのは……いつまでたっても……愚かだね。争いを、繰り返す。その先には、何もないと言うのに。本当に、いつ、彼らは気がつくんだろうね。」
そう言って彼は立ち上がり、この部屋を後にする。
部屋に残るのはつけっぱなしのスタンドの明かりと、明かりに照らされた一冊の本のみであった。
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