第76話「灰燼」
プロエリウム軍の前線を構成する兵士が震えあがり顔面を蒼白とさせた。
武人の大国と称されるプロエリウムで生き、幾多の戦争を経験してきた。今回の戦もその一つに過ぎないはずだった。
それがどうだ。奴隷兵は一瞬で燃え上がり全滅。密集陣形は雷鳴と地響きに似た衝撃音が響いたと同時に、いとも容易く破たんした。
そして兵士の眼前まで迫るのは、矢で貫かれようと勢いが落ちることなく突撃してくる騎馬隊の軍勢。そして、美麗に尽きる容姿に血のように赤い瞳を輝かせ、大鎌を振るう死神の姿だった。
一閃。漆黒の刃が剣閃を生んだ直後、恐怖に引きつった表情が切り裂かれ鮮血が舞う。
猛獣のごとく殺気を剥き出し駆け抜けるシオン・デスサイズの後ろを騎馬隊が押し寄せた。アンデッドであるその体は、剣で切り裂かれようが矢で射抜かれようが止まることはない。
大型の馬を操り戦陣を切り裂くのは重騎兵だ。
槍で兵士を刺し殺し、馬の蹄で叩き潰しプロエリウム軍を蹂躙していく。突破力に優れる紡錘陣形は、破竹の勢いで密集陣形を切り裂いていった。
また虐殺された兵士の死体は騎馬隊へと再生されていく。殺せば殺すほど兵力を増していくアンデッドの軍勢は、プロエリウム軍にとって悪夢以外の何物でもないことだろう。
風のごとく流れていく景色の中でシオンは素早く状況を観察する。
兵の動きは次第に前方へと流れている。おそらく本陣へと兵を集中していると思われた。撤退という選択肢が奪われている以上、一か所に兵力を集中させ迎撃する考えなのだろう。
――ならば全てを穿ち鏖殺するのみ。
「重騎馬隊を先頭に集中させろ。戦陣を乱すな。周辺にいるゴミなど無視しろ。狙うは本陣だ」
まるでそこにシオン・イティネルがいるかのように指示を出していたことに気が付き、シオン・デスサイズは微笑んだ。
当然、その声は彼女の周辺にしか響いていない。だがまるで「念話」を通して会話をしているかのように、アンデッドとして再臨した薔薇騎士団が呼応する。
迅速に先端に集結していく重騎馬隊。そして一糸乱れぬ動きで紡錘陣形を形成する騎馬隊。
かつての「紫の薔薇騎士団」はもはやいない。だが彼らの心は、未だここで共に戦場を駆けている。
すぐ後ろに副官シオン・イティネルの気配を感じながら、シオン・デスサイズは前を見据えた。
「穿て」
強固に肉の壁を形成する本陣の密集陣形へシオンは渾身の刃を振るう。
血の雨を降らせ兵士を吹き飛ばす漆黒の斬撃は、殺戮の饗宴を唄う合図だ。シオンが開けた穴へ重騎馬隊が突撃する。
槍に刺し貫かれ絶命する兵士達。重騎兵は死体を投げ捨てるのも面倒と言わんばかりに次々と兵士の体を穿ち、馬の蹄で頭部を叩き潰していく。その動きはまさに戦場におけるチェアーマンそのものだ。
血で血を洗う地獄絵図が繰り広げられる中、シオンは歓喜していた。
彼らと共に再び戦場を駆ける喜びを全身に感じながら大鎌を振るい、兵士達を鮮血の海へと屠っていく。
その瞬間、シオンの紅玉が輝いた。
視界に映るのは、一際豪華な鎧に身を包んだ男。一目でプロエリウム軍を動かす大将だと認識した。
猛獣のごとく四肢が躍動する。殺戮対象を捉えた彼女の体は、相手を殺す事のみに集中した。
空間を駆け抜けるは紅の眼光と漆黒の一閃。
白刃の軌跡が通り過ぎた後、地面に転がるのは大将の首と降り注ぐ血の雨だ。首を失った胴体がゆっくりと馬の背から滑り落ちていく。
着地した瞬間、シオンの体を青白い光が包み込む。紅の瞳で自らの足元に浮かぶ転移魔法陣を見た彼女は、ゆっくりと目を瞑った。
「……頃合いか」
シオンが転移した場所。そこはアフトクラトラス国境界線の外、リリーナ・シルフィリアがいた丘の上だ。
彼女の前でリリーナは落ちゆく夕陽を眺めていた。振り向いたその時、サファイアの瞳とルビーの瞳が混ざり合う。
海のように澄んだ青き輝きに、氷のような冷たさとその奥に微々たる寂しさを込められた瞳がシオンに注がれる。
「あれ、死霊魔法を解除しなければ最上位魔法に巻き込まれるが構わないのか?」
シオンの視線の遥か先、未だ不死の軍勢と化した「紫の薔薇騎士団」が激戦を繰り広げている。
憂いを帯びた瞳でそれを見据えると、シオンはおもむろに頷いた。
「かつて生きていた場所だった。だけど彼らはもういない。ただの死者に過ぎない。焼き払って構わないわ。死体に戻るよりは戦いながら死者へ戻るほうを彼らは望むでしょう」
「……わかった」
少し間を置き、そう言葉を紡いだその時、リリーナの足がトントントンと三度、大地を打つ。
同時に浮かび上がるは幾重にも刻まれた魔力増幅魔法陣だ。
「三重・魔力増幅魔法陣、展開」
青白い光に包まれたリリーナの瞳に魔法構成が高速で刻み込まれ流れていく。脳内で詠唱されたそれは彼女の左手に炎の精霊を圧縮させ、揺らぎ煌めく紅玉を生み出した。
小柄な体を包み込むは赤き風。術者を保護する魔法風が巻き起こる中、リリーナの眼前に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
その瞬間、プロエリウム軍を包囲する炎の壁が消失した。リリーナが制御を怠ったわけではない。周辺に存在する炎の精霊が一点に集中しているためだ。
魔法陣より姿を現すは、膨大な熱量により空間を歪ませ、全てを焼き尽くさんと牙を剥く炎で構成された炎龍。
「灰燼に帰せ。炎神の生みし灼熱の竜よ」
リリーナの整った唇から紡がれるは、美しくも死に満ちた旋律。
「最上位精霊魔法・燃え盛る炎龍」
大地を揺るがすは咆哮。腹底に響く音と共に炎龍が牙を剥く。
それは猛烈な勢いでプロエリウム軍へ迫り、灼熱の炎へと呑み込んでいった。
炎龍は「狙った対象が死ぬまで」その身を持って焼き続ける。灼熱の巨躯に呑み込まれた人間は、瞬時に肌を焼かれ水分が蒸発し生命活動を失う。炎龍が通り過ぎた後は物言わぬ焼け焦げた死体しか残らない。
たとえ相手が七千人いようと、全てを呑み込むまで炎龍の動きは停止することはない、まさに灼熱地獄だ。
夕陽に照らされた大地は、燻る空間を漂わせ黒く染まっていた。生ある者を呑み込んだ炎龍が消失した後、大地に刻まれたそれら全ては人間が焼け焦げた跡だ。そこに動く者など誰一人としていない。
リリーナは白いローブを翻すと黒き大地に背を向けた。
「終焉だ。このくそったれな虐殺も……人の皮を被った外道の未来もな」
◇ ◇ ◇
王都アフトクラトラスの中心でうめき声が漏れていた。
それは天高くそびえる白き王宮の頂きに鎮座する「賢者の間」からである。丸いテーブルを囲む白いローブを着た七人の老人が、悶え苦しむかのように至る所を爪で掻き毟っている。
「……あの小娘ぇぇぇぇ! よりによって六芒星の範囲外でプロエリウム人共を壊滅させおった! それも一匹残さず!」
実際に彼らに死が訪れたわけではない。
だが今まで民の命を吸い永遠に生きてきた彼らにとって「命が有限となった」今、すぐそこまで死が迫る気配を感じるのだ。
それは彼らの精神を蝕み、狂わせた。
焦点の定まらない、生気が抜けた瞳を見開き、七賢者は叫ぶ。
「小娘を殺せ! 何としても殺せ! 今すぐにだ!」