第71話「研鑽」
大地を照らす朝日が王都を包み込む。
五大貴族の一つ「エスペランス」邸宅の中からうめき声が響いていた。そこはリリーナのために用意された個室である。
侍女から「リリーナ様の部屋から妙な声がする」という話を耳にしたフラン・エスペランスが扉の前に立つ。確かに低く唸るような音が中から響いていた。
軽くノックした反応がない。扉を開け中に足を踏み入れた彼女の瞳に映るのは、ベッドの上で死んだかのように身動き一つしないシュミーズ姿のリリーナだった。
「う……うううう」
「リリーナ!?」
「吐きそう。死ぬ」
「……あんた。どうしたの!?」
「ううう! フランの声が響く度に私の頭がガンガン鳴る!」
どうやら二日酔いらしい。聞けば昨日の夜にワインを一杯飲み干し帰宅後にベッドに突撃したのはいいが、今朝になってこんな状態に陥ったようだ。
フランは呆れたと言わんばかりに肩をすくめてみせた。
「あんた。なんで酒飲めないのに飲んでるのよ。そろそろ王宮に行かないと駄目なんじゃないの? 史上最年少の王宮魔術師が二日酔いで仕事放棄とか後生まで笑われるよ?」
フランは今だ蛞蝓のごとくベッドの上を這いずり回るリリーナにため息をつくと、侍女に軽く指示をして部屋を後にする。
通路を歩くフランの顔には曇りが垣間見えていた。
あのリリーナが「飲めない酒を飲む」状況とは一体なんだったのか。それほどまでに冷静な彼女の精神を「逆立てる」話でもあったのか。それはリリーナが「真実」に近づいている証ではないのか。
そんなフランの心配をよそに部屋からは今だリリーナのうめき声が響いていた。
「頼む! 解毒の魔法をかけてくれ! フラン!」
アフトクラトラスの中心にそびえる王宮内。王宮魔術師が普段、使用する部屋でリリーナはテーブルに積まれた資料に目を通していた。当然、侍女の一人に解毒の魔法をかけてもらい素面である。
政治に関わる問題は大臣が主に対処するが、王都の防衛や治安に関する問題は王宮魔術師が対応する。また相手は何も人間だけとは限らない。魔獣への対応など、一口に防衛といっても多岐に渡る。
また魔法協会を経由した新魔法の使用許可なども対象だ。それらをまとめた資料をリリーナは一つ一つ確認していく。そんな彼女をサポートするのが助手の魔法使用者プリリエースだ。
桃色の髪が美しい彼女は、十四歳という若さで王宮魔術師となったリリーナに憧れ助手を希望した。だがリリーナより胸が大きいのを理由に却下され、それでも頼み込んでようやく彼女の首を縦に振らせた。
そんなプリリエースが一つの手紙をリリーナの元へと運んだ。
ミゼリコルドの印がつけられたその手紙を視界に収めたリリーナは一瞬、整った眉をピクリと動かす。何故ならその印には「あの信書」と同様に多重の結界が張られていたからである。
素早く解除したその手紙に書かれていた内容に目を通したリリーナの瞳が鋭さを増した。書かれていたのはミゼリコルド当主からの晩餐会の招待状だ。しかしそれは偽装の魔法がかけられており、リリーナの識別の魔法により真の姿を現す。
プロエリウムに動きあり……と。
「……リリーナ様。熱心に見つめて男性から恋文でももらったんですか?」
「当たらずとも遠からずってとこだな。ミゼリコルド当主から晩餐会の招待だよ」
笑顔で近寄るプリリエースにそう答えると「今夜は戻らない」とだけ告げ、リリーナは席を立った。
「えぇ!? まだまだ未承諾の資料、残ってますよ!?」
「もう終わった。魔法印も押してある。承認済みと却下の資料とをまとめておいてくれ」
リリーナは短くそれだけ告げると部屋を後にする。
その小柄な背中をプリリエースは茫然として見つめていた。
「……仕事早すぎですよ……」
――王都アフトクラトラス内ミゼリコルド邸宅。
ミゼリコルド当主エレオス・ミゼリコルドが主催する晩餐会がささやかに開かれていた。
白いクロスが敷かれたテーブルの前には豪華な食事が並べられ、それを囲むのはエスペランス家当主フラン・エスペランスと王宮魔術師リリーナ・シルフィリアだ。
フランはこの日、愛用の桃色のドレスではなく血のように赤い真紅のドレスを身に纏っていた。それは彼女の内面を現す色なのだろう。真紅のドレスが意味するものは燃え盛る復讐の炎。フランはこの晩餐会で真実が告げられるのを感じ取っていたのかもしれない。
一方、リリーナは普段通りの白いローブ姿だった。
食事が一通り終わったところで、エレオスはおもむろに話を切り出す。
その内容は、あの手紙に書かれていたように「プロエリウム」に関することだった。
「……エスペランス領に偵察に向かっている斥候から連絡がありました。エスペランス領の最果てアフトクラトラス王国の国境線の向こうで、プロエリウムらしき兵士の姿を確認しました」
「野営の設置かもしくは偵察といったところでしょうか?」
「おそらくは。ただ敵もわかりやすい場所にわざわざ野営など建てないでしょう。ただの偵察とみていいと思います」
「それなら間に合います。あとは乗り込むだけですから」
「乗り込む!? まさかプロエリウムに単身、攻め込むおつもりですか!?」
「いえ。そこまで無謀ではありません。ただプロエリウムには赴かねばならない。それも戦争が始まる前にです」
リリーナはワイングラスに入った水で喉を潤すと真剣みを帯びた瞳を二人に向けた。
いずれは言わなければならない。だがフランの精神状態を考えて真実を告げるのを躊躇していたのは事実だ。
しかしリリーナはフランを信じた。あの強さを宿したエメラルドの瞳を見て決心した。ここで真実を聞かせると。
「<国王>と<七賢者>の目的は、国内にて戦争を起こし<魂吸収>の蓄積を増やすことです。それにはアフトクラトラス国内で死者が出なければならない」
リリーナの言葉にエレオスとフランが驚愕したのか同時に大きく目を見開いた。
彼女は明確に告げたのだ。戦争を起こそうとしているのは国王と七賢者であり、彼らが生きながらえているのは魂吸収によるものだと。
「魂吸収ですと!?」
突如、席を立ち声を荒げるエレオスにリリーナは「はい」と短く断言した。
「聖剣の加護などありません。私の調査で黒幕が国王ヴェルデなのは確定しています。百五十年前の国内紛争と今回のプロエリウム戦は、七賢者と結託し魂吸収の生け贄を増やすためのものです。残念ながら魂吸収そのものの発動を止めることはできません」
「……ですが、阻止する方法がある。そういうことですね?」
「はい。そのためにはどうしてもプロエリウムに行かねばなりません。明日、出立します」
少し平静を取り戻したのか、エレオスは一度、息を口から吐き出すとゆっくり席に腰を下ろした。
リリーナはその時、彼の隣に座るフランに視線を移す。真実を知り動揺したエレオスとは対照的にフランは、身動き一つせず無言を貫いている。
だがそのエメラルドの瞳に闘志が宿っているのをリリーナは看破していた。
「……フラン?」
「……大丈夫だよ。リリーナ。私は大丈夫だ。あんたが今まで何も言わない時点で薄々、感づいていたんだ。国王がお父様を殺した黒幕なんじゃないかってな。そしてあんたのことだから私がそれを知った時、自暴自棄にならないか心配だったんだろ?」
「うん。ごめん」
「いいよ。気にしてない。逆にあんたの気遣いが私を前に進ませてくれたよ。自らの父親を殺したかもしれない相手と日々、会う中で笑顔を見せながらひたすら心の中で牙を研ぐ。研ぎ澄まされた牙は双剣聖への糧となる」
「フラン……」
「リリーナ。あんたに頼みがある。もしあんたが魂吸収とやらを阻止したら……国王……いや、剣王ヴェルデは私に任せてくれないか? あの男は……私が斬る」
リリーナは静かにうなずいた。
元からそのつもりだった。剣王との決着をつけるのは、フラン・エスペランスしかいないと信じていた。
翌日。エスペランス邸から一人の少女が飛び立った。
魔法道具屋で購入した飛行杖に腰を下ろし、風の精霊の力で加速させ高速で空中を駆るリリーナの姿だ。
銀色の髪をなびかせ風を引き裂き進むサファイアの瞳に映るのは、アフトクラトラスの国境線。
その先に広がるのは、武人の大国「プロエリウム」である。




