第68話「追憶」
王都アフトクラトラスを囲む城壁。その東西南北に分かれる入り口にそびえる城門の前を、二人の女が歩いていた。
一人は銀髪を輝かせるリリーナ。もう一人は、長い黒髪を優雅に揺らすシオン・デスサイズである。
城門には魔物を感知する結界が張られている。シオンの体は人とは違い、どちらかと言えばアンデッドのそれに近い。当然、結界が反応するだろうことはリリーナも予想済みである。
そこで彼女は王宮魔術師の立場を利用し、「調査する」というのを名目にこっそり結界を書き換えた。魔物を感知する性能を残したまま、シオンに渡した指輪の刻印でそれを無効化するようにしたのである。
さらに魔法による遠距離からの監視を誤魔化すため、シオンに幻惑の魔法により容姿を変更する念の入れようだ。
だが相手は残忍な死神。リリーナは王都に入るまでの間、何度繰り返したかわからない言葉をシオンに再び投げかける。
「何度も言うが暴れるなよ」
「あなたも心配性ね」
「お前を見て心配しないほうがおかしい」
「大丈夫よ。ここまでお膳立てしてもらったんだから、おとなしくしてるわよ」
リリーナはその言葉を確かめるようにシオンを一瞥する。
彼女が危惧していたのは、シオンを潜入させるのが失敗することより王都に住む一般市民に犠牲者が出ることだ。何せ相手は討伐命令まで下っている死神。被害が一般市民に及び斬殺されるなどリリーナの意図することではない。
しかし彼女はシオンを王都へ招き入れた。それはシオンが非戦闘時は基本、敵対意思がない限りは斬らない女だったからである。目的を遂行するために斬殺することはある。しかし人をゴミと罵り冷酷な瞳を向けながらもシオンは刃を振らない。
それはまるで戦では猛威を振るい、市民には一切、手出しをしない鍛え抜かれた騎士。かつてその立場にいたかのようなイメージをリリーナに思い浮かばせた。
目の前にそびえる巨大な城門。左右に立つ衛兵の視線を流し、何食わぬ顔でリリーナとシオンが足を踏み入れる。
何事もなく通り過ぎた……かのように見えたその時、城門に隣接する建物から帯刀した騎士が数人、飛び出した。彼らの視線は明らかにリリーナ達を見据えており、姿を視認するなり走り出す。
リリーナはそれを見てわずかに首を傾けた。
「……あれ。おかしいな」
平静を装っているのか、それともはじめからこうなることを知っていたのか。明らかに予想とは違う事態になっているにも関わらず平然としているリリーナに、シオンは疑念に塗れた瞳を向け眉根を寄せた。
「あなた。もしかして私のこと騙した?」
わずかに口元をほころばすリリーナ。
いざとなれば斬り殺せばいい。そう思っていたのだろう。シオンは騎士が迫る中、苦笑してみせた。
数人の騎士が距離を詰め、直剣の柄に手をかける……かと思いきや、リリーナの目の前で急停止。突如、揃って礼をしてみせた。
「王宮魔術師リリーナ様。前回、死神討伐の祝いにご出席にならなかったとのことで。今宵、再度、祝宴が催されます。大臣よりぜひご出席をとのことです」
騎士の言葉にうんざりした様子でリリーナは小さな口からため息を吐き出した。
「何度も言っている。私はそういうの嫌いなんだ」
「ですが大臣直々の通達です。それに本日は五大貴族の当主様が全員、出席します。必ず連れてこいと言われまして……」
「はぁ……。わかったわかった。行くよ。行くって。大臣にそう伝えて。今夜だな?」
話をしている若い騎士にも困惑の表情が見て取れる。おそらくリリーナが行かなければ、上官に叱責されるのはこの男だろう。
それを察してリリーナは肩をすくめて承諾。ようやく難易度の高い依頼を達成したかのように爽やかな笑顔を浮かべる騎士に「行け行け」と言わんばかりに手をパタパタ振ってみせた。
結果的に素通りできたシオンは、今だ不機嫌そうに眉根を寄せているリリーナへ語り掛ける。
「豪華な食事にありつけるんだからいいじゃない」
「そういう席は性に合わない。見たくもない貴族共の顔を拝みながら食事するくらいなら、馬小屋で本読みながらパンをかじるほうがましだ」
「馬小屋……ねぇ。どうしてこう魔法使用者って人種は馬小屋が好きなのかしらね」
「馬小屋で思い出したがお前、宿はどうするつもりだ? 言っておくがそこまで用意はしてないぞ」
「雨風をしのげる場所ならどこでもいいわ。それより久しぶりに王都に来たことだし、行きたいところがあるのよ」
シオンは、何かを思い出すかのように遠くを見つめながらそうつぶやいた。
彼女がたどり着いた場所は、王都の中心街から離れた場所に佇んでいる廃墟だった。
何気なくついてきたリリーナの視線の先に、ぼろぼろになった看板が立てかけてある。そこには「王都解放軍兵舎」とだけ書かれていた。
「王都解放軍兵舎? なんでこんなところに?」
リリーナの疑問の声に反応することなく、シオンは人気のない朽ちた建物へと入っていく。
すでに百五十年たった建築物だ。石材を使用した頑丈な造りゆえ崩壊することはないが、もはや人の手が入らず埃にまみれている。
だがシオンが何かに誘われるかのように足を踏み入れた場所だけは違った。その部屋だけ綺麗に整理され、明らかに長年に渡って人の手が加えられた形跡があった。
シオンの動きがピタリと止まる。彼女の紅玉がある一点を見つめていた。
壁にかけてあるのは大きな連隊旗。リリーナの見つめる先でそれは、まったく朽ちることなく以前と同じ姿を維持している。
白の下地に紫の薔薇。そして中央には大鎌を携えた死神と、その手には血のように真っ赤なトマトが描かれている。
それは「紫の薔薇騎士団」の連隊旗だった。シオンはじっと見つめたまま言葉を紡ぐ。
「昔、ある少女がいた。その少女は自らの信念に基づいて転生者と戦った」
「転生者? かつて王宮魔術師だった<人喰いゼーレ>が生み出したというホムンクルスだったと聞いたが?」
「そう。彼らはただの使い捨ての人形だった。だがその中には異世界の魂が宿っていた紛れもない人間だった。だからこそ少女は突然死などではなく、彼らは人として死ぬべきだと皆殺しにすることを誓った。死こそが彼らの救済だと思っていた。そして彼女は……全てを殺した」
「それで、その少女はその後どうなったんだ?」
「……死んだわ」
「一つだけ聞きたい。シオン、紫の薔薇騎士団は知ってるか?」
突然のリリーナの問いかけに、シオンは連隊旗から目を背けることなく口を閉ざした。
まるで昔を思い出すかのように目を瞑ると、おもむろに言葉を紡ぐ。
「忘れたわ」
「……そうか。ならいい。宿の件だがないならこちらで用意する。あとで声をかけろ」
「あら。あなた。意外に優しいのね」
「暴れられたら困るだけだ」
ツンと目を背け白いローブをひるがえすリリーナに、シオンは微笑んで見せた。そして部屋を後にする彼女の後ろ姿を見つめていたシオンの視界に入るのは、リリーナと入れ替わるタイミングで入室してきた少女だった。
十四歳ほどの少女。それは薔薇のごとく可憐で、紫色のセミロングの髪に同色のドレスを身に着けている。
まさに彼女は……マリアそのものだった。
少女も普段、人がいないはずなのに突然の来訪者に驚いている様子だった。シオンは「誰かしら?」と語り掛ける。
「あの……ここを掃除するように言われているんです」
「掃除?」
「あ、はい。我が家の家訓でこの部屋と下の大広間を必ず清掃するようにって」
「変わった家訓を持つ家もあるのね。あなた、名前は?」
「私はマリアって言います。あの……この部屋に何か所縁のある方ですか?」
かつての自分と同じ名。そしてかつての自分と瓜二つの少女を見つめ、シオンは微笑んだ。
「まぁそういったところね。その家訓って何?」
「私の曾祖父から受け継がれる家訓なんですけど、週二回必ずこの部屋を掃除しろって言うんです。何でも曾祖父の言葉によると『あの方が必ず帰ってくるから』という理由だそうです。私はよくわからないんですがなんか習慣になっちゃって」
「そう」
シオンは短くそう答えただけだった。
しかし、彼女の脳裏には過去の映像が鮮明に蘇っていた。この少女の言う「家訓」にシオンが覚えがあるからだ。
ゆっくり目を瞑るシオン。彼女の意識が過去へと時間を遡っていく……。
「隊長! マリア隊長ーーーー!」
王都解放軍兵舎内、紫の薔薇騎士団の隊長室。
その中でシオン・イティネルが声を張り上げていた。彼女の隣では騎士の一人がマリアとの掛け合いに苦笑している。
マリア・デスサイズは椅子に腰かけ、普段と変わらずトマトをかじっていた。その顔はどこか不機嫌そうだ。
「うるさいわね。だから何度も言ってるでしょ? ツヴァイフェルの頼みなんざお断りよ。いくなら私抜きであんた達で残党を始末してきなさい」
「いやぁ。隊長いないとしまりが悪いっていうか……」
「何言ってんのよ。それに目的地は山を越えなきゃならない。兵糧の確保も考えるとせいぜいいけるのは五百人ってところでしょ。シオン。今の部隊の人数は?」
「五百一人です……」
「私抜けばちょうど五百人。文句ないでしょ?」
「それはそうですケド。隊長が『一刀確殺!』とかいってバッサリ倒しちゃえばいいじゃないですかー」
「い……いいからそうしなさい!」
頬をほんのり赤く染め、照れ隠しか顔をプイと背けるマリア。「隊長、面と向かって言われると恥ずかしいんだ」というボソッとした騎士の呟きと「隊長、カワイイ」というシオンの呟きが彼女の耳に入る。
「まぁもう流布されているんですけどね。隊長のセリフ」
「紫の薔薇騎士団! 合言葉!」
「一刀確殺ッ!」
「お前ら……」
鋭い瞳を向け、思わずトマトを振りかぶったその時、部屋にある少年が入り込む。
彼はシオンの隣にいる騎士の下に駆け寄った。困惑した表情を浮かべ、その騎士が少年を抱きかかえる。
「その子は?」
「すみません。隊長。うちの子なんです。別な部屋で待たせていたんですがどうやら抜け出したようで……」
父親に抱きかかえられ、安堵の表情を浮かべる子をマリアはじっと眺めていた。彼女の顔は先程の鋭さが消えどこか優しさに満ちている。
マリアは投げつけるつもりだったトマトを口に含むと、「気が変わったわ」と呟き、騎士へ視線を移した。
「私が出陣する。その代わりあんた。残りなさい」
「え? 隊長。自分は行きますよ!?」
「あんたには別に仕事を与えるわ。残党なんざさっさと片づけてくるからその間にこの部屋と大広間を掃除なさい」
「そ……掃除ですか!?」
「そうよ。祝杯をあげる場所が汚れてては盛り上がらないでしょ? いいわね?」
驚きを隠せないながらも承諾した騎士にマリアは一瞬、微笑みかけ「シオン、いくぞ」と歩み出す。その後をシオンは追従するが、彼女は騎士に向けてウィンクしてみせた。
騎士は戸惑いながらもマリアの言いつけを守り、掃除を怠らなかった。
しかし、その部屋で祝杯があげられることはなかった。
残党狩りに出撃した紫の薔薇騎士団は、誰一人として戻らなかった。だがその唯一の生き残りである騎士は、いつかマリアが戻ると信じて常に掃除を欠かさなかった。
そしていつしかそれは家訓となって受け継がれていた。
百五十年の時を経て戻ったシオン・デスサイズは、心の中でその騎士に語り掛ける。
この馬鹿め。まだ続けていたのか……と。
目を開けたシオンの視界に入るのは、マリアの姿だった。
彼女の瞳がシオンを覗き込む。
「今、思い出したんですけど、曾祖父がこんなことも言ってたそうです。『副官殿は私を助けてくれた』と」
「助けた……?」
その言葉で思い出すのはシオン・イティネルだ。
彼女は当時、マリアに頑なに出撃するように迫っていた。兵糧を用意できるのは五百人分。彼女が報告した騎士の数は五百一人。思えばその数は「正確」だったのか?
マリアは騎士の管理をシオンに一任していた。そんなマリアが正確な数を知っているとは限らない。用意できる兵糧の数を知っているシオンが「わざと一人多く申告」していたのではないか。
おそらくシオン・イティネルは、騎士の一人が子持ちなことも知っていたはずだ。そして、それをマリアが知れば自らが出陣し、その騎士を残すことを確信していたのではないだろうか。
つまりマリア・デスサイズは、シオン・イティネルにまんまと一杯食わされたのだ。
(あのトマト副官め。最後に私を出し抜くか)
シオン・デスサイズは、心の中でそう微笑んだ。
その時、少女マリアが語り掛ける。
「あの。時間ですので私、下の大広間を掃除してきます。ゆっくりしててください」
「……そうするわ」
可愛らしく一礼すると、マリアはドレスをひるがえし部屋を後にした。
誰もいなくなり静まり返った隊長室で、シオン・デスサイズはかつて自らが掲げていた連隊旗を見つめ言葉を紡ぐ。
「少し遅くなったけど、約束通り戻ったわよ。ここに」




