第67話「遭逢<そうほう>」
死神。それは数百年の時を生きる魔人。
体を切り刻まれても再生し、完全に消滅しても時と共に復活する。真の不死者だとリリーナは聞いていた。
そんな化け物がコンフィアンス領とシュトルツ領の境界線に位置する砦「アミナ」近くの森林内に潜んでいるという。すでに討伐隊が結成され、彼らが集結している即席のテント内にリリーナが到着した。
討伐隊隊長の話では、すでに数十名の騎士を送り込んでいるが誰も戻らないという。即座にリリーナが索敵の目にて森林内を探ったが、生きている人間の生命反応はない。
だが一つだけ女とおぼしき反応があった。森林の中央で静かに佇むその対象が、はるか遠くにいるリリーナの方角へ振り向く。
真紅の瞳。
索敵の目では顔までは判断できない。しかし血のように赤い瞳だけが暴力的な輝きを放っている。その瞬間、リリーナを襲うのはただならぬ死の気配。
当然、対象から彼女を感知することなど到底できない。しかし背筋に緊張が走るのを感じながら、リリーナはおもむろに呟いた。
「……化け物だな」
「リリーナ殿。向かった騎士の詳細はわかりましたか?」
「全滅だ。一人たりとも生きてはいない。これでは騎士を向かわせるだけ無駄だろう。私だけでいい」
驚く隊長に切り捨てるかのような冷徹な声音を発し、リリーナが白いローブをひるがえす。
鼻をくすぐるは深緑の香り。柔らかな陽光と澄み切った蒼穹。
木々の隙間を縫って光の帯が地上に差す光景は、幻想的かつ美しい。しかしリリーナの目の前に広がっているものは、それとは真逆の地獄。
おびただしい死体が一面に転がっていた。首を切り離された者。胴体を真っ二つに切断された者。それも鎧ごと。
木の幹に大量の血糊を残し、数十名の騎士が一刀両断の下、斬殺された後だった。
それを冷静に見据えるリリーナに漂うのは濃密な闇の波動。
まるで喉元に鋭利な刃を突き付けられているかのような錯覚に陥るほどの殺気。それは、対象がリリーナの存在に気が付いている何よりの証拠だ。
だが彼女は臆することなく足を踏み入れた。目の前に広がるのは森林の中央にぽっかりと空いた空間。周りを木々に囲まれた広場の真ん中で、一人の女が切株に腰を下ろしている。
黒曜石のごとく美しく長い黒髪。黒と赤を基調としたショートドレスを着た妖艶な美女。
彼女は無言で空を見つめていたが、リリーナが近づいたと同時に真紅の瞳を向けた。そして女神の現身たるリリーナの姿を視界に収めるなり、驚いたかのように一瞬、目を見開く。
リリーナは緊張の糸を解くことなく慎重に歩み寄った。
「アフトクラトラスから来た魔法使用者リリーナ・シルフィリアだ。お前が死神か?」
「死神かと言われたら正解よ。でもそれはあなた達が勝手に名付けたもの。私にはシオンという名がある」
「国王よりお前を討伐する命が下っている。お前に私怨はないがその命、狩らせてもらう」
リリーナから発せられるは青白い魔力の奔流。見る者に恐怖を与えるほどの暴力的な圧力を前に、死神と言われた女はゆっくり立ち上がる。
まるで彼女の膨大な魔力をそよ風に感じているかのごとく軽やかに歩み寄るシオンは、刃を繰り出すどころか微笑んでみせた。
「出会い頭、いきなり殺すっていうのは私は嫌いじゃないわ。でもとりあえず話をしてみるのも必要ではなくて?」
「どういう意味だ?」
「ねぇ。あなたは私を敵だと思っているでしょうけど私は違うわ。私とあなたは……お友達になれると思うのよ」
突如、鼓膜を震わすのは悪魔の囁き。
それはリリーナを地獄に誘い込む罠なのか。それとも彼女に差し伸べられた救いの手なのか。
リリーナはシオンに鋭い瞳を向けたまま思案していた。確かに彼女に敵意は感じられない。あの暴力的なまでの強烈な殺気は鳴りを潜めている。
お友達。これが意味するものは何か。
おそらく彼女は何かを知っている。それもリリーナにとって必要な情報を。それを理解し彼女は共闘を提案していると考えるのが妥当だろう。
目的は不明だが彼女にとってリリーナの力が必要なのだ。そこから生まれるは利害の一致。すなわちそれが「お友達」だとシオンは言いたいのだろう。
「お前ほど怪しい女と友達になれだと? 正気か? それに私は胸の大きい女は嫌いなんだ」
「この際、そういう個人の感情はしまっておきましょう? 私だってあなたは誰かさんにそっくりで子憎たらしいんだから。ただお友達になった暁には、あなたは必要な情報を手に入れられる」
「お前の目的はなんだ?」
「剣王の首を落とすことよ。そしてあなたが持つその憎悪。それは七賢者に向けられたものかしら? それならば私と共闘する価値はあるわよ?」
この言葉でリリーナの思考が明瞭になる。
何故、国王ヴェルデはこの女を狙っているのか。それは彼にとって闇へと消したい情報をこの女が握っているからに他ならない。
そしてそれはリリーナにとって、トレラント・エスペランスを殺し戦争を起こそうとしているヴェルデと、自らの復讐の対象である七賢者の下へ行くのに必要となることだろう。
この女は狡猾だ。心の底で牙を研ぐ七賢者への殺意を見抜き、それを餌にリリーナへ共闘を持ち込む。そして自らの目的達成をも狙う。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。目的を成すのに自ら死地へと赴くのもまた必要。
突如、リリーナが緊張を解く。それと同時に魔力の放出が鳴りを潜めた。
「いいだろう。お前と私は利害が一致した関係にある。お前の提案を呑もう。ただしこちらにも条件がある」
「何かしら?」
「ここで死んでくれ」
「はぁ? あなたね。私の話、聞いてる?」
「死んだふりをしてくれという意味だ。お前が死なないと、私は王宮魔術師への唯一の道が閉ざされる可能性がある。それに敵にお前が死んだと思わせれば水面下で動くこともできる。悪い話ではないだろ?」
「なるほどね。だけどどうやるの? 剣王ヴェルデだって馬鹿ではないわ。私がそう簡単に死なないことは知っているはずよ」
シオンの声にこれが答えだと言わんばかりに、リリーナの足が大地をトントンと三回、小さく打つ。その瞬間、リリーナが青白い光に包まれた。
彼女の足元に浮かび上がるは幾重にも刻まれた魔法陣。三重・魔力増幅魔法陣だ。
「大丈夫だ。第三者から見てお前が消滅したと思えるほどの一撃を繰り出せばいい」
巻き起こる魔法風。そして竜言語によりサファイアの瞳に刻まれ、高速で脳内詠唱されていく魔法構成。
膨大な魔力が彼女の左手に収束し、掲げたその頂きに青き奔流が乱れ狂う。
それを見て死神シオン・デスサイズは目を見開き口角を上げた。
まさかこれほどとは。これが神の子の力かと。
予想を上回るリリーナの力にシオンはそう心の中で歓喜していたに違いない。
今、まさに最上位魔法である神々の怒りが降り注ぐその時シオンは、眩い光に包まれながら笑顔で語る。
「できればこの場所は無傷にしてほしいわ。ちょっとね。大切な場所なのよ」
その言葉にリリーナは静かにうなずいた。
二人とは遠く離れた場所にいる騎士達でさえ震撼させるほどの巨大な轟雷が大地を打った。
程なくしてテントに戻ったリリーナにより「最上位魔法により死神を討った」と聞かされた隊長は、直ちに早馬にて国王へ報告。史上初である最上位魔法の単独行使と轟雷を目撃した騎士団の証言により、ヴェルデは首を縦に振るしかできなかった。
こうして王都へと帰還したリリーナに「王宮魔術師」の称号が与えられることとなる。
誰もいなくなった森林で。人影が木の枝にぶら下がっていた。
体の半分を消失させ片足だけで辛うじて揺れている彼女は、先程、リリーナと対峙していたシオン・デスサイズである。
前人未踏の最上位魔法の単独行使。それはさすがのヴェルデも消滅したと思わざるを得ないだろう。
だが不死である彼女だからこそ生きている状態である。仮にまともに被弾した場合、最悪、消滅していたと思われた。半身だけでも残っているそのことが、リリーナが手加減していたことの証だ。
「たぶん、死なない」
そう女神の現身たる子憎たらしい少女が呟いていたのを思い出して、シオンは苦笑した。
「たぶん……ねぇ。ちょっと躱したんだけどあの子。本気で殺す気だったんじゃないでしょうね。しかし最上位魔法の単独行使なんて監視者とほぼ同等の実力じゃないの。今だ未熟な体でその力。ゾクゾクするわね」
シオンの整った唇が口角を上げる。
彼女の大鎌の刃は確実にヴェルデの喉元に近づいているからだ。




