第65話「少女の決意」
物言わぬ骸へと変わり果てた父親を見たフランは、絶句し膝をついた。
エスペランス家当主トレラント・エスペランスは、リリーナから信書を受け取ったその後、死体となって発見された。
場所は王都内でも比較的、貧しい者達が住む貧困街。本来、貴族など決して訪れない場所であるうえに、死体が放置されていたのは人気のない路地裏だ。別な場所で殺害されここまで引きずられたと思われた。
フランと共に駆け付けたリリーナが最初に注視したのは広範囲の裂傷である。致命傷に至っているその傷は刃物によるものではない。
精霊魔法。僅かに残った風の精霊の残滓がリリーナにそう告げていた。透明な体により姿を透明化させ、魔法により静かに確実に仕留める暗殺に特化した魔法使用者による犯行だと思われた。
危険な存在だがリリーナの持つ索敵の目では、いくら透明化していても丸裸も同然である。彼女が護衛をしていたのならおそらく結果は変わっていたことだろう。
それがリリーナの精神を激しく波立たせた。
何故、あの時、強引にでも護衛をしなかったのか!
失われたのはトレラントの命だけではない。彼が手にした信書も死と共に闇へと消えた。
泣き崩れるフランとトレラントの死体がサファイアの瞳に映りこむ。リリーナにはそれが幼い自分と死んだケンウッドの姿に重なっていた。
「なんでこうもあっさり死ぬんだよ! 貴族なんていうクソな階級を無くすんじゃなかったのかよ! みんな平等な世界を目指すんじゃなかったのかよ! このクソ親父!!」
死体安置所に響き渡るフランの号泣。その姿を離れた位置でミッドヴィルが静かに見つめている。
その時、突如、彼女の嗚咽をリリーナの言葉が切り裂いた。
「……君がなればいい」
ピタリとフランの涙声が止まる。
「君が女王になれ。そして私は賢者になって君を支える」
トレラントの死体に覆いかぶさる白いシーツを涙で濡らすフランの瞳が見開いた。そこに最早、涙など一滴もない。
小刻みに震えながらも上半身を起こす彼女の手をリリーナは優しく握りしめた。
七賢者になるのは彼らに復讐するためだった。
自らの大切なものを根こそぎ奪っていった彼らを賢者から引きずり落とすため、フランに近づいた。
しかし今のリリーナは変わっていた。
いつしか賢者を目指すその目的は、フランを支えるためになっていた。
数か月後。
闇に消えた信書の内容は依然、判明していない。当然、トレラント・エスペランスを殺害した黒幕も不明である。
だがリリーナは一つの結論に達していた。それは彼を殺したのは、間違いなく五大貴族かそれより上の権力を持つ存在だということ。
何故なら殺害方法から暗殺特化の魔法使用者を雇えるほどの資産を持つ者であるのがまず一つ。金銭が奪われていないことから、強盗や盗賊による犯行でもないのはもう一つ。
そして、信書の存在である。
彼が殺害された最大の理由が、信書を手にしている故に起こったと考えるのは当然である。リリーナと別れる際の彼の豹変ぶりからトレラント本人……いやエスペランス家にとって衝撃的な内容であり、彼がそれに対して何か行動を起こした故に殺害された。
貴族である彼が商人や平民の企みで動くとは思えない。貴族を動かすのはまた貴族である。もしくは彼より上の位に属する者。
リリーナはそう考えた。そして、信書の内容を知るもう一人の人物と会う機会をひっそりと待ち続けた。
その日は天より降り注ぐ雨が地面を強く打つ悪天候だった。
陽が落ちた夜。エスペランス家の邸宅にある人物が訪問する。黒髪を後ろに纏め青い礼服を着た男性。彼こそはリリーナが待ち続けた人物であるミゼリコルド家当主エレオス・ミゼリコルドである。
エレオスはしばらく王都を離れていたが、護衛であるミゼリコルド魔法騎士団と共に王都へ帰還した。自らの邸宅がある王都への護衛としてはあまりに厳重すぎるその理由は、彼があの信書の内容を知っているからに他ならない。
トレラント・エスペランスを死に追いやった信書。それは内容を知っているエレオスの命の危険をも孕んでいるのだ。
白いクロスの敷かれたテーブルを囲み、エレオスとリリーナ、フランが椅子に腰かけていた。
リリーナの瞳には小規模な魔法陣が浮かんでいた。それは索敵の目であり、館に近づく者は全てが彼女の索敵の網にかかる状態だ。
そしてそこでエレオスの口から語られるのは、信書に書かれた真実である。
「戦争!?」
「はい。私が掴んだ情報は武人の大国<プロエリウム>が我が国に戦争を仕掛けるというもの。そしてその戦地となるのがエスペランス領と予想されます」
「エスペランスですって!?」
驚愕の表情を浮かべ思わずフランが立ち上がる。しかし隣に座るリリーナは至って冷静だ。
「エレオス様。以前、<プロエリウム>とは戦争をしたという話は聞きましたが何故、今頃になって再戦が?」
「以前の戦争ではプロエリウム兵を数百人捕縛し捕虜としました。どうやらその捕虜を皆殺しにするという情報をプロエリウム側に流した者がいます」
「……他国ではないですね。おそらくアフトクラトラス側の人間」
「だと思われます。なので私は信書にこう記しました。『捕虜を殺そうとする者がいる。速やかに捕虜を解放し停戦を模索せよ』と。それを見てトレラントは収容所へ向かい、その途中、何者かに殺害されたのでしょう」
エレオスのその言葉にリリーナが素早く立ち上がる。そのサファイアの瞳には冷酷な光が宿っていた。
突然の行動にフランが顔を覗き込む。
「リリーナ?」
「エレオス様。捕虜を収容した施設の場所を教えてください。直ちに向かいます」
「何をする気ですか?」
「最低でも一人。捕虜を助けます。おそらく黒幕は収容所を襲撃するでしょう。数百人いる捕虜を皆殺しにするのは容易ではない。必ず数人は混乱に乗じて逃げるでしょう。その彼らを保護し、そして暗殺者の一人を生け捕りにします」
「まさかリリーナ殿。暗殺者の一人から黒幕まで辿るおつもりですか!?」
「そのほうが手っ取り早いです。さらに捕虜の一人からプロエリウムの内情も聞ける」
「しかし、簡単に口を割るとは到底……」
「それならば脳に直接聞きます」
リリーナのその言葉にエレオスは背筋に戦慄が走ったのか、一瞬、体を震わした。
目的を成すためには、手段を選ばぬ冷酷さも必要。目の前にいる小さき女神の目がそう語っていた。
暗闇に閉ざされた夜。大粒の雨は止んでいた。
しかし滴る赤い雫は、雨に代わり大地へと赤い水紋を描いている。闇夜に紛れ黒装束に身を包んだ男は、黒い外套をひるがえし対象を追う。
それは一人の男だった。アフトクラトラスでは滅多に見ない茶色の肌。どことなく異国の風貌を漂わせた彼はこの国の人間ではなく、武人の大国「プロエリウム」の前線の指揮官だった男である。
前回の戦争において捕虜となり収容所にいた彼だが当然、死ぬ覚悟はできていた。しかし目の前で繰り広げられた光景は、とても「処刑」などではなかった。
斬殺。鏖殺。それも一方的な虐殺。音もなく収容所を襲撃した黒装束どもが片っ端から捕虜を切り刻んだのである。それもこの国の兵士ごと。
混乱に乗じて男は逃げ出した。そして、今、彼に死が迫っている。
路地裏に逃げ込んだその時、彼は立ち止まり、戦慄が走ったかのごとく体を震わせた。
暗闇に浮かび上がるは二つの青き炎。輝くサファイアの瞳を携え、白いローブを着た少女が立っていた。だが見た目に反して彼女から発せられるのは、湿り気を帯びた濃密な殺意。
「……とりあえず一人は確保か」
小鳥がさえずるがごとく美しき旋律で、それでいて冷酷な声音を奏でリリーナが動く。
目の前の殺意に暗殺者が対象を変更。追いついた男を払いのけ手にする短剣を投擲。しかしその刃は彼女に届くことなく魔法障壁で弾かれ火花と共に宙を舞った。
即座に懐から別な短刀を逆手に握り、黒装束が素早く踏み込む。その瞬間、暗殺者の体に打ち込まれるは不可視の剛槌。
念動力による重い一撃により体をくの字に曲げ、黒装束の男は地面でのたうつ。そして気絶したのかピクリとも動かなくなった。
プロエリウムの男は突然の出来事にその場に座り込んだ。蒼白とする彼にリリーナはまるで何事もなかったかのように平静な表情で近づく。
白く細い指が男の目線へと添えられた。
「少し眠っててもらおうか。君には死んでもらっては困る」
睡眠の魔法により強制的に睡眠状態にされた男を一瞥し、リリーナは闇に染まる先を見据えた。
彼女の索敵の目には、視線の先にある闇に染まった収容所の中で、虐殺の饗宴の模様が繰り広げられていることだろう。
殺意を漲らせたサファイアの瞳が青く浮かび上がる。
「さて、宣戦布告の狼煙をあげるとするか」




