第61話「金色の令嬢」
エスペランス領に位置する行商の街メルカトール。年一度、その街は一際、活気にあふれる時期がある。
それはメルカトール名物「武術大会」である。武術といっても武器、魔法の使用は可能で、相手を殺すことはご法度だが怪我人程度は当たり前のように続出する比較的、過激な大会である。
優勝賞金も多額なため、腕に覚えのある荒くれ者や傭兵なども参加するこの大会。今年は例年とは決定的に違う点が存在した。
それは優勝したのが十三歳程度の少女だったのである。
手元が見えないほどダブダブにたるんだ袖口を上げ、青いローブを引きずり歩く花のように可憐な小さき女神。彼女は荒くれ共を指一本で打ち倒し優勝をもぎ取った。
決勝戦で少女と戦った傭兵のアセムはこう語る。
「何が起きたか俺にもさっぱりわからねぇ。指が見えた途端、とてつもなく固く重い何かが頭に当たって気を失ったんだ! あの青い目に銀髪のガキは人間じゃねぇ!」
こうして武術大会の歴史を塗り替えた少女……リリーナ・シルフィリアは、賞金の入った革袋を頭の上に浮かべ、雑踏の中へと消えていった。
煉瓦造りの美しい街並み。柔らかな日差しと行き交う人々。
そんな中、一目を引くのは輝く銀色の髪だ。だがリリーナは周囲の視線を気にする様子もなく歩を進めていく。
武術大会がある日。そして賞金が詰まった革袋。さらにそれを手にしているのはか弱い少女。雑踏に紛れ横取りしようとする輩は後を絶たなかった。
しかし彼らはことごとく地面に寝そべる結果となる。ある者は見えない壁に弾かれ、ある者は尻に火が付き暴れ、ある者は見えない力で宙を舞った。
幸い死人が出るには至っていない。だが噂を聞きつけ現れた盗賊に短剣を突き付けられた際、リリーナの瞳の色が変わった。可愛らしい外見とは真逆の氷のように冷たく冷酷な光を宿し、濃密な殺気が周辺に漂う。
「……それ以上、近づかないで欲しい。抑えるのが大変なんだ」
燃え上がる青白い炎を思わせるサファイアの瞳に恐怖を覚えたのか、盗賊はそれを境に彼女の前から姿を消した。
リリーナ自身、気が付いていた。
自分の中には冷酷な存在が潜んでいる。まったく同じ容姿を携えた人をゴミとばかり踏みにじる神の姿が。そしてそれは明らかな敵意を前にした時、彼女にとって代わり全てを破壊するのである。
リリーナはひたすらそれを抑え込んだ。決まってその時、脳裏に蘇るのは今は亡きケンウッドの笑顔だった。
もはや彼女を狙う者など皆無となった昼下がり。燦燦と輝く太陽を影が覆う。
それは雲などではない。小柄な彼女が見上げるほどの大男が目の前に立っていたからだ。黒い執事の服とエスペランス領では珍しい黒い肌。短髪に服の上からでも筋骨隆々な体格が分厚い筋肉を誇示している。
リリーナは無表情で眺めていたその時、大男は突如、彼女に丁寧な礼の姿勢を取った。
「武術大会の模様を拝見しておりました。お見事でございます。そして優勝、おめでとうございます」
「はぁ。どうも」
「申し遅れました。私はミッドヴィルと申します。エスペランス家の執事をしております」
「エスペランス……」
リリーナの脳裏を過るのはケンウッドから託された書状だ。
中身は当然、目を通していない。ただあの状況で渡した経緯を考えると、おそらくリリーナの面倒を見てほしいという旨が書かれているのは想像にかたくない。
そして彼女にとってもエスペランスとの接触は好都合だ。リリーナの狙いは七賢者の元へと到達すること。それにはまず五大貴族との友好関係は必要不可欠である。
リリーナは心の奥底で細く笑む。ここは話に乗るべきだと。
「エスペランス家が私に何か?」
「実は当家のお嬢様があなたに会いたいと申しております。武術大会優勝の腕前を見込んでお願いしたいことがあるのです」
「それは願ってもないことです。実は私もエスペランス家に渡すよう頼まれたものがありまして」
リリーナは、丈夫な皮で作られたバッグの中からケンウッドに託された書状をミッドヴィルに渡した。彼はそれを目にするなり驚いたのか目を見開く。
「これはケンウッド様の書状。……あの方に所縁ある方でしたか。これは運命の糸というものを感じずにはいられません。ぜひエスペランスの別荘へ。馬車をご用意しております」
リリーナを乗せた馬車はとある豪邸の前で蹄を止めた。
木と煉瓦で建築された邸宅。その前に広がる庭には巨大な旗が風になびいている。黒の下地に金色の美しい花に囲まれ、二本の対となる双剣が刺繍されたそれはエスペランスの家紋である。
馬車から降りたリリーナは、広く装飾された部屋でしばらく待った後、侍女に促されミッドヴィルと共にある部屋へと足を踏み入れる。
彼女の瞳に映るのは可憐な令嬢。桃色のドレスに腰まで流れる美しい金髪。整った顔立ちに輝くエメラルドの瞳が特徴的な少女だった。
彼女はリリーナを視界に収めると、両手でドレスの裾を持ち上げ笑顔で礼をしてみせた。
「お初にお目にかかります。可愛らしい銀色の魔法使い様。私はエスペランス家長女フラン・エスペランスと申します」
「リリーナ・シルフィリアです。この髪をみても驚かれないのですか?」
「確かに銀色の髪ははじめてみました。実際に目のあたりにするととても美しいですね。神話の女神のよう」
その言葉がリリーナにとって意外だった。
銀色の髪は蔑まれる対象にしかないと彼女は思っていた。他人と決定的に違うそれは自らを孤立させる要因にしかならないと。
しかし目の前の少女は、ケンウッド以外でそれを褒めた最初の人となった。そしてリリーナには何故か彼女が上辺だけで会話する人間には見えなかった。彼女が醸し出す温かな空気がそう感じさせた。
「ありがとうございます」
「どうぞこちらへ。詳しいお話しをさせていただきます」
フランに促され椅子に腰かけるリリーナ。タイミングを見計らったかのように扉が開き、侍女がテーブルの上に何かを置くと一礼して去っていった。
かぐわしい香りが漂う。リリーナは目の前で揺れる赤茶色の紅茶を一瞥し、フランへ視線を移した。
「実は私達は今、あることに難儀しております。詳しいお話しをさせていただくと、とある信書を王都にいる父に届けないといけないのですが、途中にある道が封鎖されてしまって通過することができません。そこで危険ですが山を越えようと思っているのですが、その際の護衛をお願いしたいのです」
「……失礼ですがエスペランス家ともなれば、護衛の一人や二人は容易に揃えられるのでは?」
「そ……それはですね……」
一瞬、言葉を詰まらせたフランを見てミッドヴィルが間髪いれずリリーナへ耳打ちをした。
「実はお嬢様はお忍びでここにいらしております。エスペランスの騎士はおろか街の衛兵や傭兵に護衛を頼むことも今はできません。お察しください」
その言葉を耳にしてリリーナは苦笑する。
つまり彼女は父親であるエスペランス現当主に内緒でここに来ているということだ。しかもその様子から特別、要件があるわけではなく、言わば「お遊び」で王都を抜け出してきたといったところだろう。
どうやら見た目に反してかなり「おてんば」なお嬢様のようだった。
「何故、封鎖を?」
「それが私達にも全くわかりません。衛兵に聞いてものらりくらりな返事のみで」
リリーナはバッグから地図を取り出すと、サファイアの瞳が地図上を駆け巡る。
「その道はアイディール領ですね」
「はい。王都への最も近道がそこです。他は山を越えるか、それ以外だと近いですが最も危険な場所である<魔風の峡谷>を抜ける必要があります」
「少し質問をいいですか? アイディールとエスペランス、何か問題はありましたか? 答えられる範囲で結構です」
おそらく予想外の質問だったのだろう。フランは驚いたのか瞳を見開くとしばらく考え込み、顔をあげると首を横に振った。
「私の知ってる範囲ではアイディールとエスペランスの間で何も問題は起きていません。何故そのような質問を?」
「封鎖が意図的な可能性があります。まるで貴女を王都へ行かせないかのようにいきなりの封鎖。しかも理由も定かではない。……その信書というのを少し見せてもらえませんか? もちろん中は見ません」
リリーナの言葉に思案するかのように視線を落としていたフランは、意を決したのか突如、顔をあげると微笑みを見せた。
「不思議な方。あなたを前にすると、何もかも見透かされているような錯覚に陥ります」
フランは部屋の奥から一つの信書を持ち出しリリーナへ手渡した。
「友好関係にあるミゼリコルドの使者から渡された信書です。彼も封鎖により立ち往生しており、そこに丁度私がいたもので。なんでも緊急の用だとのことです」
「拝見します」
リリーナは手渡された信書を見つめる。
おそらくフランには見えないであろう。しかし霊的性質を秘めたサファイアの瞳にははっきりと映っていた。
多重結界。
ミゼリコルドの印が押された部分に三重にも及ぶ結界が張られている。この封印を解かない以上、この信書の中を見ることは不可能だ。
並の魔法使用者では判別すらつかないほど巧妙に仕組まれた結界に、リリーナはわずかに細く笑んだ。
ただの信書にこのような多重結界など本来、あるはずのない行為。非常に興味深い。
「ありがとうございます。では本題に入りましょう。その護衛の件、引き受けます」
「本当ですか!?」
信書をテーブルの上に置き、そう言葉を紡ぐリリーナにフランの表情がパッと明るくなる。
「そこで王都への道ですが、封鎖を強引に突破するのは得策ではありません。だからといって呑気に山道を登っては時間がかかってしまいます。なのでここは<魔風の峡谷>を通りたく思います」
「魔風の峡谷!? 確かにアイディールの道以外では最も近道ですが、いくらなんでもそれは危険ではないですか?」
「そのために私がいます」
フランは一瞬、戸惑った様子だがリリーナのサファイアの瞳をしばらく見つめると、微笑んで見せた。
目の前の小さな女神の言葉には身を委ねられるほどの力がある。有無を言わさぬ圧力とは違う、包み込みながらも不安を吹き飛ばし後押しする強さがある。
それはまるで自らの母の言葉を信じる子供のような感覚だとフランは感じたのかもしれない。
「……本当に不思議な方。あなたの言葉には何故か頷くことしかできませんわ。ではお願い致します」
「わかりました。それでは報酬の話をしましょう」
「お忍びとはいえ満足のいく額を提示できると思います」
「残念ながら私は金というものにあまり興味がありません。別なものでお願いします」
「そ……そうですか。それは困りました。では何をお求めですか?」
「ぜひあなたと友人関係を築きたい。私は寂しがり屋なのです」
笑顔で語るリリーナを見つめ一瞬、驚いたかのように目を見開いたフランだが、次第に整った顔が笑顔を浮かべた。
「かしこまりました。それは私も求めるものです。一目見た時からあなたには何か特別なものを感じていました。それに……ケンウッド様にもお応えできますわ」
ケンウッドの書状。そこには短くこう書かれていた。ぜひ、リリーナの友となっていただきたい……と。
彼は理解していた。リリーナにとって最も必要なもの。それは人の側にいられるように留められる存在。自らが亡き時、彼女を支えられる人間が必要だと。
ケンウッドはリリーナを拾う少し前に生まれたフラン・エスペランスにそれを求めていたのだ。
フランとリリーナはほぼ同時に立ち上がり、お互いの手を優しく握りしめた。
リリーナにとって「友となりたい」という言葉の真意は、エスペランス家と繋がりを持ち七賢者に近づくためだった。フラン・エスペランスという人間を心から求めていたわけではなかった。
しかし当初の思惑とは違い、彼女は後にリリーナの中で生き方を変えるほど大きな存在となる。




