第59話「巡り合う場所」
引き抜かれたと同時に噴出する鮮血が暗闇に散る。
聖剣の刃は精密に心臓を貫いていた。本来、例え致命傷に至る傷であってもシオンの体は即座に再生する。しかしヴェルデの持つ聖剣<ホープアヴェリオン>には神聖魔法が付与されている。それが再生を阻害するのである。
故に彼女の体が動けるのはもって数分といったところだった。
ゆっくりとあらたな肉体へと生まれ変わったヴェルデが聖剣の切っ先をシオンへ向ける。
ふらつきぼやける視界の中で彼女の瞳に映るのは、左足を踏み込み斬撃を振るおうとするヴェルデの姿。例え死神とはいえ弱点である神聖の刃で首を切り落とされれば、その場での即時再生は不可能である。
それはシオンの実質的な敗北であり、ヴェルデによる民の命を吸い続ける王国の実現を意味した。
白刃が煌めくその瞬間、シオンの脳裏に声音が響く。
それは監視者の声ではない。念話でもない。過去の映像……シオンがまだマリアだった時の光景だった。
シオン・イティネルがマリアを見つめる顔が浮かび上がる。瞳に映る表情は、死ぬ間際の人間とは思えない穏やかさを湛えていた。
『あなたが成す事をどんなことであろうと見ていきたい』
何故、この光景を見せるのか!
マリア……いや、シオン・デスサイズは心の中で叫ぶ。
あいつが見たいものは、無様に首を切り落とされるマリアなはずはない!
血に濡れた歯を食いしばり、シオンの体が動く。急速に右手に収束されていくのは漆黒に渦巻く闇。それは死神の大鎌を凌駕する濃度と大きさを有していた。
「お前が何度でも転生するのなら……二度とできないようにその魂を切り裂くだけだ!」
闇が霧散する。
具現化するは金剛石の刃。先端が湾曲した巨大な刀身に長い柄から伸びる鎖。虹色に輝くそれは神殺しの刃だ。
「神殺しの征服者! 転生者を死に還せ!」
聖剣の白刃より早く金剛石の刃がヴェルデへ白銀の弧を描く。
咄嗟に彼は聖剣の軌道を変え、渾身の力をこめ神殺しの刃へと打ち込んだ。その瞬間、ヴェルデの瞳に映るものは、まるで存在を感じさせないほど音もなく聖剣を叩き切る金剛石の刃だった。
火花すら散らず駆け抜ける煌めきの奥でシオンの紅玉が輝く。
この刃を打ち込んだ後はそのまま肉体が消滅してもいい。駆け付けた兵士に細切れにされようが構わない。神殺しの征服者がヴェルデの体を切り裂けば全てが終わる。
一閃。
シオンの思いを乗せた金剛石の刃が剣閃を生んだその瞬間、彼女の体を異変が襲う。
燃えるような熱さがシオンを包み込んでいた。体の奥底から炎が沸き上がるかのような感触。それを感じた瞬間、シオン・デスサイズの体は塵へと崩れて消え去っていく。
持ち主を失った神殺しの征服者は、ヴェルデの首を切り落とすことなく輝く粒子となって虚空へと散って消えた。
彼女が立っていた場所に魔法陣が浮かび上がっていた。
魔力増幅魔法陣。幾重にも重複したそれは対アンデッド用の神聖魔法が行使された証だ。
複数の人間の足音が部屋に響く。
立ち尽くすヴェルデの視界に映るのは、純白のローブを身に纏った七人の老人だった。
「……七人がかりの神聖魔法とお主の剣での致命傷で、ようやく塵にできるほどの化け物とはの。あの刃が切り裂けばいかにお主とて滅するぞ」
「助かりました」
この国を裏で操る七賢者を前にしてヴェルデは深々と一礼する。その内の一人が歩み出て彼へ視線を送った。
「奴は死んではおらん。あの魂を完全に滅することは人には不可能だ。いずれ復活し再びお主の前に現れるぞ?」
「その時はまた奴を滅するまでです」
「王都を守護する魔法障壁も完成しつつある。それさえあればあの死神とて容易には手出しできまい」
七人の賢者はその言葉を紡ぐと身をひるがえし、暗闇へと歩み出す。
「我々の永久における理想郷の実現がはじまるぞ。剣王」
純白のローブ姿を見送り、ヴェルデは足元へ視線を移した。
彼の瞳に映るのは折れた聖剣の切っ先。幾度となくヴェルデの命を救った剣の成れの果てを見て、彼は悲しみを表情に宿すどころか口角を上げる。
もはや聖剣など不要。
彼には国内紛争によって死んだ何千人という兵士達の命が宿っているのだから。
ヴェルデの目の前に、血塗られた理想郷が広がっていた。
深緑の隙間から柔らかな光が差し込む。
木々に覆われた中、ぽっかりと広場のようになっている場所。その中央に鎮座する切株に一人の女性が腰を下ろしている。
頬を撫でる優しい風に黒髪をなびかせ、シオン・デスサイズは蒼穹を見つめていた。
彼女は女神の遺産で再生をはたした。
直後、剣王ヴェルデを殺すとシオンは宣言する。しかし世界の監視者はそれを制止した。
世界の均衡は保たれている。それが理由だった。
監視者にとって人の死など問題外だった。剣王が転生者となっても一向に構わない。それによって幾度となく民が犠牲になろうと均衡さえ保たれていれば、彼女にとって憂いなどないのである。
シオンは監視者の制止を振り切り、女神の遺産を後にした。
監視者は「均衡」しか見ない。女神は自らが生み出す「完成体」しか見ない。自らの足で大地を踏みしめ、そこに生きる者達を直接見ているのはシオンだけだ。
生を刈り取り、死を与える死神と怖れられた女だけが唯一、人と接している。時に命を狩り取り、時に命を救い、時に聖母のごとく人を見守り、時に残虐に見捨てた。
ゴミと罵る彼女だけが人の側にいたのだ。
シオンは魂吸収を阻止する方法を模索しながら、時に剣王の追撃をかわし旅を続けていた。
何年、何十年、何百年たったであろうか。もはや通り過ぎた月日すら忘れかけたその時、彼女がたどり着いた場所がとある森の中だった。
それはシュトルツ領の端。コンフィアンスとの境界線付近に建築されている「アミナ砦」に隣接している森林だ。
その森こそ、マリアだった彼女がシオン・イティネルと出会った場所だった。百年以上彷徨い、たどり着いた場所がまさか彼女とはじめて出会った場所だったことにシオンは微笑みを浮かべた。
そしてそこでシオン・デスサイズは、彼女の生き方を変える人物と巡り合うことになる。もしかしたら「彼女」と会わせるためにシオン・イティネルがここへ導いたのかもしれない。
木々の間を縫い歩み寄る人影にシオンは紅玉を向けた。
その瞬間、驚愕で彼女の瞳が見開く。目の前にいるのはシオンの創造主である創生の女神シルフィリアだったからだ。
海のように青いサファイアの瞳。この世に二つとない光り輝く銀色の髪。花のように可憐で美しい少女。それは見間違えることなどありえないほど精巧に神を復元していた。
神の現身たる少女は、小鳥がさえずるがごとく可憐な声を響かせた。
「アフトクラトラスからきた魔法使用者、リリーナ・シルフィリアだ。お前が死神か?」
「死神かと言われたら正解よ。でもそれはあなた達が勝手に名付けたもの。私にはシオンという名がある」
「国王よりお前を討伐する命が下っている。お前に私怨はないがその命、狩らせてもらう」
小柄な体から発せられる膨大な魔力。冷酷さを湛えた青い瞳。それを目にしてシオンは大鎌を具現化するどころか微笑んだ。
彼女は……使える。その女神の子たる強大さにその瞳の奥に渦を巻く憎悪を感じてシオンは確信する。この少女なら自らの目的を達成させてくれる……と。
そして、シオンは彼女……リリーナ・シルフィリアに悪魔の囁きを響かせた。
「ねぇ。あなたは私を敵だと思っているでしょうけど、私は違うわ。私とあなたは……お友達になれると思うのよ」
目的を達成し相手を狩るには時に搦め手も必要。
笑顔を見せるシオン・デスサイズの中に殺意が渦を巻いていた。




