第56話「死者の前夜祭」
ヴェルデが国王となる戴冠式の前日。
アフトクラトラスの空を夕陽が照らし、徐々に暗闇へと移行していくその時、ヴェルデ騎士団が震撼する報が流れた。
紫の薔薇騎士団、壊滅。
かつての王都解放軍も、そして一時は敵であった騎士団にもその名を知らぬ者などほぼいなかった。崖っぷちだった王都解放軍を連勝へと導き、かのヴェットシュピール戦ではゼーレ・ヴァンデルングの虚を突き、王国騎士団を分断させた。
王都解放軍には憧れを、王国騎士団には怖れを抱かせた死神の騎士達。だが、もはや彼らが王都に戻ることはない。
陽が落ちランプの光が照らす中、一人の女性がヴェルデ騎士団兵舎の板張りの通路を早足で歩いていた。兵士達の視線を釘づけにする場違いなドレスを着た彼女は、美しく長い金髪を揺らすレジーナ・エスペランスである。
レジーナは信じることなどできなかったに違いない。少なからず紫の薔薇騎士団の勇猛さ、戦闘技術の高さは敗残兵ごときに破られる代物ではなかった。さらにあの副官とすべてを束ねる強者であるマリア・デスサイズがいる。
そんな彼女達が壊滅するわけがない。その思いがレジーナの体を動かしていた。
「もう一度調べなおせ! 彼女達が死ぬわけがない!」
「ですから! すでに死体も確認しているんです! 間違いありません」
兵舎の一室で激しい口論が繰り広げられていた。それは、詰め寄るレジーナと応対するツヴァイフェルによるものである。
「ならば死体を見せてほしい! まさか回収していないとは言わせないぞ? あれほどの実績を重ねた騎士達を捨て駒だと言わないのであればな!」
「……回収していません。正確にはできませんでした。一面、焼け野原。死体は焼失。シオン・イティネルもマリア・デスサイズもです。さらに残党と思われる焼死体も大量に発見されています」
「……焼失!?」
「はっきりとしたことはわかりませんが、敵はマリア達をおびきよせた後、魔法か何かで自爆したと思われます。いくらマリアであっても、まさか戦っている最中に敵が自らもろとも火を放ち、焼き尽くすとは思っていなかったことでしょう」
「……しかし……」
「レジーナ様、我々の心中も察してください。紫の薔薇騎士団は歴戦の騎士達です。彼らを失った我々の損失は計り知れない。ヴェルデ様も当然、心を痛めておいでです。辛いのはあなただけではないのですから」
さらに問い詰めようと身を乗り出したレジーナだが、その言葉で思いとどまったのか動きを止めた。
しばらく沈黙した後、彼女は「間違いないんだな?」と短く問う。そのエメラルドの瞳は何かを確かめるかのようにツヴァイフェルの顔を見据えていた。
彼がそれに頷いて見せると口からため息を吐き出し、「失礼した」とだけ短く言葉を紡ぐとレジーナは部屋を後にする。彼女と入れ替わるタイミングで部屋の奥から姿を現したのは、ヴェルデ・シュトルツだった。
「……よく思いもしない言葉がペラペラと口から出るものだ」
「あの手の人種には、そう言ったほうが効果的でしょうからね」
「しかし、こうも早く始末するとは思っていなかった。もう少し使ってもよかったかもしれん」
「遅かれ早かれ死ぬ者達の死期が早まっただけです」
まるで祝杯と言わんばかりにヴェルデがツヴァイフェルの目の前にワイングラスを置く。彼はそれに一礼すると血のように赤いワインを喉へ流し込み、口角をあげて笑みを浮かべた。
ツヴァイフェルにより「紫の薔薇騎士団」壊滅の報を聞いても、ヴェルデは眉一つ動かさなかった。
彼の言う通り、死ぬ者の死期が早まった。ただそれだけだったのだ。
ツヴァイフェルの行動は彼の独断専行によるものだった。決してヴェルデはマリア達を殺す指示を出していたわけではないのである。
ツヴァイフェルはかねてよりマリアを危険視していた。ヴェルデもいずれは彼女を始末するつもりだった。戦争終結という絶妙なタイミングで、二人の殺意が合致した。
図らずともツヴァイフェルは新兵器によりマリア達を爆殺。ヴェルデの思惑を遂行する形となったのだ。
「マリアを始末するのはいい。もとよりそのつもりだ。奴の場合、放浪し姿をくらます可能性もあったがいずれは俺に刃を向けると思っていた。だがシオンと他の騎士達まで巻き込むのはいささかやりすぎたと思うが?」
「いえ。危険です。あの騎士達は頭がイカれてるんですよ。特にシオンがです。マリアが一声『ヴェルデを殺せ』と言えば、彼らは陛下に斬りかかったことでしょう。そんな奴らを野放しにするわけにはいきません」
「死神に陶酔した騎士達か。人ならざるものに魂を売った者には当然の末路だったのかもしれんな」
ヴェルデはそうつぶやくとワインを口へと入れた。甘美な味を舌の上で踊らせながらも彼は、暗闇に閉ざされた街並みを無言で見つめる。
あの女は、本当に死んだのだろうか。
そんな疑念が彼を覆い尽くしていたのかもしれない。
ツヴァイフェルより報告を聞いた際、彼は自らの成果を詳細に語った。魔法地雷の威力。それにより騎士達がどうなったのか。特にマリアが地雷に巻き込まれ、首だけが吹き飛ぶ様を彼は力説した。まるでそれに愉悦を感じるかのように。
しかしヴェルデは直接、彼女の首元へ刃を繰り出したわけではない。自らの聖剣にてマリアの首を切り落とさなければ正直、枕を高くして眠るなど到底できないことであろう。
その時、彼は気が付いた。
自らの疑念を具現化したかのような暗闇の中、妖しく輝く二つの炎に。
王宮の入り口に一人の女が立っていた。
黒曜石のごとく美しい黒髪を腰まで流し、黒と赤を基調としたショートドレスに身を包んだ妖艶な美女。周辺にいる兵士は今夜、宮殿にて行われる前夜祭に参加する貴族だと思っているのだろう。魅惑的な肢体を湛えた女性を一目みるものの、怪しむ気配はない。
しかしヴェルデの瞳にははっきりと映っていた。暗闇の中でも視認できるほど濃密な闇が彼女から立ち昇っていることを。
「……ツヴァイフェル。あれはなんだ?」
ヴェルデの声に反応し、ツヴァイフェルは女を望遠鏡にて覗き込む。その瞬間、彼は驚愕したのか目を見開いた。
そこに立っていたのは紛れもないシオン・イティネルだったからだ。
「シオン!? あいつ生きてやがったのか!?」
刹那。ツヴァイフェルの体が大きく震える。
まるで大鎌の湾曲した刃を首元に突き付けられている感覚。全身を襲うのは死が身を寄せるかのような恐怖だったに違いない。彼の蒼白とした表情がそれを物語っていた。
「……ち……違う。あれはシオンじゃねぇ! マリアなのか……!?」
彼の震える声音が聞こえるはずがない場所で女は呼応する。濃密な殺気をみなぎらせた真紅の瞳を輝かせて。
「違う。私はマリアではない。……シオン・デスサイズだ」




