第54話「抜け落ちた牙」
シオンの目の前で見慣れた光景が広がっていた。
それはマリアがトマトを頬張り、食べ残したヘタを地面へと投げ捨てる仕草。いつもと変わらぬ光景。何度も見続けてきた彼女の行動に、シオンは久々の出撃による緊張感がほぐれたのか微笑みを浮かべた。
マリアの歩速に合わせてゆっくり進行する騎馬隊は、深緑があふれる森林地帯へと歩を進めている。木々の間隙を風が駆け抜け、葉が騒めいた。
「紫の薔薇騎士団」は王都から出撃。ツヴァイフェルの指示通り、所定の場所へと馬を進めていた。
目的は王都解放軍の残党狩り。ヴェルデが国王となる戴冠式を妨害すると思われるのがその理由だ。
当初、マリアはシオンの予測通り出撃に関して首を縦には振らなかった。「必要ない」とただそれだけ言葉を残して。
しかし再三にわたるツヴァイフェルの通達により、ついにシオンがマリアの承諾を得たのだ。
シオンにはある疑念がそこで生まれる。何故、マリアはこうも頑なに出撃を拒んだのか?
彼女は必要以上に多くを語らない。そこに何か思惑があるのではないかと、シオンは考えたのだろう。
王国騎士団は戦争終結後、再編されヴェルデ騎士団となって王都に在中していた。それに異を唱え、敵対勢力として孤立した騎士達がいないとは限らない。
しかし、ヴェットシュピール戦の敗北の後、抵抗する意思すら見せず王都の城門を開いた彼らに、前国王カスティゴへの忠誠心が本当にあったのかどうかは定かではない。
マリアの言葉である「必要ない」とは、「残党など存在しない。故に出撃する必要などない」という意味だったのではないだろうか。
戦争に駆り出される兵士にとって、もっとも重要なのは「生存する」ことである。例え金が欲しいにせよ、愛国心に突き動かされていようと生きていなければ全ては虚無へと消える。
ヴェルデの下で再編されることにより「生」を得るはずの彼らが、あえて「死」を選ぶ理由などあるのだろうか。
そこまでマリアの思慮を推察しながらもシオンは出撃を促し、マリアは結局は首を縦に振った。
シオン自身、言っている。牙が抜けた……と。
それはある意味、本当に的を得ていたのかもしれない。
太陽が雲に覆われ、徐々に薄暗くなった頃、マリア達は残党が潜伏していると思われる場所へと近づいていた。
シオンの顔に緊張感が垣間見える。索敵の目を発動させ周囲の警戒を強めていた。
その時、先頭を行くマリアの脳裏に女の声音が響く。
念話ではないそれは、世界の監視者のものだった。
『プリメーラ。まだ人を率いる騎士団など相手にしているのか』
『ひさしぶりじゃない。監視者。切れた尻尾はもう生えたのかしら?』
『それについては不問だ。お前と殺し合うなど命がいくつあっても足りない』
『ふん。珍しくおとなしいのね。それで? 仲直りでもしたいの?』
『私は全てを見ている。故にお前に問うている。いつまで人に関わるつもりだ』
『思ったよりこの馬鹿どもと一緒にいるのは楽しいのよ。例えゴミどもの戦争だとしても共に戦ったのだからそう思うのは当然ではなくて?』
『お前はやはり……変わっている』
マリア自身、何故、そんな言葉が出たのかわからなかった。
周りの騎士どころかシオンにさえ届かない声。そこに彼女の本心が隠れていた。常に傍らで笑顔を振りまくシオン。そして自らに忠誠を誓う騎士達。そんな彼らに囲まれマリアの中で何かが変わっていた。
人など不完全な存在。ゴミでしかない。しかし共に戦い戦勝を挙げていくうちに彼らの存在はマリアの中で大きくなっていく。
もはやマリアにとってシオン達はゴミなどではない。彼女の知らないうちにかけがえのない仲間となっていたのだ。
しかし、その後告げられた監視者の声が彼女を豹変させる。
『楽しいか。それが七賢者と剣王による茶番だとしてもか』
『……どういう意味かしら?』
『もう一度言う。それは茶番だと言ったのだ。何故なら彼らの目的は……』
葉が騒めいた。
それと同時に噴き出すのは闇の波動。物理的圧力を感じるほど周辺を震わせる殺気の渦の中心にマリアが立っていた。
真紅に輝くマリアの瞳が殺意に塗り固められていく。
『監視者。……今、なんて言った?』
その瞬間、轟くのは警笛。
シオンの発動した索敵の目に敵性勢力が出現した証。しかし、周辺には何もない。ただ葉を騒めかせた木々だけだ。
敵も視認できずただ鳴り響く警告にシオンは慌てたかのように、目まぐるしく視点を移動させる。その時、彼女は気が付いた。
敵性勢力は周辺に存在しているのではない。自分達の足元だと。
「隊長!!!」
咄嗟にシオンは少し離れた位置にいるマリアへ駆け出していた。
そんな彼女の黄玉とマリアの血に濡れたかのような濃密な紅玉が重なり合う。
刹那。二人の視界を覆ったのは光と炎を纏った爆発だった。




