第53話「ひと時の平和」
王都アフトクラトラスに人々の営みが戻りつつあった。
戦時ゆえ固く閉ざされていた城門は解放され、商人が行き交う騒がしくも平穏な日々がもたらされた。街中は煉瓦造りの美しい街並みとそれを眺めながら歩く人々で活気に溢れ、その顔に戦争時ゆえの緊張感はもはやない。
王宮内では、次期国王ヴェルデの戴冠式の準備が進められていた。
「エスペランス」「ミゼリコルド」「シュトルツ」「アイディール」「コンフィアンス」の五大貴族が集まる中、戴冠式の際、着用する法衣の確認をしていたヴェルデにある女性が近づいていく。
桜色のドレスに腰元へ流れる美しい黄金の髪。エメラルドの瞳を携える彼女はかの残虐の女王と呼ばれる双剣聖にしてエスペランス当主、レジーナ・エスペランスだ。
ヴェルデは彼女を見つめると、口元に笑みを浮かべた。
「君はドレス姿より、黒い戦闘服のほうが似合っていると思うがな」
「ならあなたは王宮の舞踏会で私に戦闘服で双剣を手にダンスを踊れというの? 観客を全員、斬殺していいならしますわ」
「……笑えない冗談だ。ようこそ王宮へ。ちょうどそろそろ休憩を挟もうと思っていたところだ。ワインでもどうかね?」
「結構よ。すぐいなくなるから。私はただ……あなたに一つ聞きたいことがあっただけよ」
ゆらりとレジーナの体が動く。
その瞬間、繰り出されるは双剣の刃。冷気を纏った「精霊の竜牙」が高速で空間を裂き、ヴェルデの首元でピタリと止まる。
ドレスの中から突如、出現した刃にヴェルデは表情を変えることなく、じっとレジーナを見つめていた。
「あなたは王となりこの国を導く。あれだけの国内紛争を起こしてまで手に入れた玉座。あなたはそれを何のために使う? 私欲のため? 民のため?」
「……この国のためだ。俺が求めるのはこの国の恒久的な平和。それだけだ。民がいなければ王国は廃れる。だが王国あって民もある」
「国を守ることが民を守ることになると? 間違いではないわ。でもこれだけは言っておく。……もしあなたが自らの欲望のために民を犠牲にするのなら、仮に私がいないとしても、私の子孫はあなたを斬るでしょう」
「肝に銘じておくよ」
ヴェルデの言葉を確かめるかのようにレジーナは瞳の奥を見つめている。
しかし刃をそっと離すとドレスの裾を持ち上げ、両足に縛り付けてある小型の鞘に双剣を収めると身をひるがえした。
レジーナが突如、このような行動を取ったのには理由があった。
それは「目的」である。ヴェルデが大規模な国内紛争を起こしてまで玉座を狙ったのは何故か。それに関して彼女は疑問を抱いていたからに他ならない。
聖騎士。五大貴族当主。数々の実績と人望。それほどのパーツを揃えていながら何故、血に染まった道を歩む必要があったのか。
かの王宮魔術師ゼーレ・ヴァンデルングも口にしている。
あの男が戦争を起こした本当の理由はわからない。
活気にあふれる城下町を二人の女性が歩いていた。
一人は女にしては長身で黒髪を後ろに留めた麗人。もう一人は紫色のセミロングの髪に同色のドレスを着た可憐な少女。
シオン・イティネルとマリア・デスサイズである。
「紫の薔薇騎士団」は現在、王都にて待機中である。
戦争が終わった今、彼らにやるべきことはない。当初、マリアは部隊を解散させるつもりだったが、他に行き場がないという彼らの訴えを聞き、王都に留まらせた。腕がなまってはいけないと模擬戦をする傍ら、自らの愛馬を世話する毎日である。
シオン・イティネルは当然のごとくマリアの後ろを付いて回っていた。彼女にとってもっとも不安だったのはマリアの失踪だったからだ。
まさに糸が切れた凧とでも言うべきか。彼女には放浪癖があり戦争終結後、目を離した隙に姿を消失させた。あの鏡 鳴落を女神の遺産へ連れて行った際もシオンには何も言っておらず、のこのこと王都に戻った際、シオンに熱烈な抗議を捲くし立てられたものだ。
さすがに懲りたのかマリアは、それから王都でおとなしくトマトをかじっていた。
何気なく街並みを見ながら歩く二人の鼓膜が突如、震える。
王宮の城壁の近くにある広場から爆発音が響いたからだ。咄嗟に索敵の目を発動させたシオンの目には敵性勢力は存在していない。
安堵したのかほっと胸をなでおろすと、シオンはマリアへ視線を移した。
「どうやら実験してるみたいですね。魔法地雷の」
「何よそれ」
「最近、開発されてるみたいなんですよ。魔法で作成した地雷を設置して爆発させる攻撃魔法です。あの転生者が使っていた不可視の爆弾をモチーフにしてるみたいですね」
「ゴミは弱さゆえに兵器の開発に余念がないようね」
「まぁ他国侵略もありますからねー。といっても攻め込んできそうなのは隣の大国プロエリウムですかね。野蛮人ですから。ベルクヴェルクはドワーフの国で中立国ですからいいとして。エヴァーグリーンはハイエルフの国ですがぼっち大国ですし。魔法兵器が開発されればもう騎馬隊とか時代遅れになるんですかねー」
「別にゴミ同士の戦争なんて興味ないわ。勝手にやってればいいのよ」
「興味ないのは同感です! 私はマリア隊長の傍にいれたらそれでいいので!」
胸を張ってそう口にするシオンを見て、「あんたも変わらないわね」とマリアは微笑む。
その時、息を切らし一人の兵士が彼女達に駆け寄ってきた。
「シオン殿! 探しましたよ……!」
「どうしました?」
「ツヴァイフェル様が御呼びです。数日前から通達がきていたはずですが」
短く「あっ」と声を上げ何かを思い出したのか目を見開くシオン。脳裏に怒り心頭のツヴァイフェルが過るのであろう。彼女は一瞬、青ざめた表情を見せると兵士に語り掛けた。
数日前からツヴァイフェルよりシオンへ招集の通達があったのである。
「忘れてました……」
「おめぇはいつになったら来るんだよ!」
王都内に建築されているヴェルデ騎士団兵舎。その中にあるツヴァイフェルの部屋で怒号が響き渡る。
シオンの想像通り鬼の形相でツヴァイフェルは彼女を睨みつけた。赤毛の髪が災いしまさに赤鬼のごとく彼女の目には映ったに違いない。
そんな彼にシオンは苦笑いを浮かべている。
「……まぁいいや。とりあえずお前達に任務を与える」
「戦争終わりましたよ?」
「終わってもお前らには仕事してもらわないと無駄になるんだよ! 馬の世話だけでも金かかるの知ってんだろ!? だいたい騎馬隊なんざ馬を走らせるもんだ。なんで王都でだらだらと馬と一緒に寝てんだよ!?」
「私、そういう日常的な平和って好きですケド。昔、馬と一緒に寝てましたし。それにマリア隊長も牙が抜けたっていうかおとなしくなったというか。そういうのほほーんとした隊長も可愛いんですけどねー」
「……かわらねぇな。お前も」
敬愛するマリアを思い浮かべたシオンの笑みを冷ややかな視線で見つめながら、ツヴァイフェルはため息をついた。
すっかり毒気が抜けたのか彼の表情から怒りが消える。呆れたと言わんばかりに肩をすくめてみせると、ツヴァイフェルは一枚の資料をシオンへ渡した。
「ヴェルデ様の戴冠式を妨害すると思われる勢力を発見した。王国騎士団の残党だとよ。お前達にはそれを排除してもらいたい。潜伏していると思われる場所はそこの紙に書いてる」
「はぁ。でも隊長、引き受けますかねー」
「あの死神を説得するのがお前の役目だろうが! いいから早急に準備を進めて出撃しろ!」
「はい。やるだけやってみますー」
気の抜けた返事をするシオンを手で払いのけると、不機嫌そうにツヴァイフェルは視線を逸らした。
彼女が退室した時、扉を閉める音だけが部屋に響く。ツヴァイフェルは無言でその後ろ姿を見つめていた。
彼以外、誰もいない部屋。次第にツヴァイフェルの表情が醜く歪む。口角を上げ、彼は笑っていた。
「……牙が抜けたか。そいつは結構なことだ」




