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マリアは転生者を皆殺しにしたい  作者: 魚竜の人
第1章 転生者編
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第52話「女神との邂逅」

 それは、花のように可憐で、思わず見惚れるほど美しい少女だった。

 美の理想を凝縮したような整った顔立ち。海のように青いサファイアの瞳。ショートボブの髪は光り輝く銀色に染まっている。

 小柄な体を純白のローブが包み込み、頂きには光輪が浮かんでいた。そこから伸びるのは完全を意味する七枚の翼。

 世界と存在する全ての物を生み出した全なる母。創生の女神「シルフィリア」である。


 女神は頭を垂れる監視者の頭を白く柔らかな手で一撫ですると、サファイアの瞳をマリアへと向ける。

 対するマリアは自らを生み出した母とも言える存在を前にして鋭い瞳を輝かせていた。ただその頬を一筋の雫が伝っていく。いかにマリアとて女神を前にして、人間に相対するような余裕などない。

 そんな彼女を見つめ、女神は可憐な笑顔を見せた。


「よく帰ってきたわね。プリメーラ」


「あんたの笑顔ほど怖いものはないな。女神」


「あら。私は本当に喜んでいるのよ? あなたの帰りを待っていたもの。でもまさか……ここにそんなものを連れてくるなんて……ね」


 一瞬だけ笑みが消え、サファイアの瞳が鏡を貫く。

 その瞬間、彼の背筋がぞわぞわと逆立った。全身を無数の針が刺し貫いているかのような感覚。鏡を包み込む空気だけが凍り付いたかのような冷たさ。

 それは全て女神の瞳から生み出されている。慈愛の欠片もない。生き物を見ている視線ではなかった。ゴミ。そう。道端に転がっている、認知されることすらない小石のようなもの。それを見ている目だ。


「でも私は許可した。だって珍しいもの。女のような男なんて。……興味を持ったの。あなたに。だけどこれだけは言えるわ。……私より高い目線は許さない」


 凄まじい圧力と共に鏡はひれ伏した。

 それは無理矢理、見えない力によって押えつけられたものではない。鏡自身がそう行動した結果だ。圧力のように感じているのは、彼が女神に抱いているただならぬ恐怖そのものである。

 彼の行動を見て女神は満足気に笑顔を形作った。


「プリメーラ。どうしてコレを連れてきたの? 理由が知りたいわ」


「こいつが神を見たいっていうからよ」

 

「そう」


 シルフィリアは純白のローブを揺らしひれ伏す鏡へと近づいた。


「何か言いたいことはあるかしら?」


 表情は笑顔を形作っているものの、鏡を見据えるサファイアの瞳の奥には冷酷さが渦を巻いている。彼女の前にひれ伏す男が生存しているのは「興味」ただそれだけ。

 この男が自分に何を言うのか。どんな行動をするのか。ゴミで形作られた役者がどんな演技を披露するのか見てみたい。ただそれだけだった。もし彼女の逆鱗に触れるようなことがあれば……跡形も残さず塵と化すことだろう。

 全身を刺すような冷たい空気に体を震わせながら、鏡は顔をあげることなく言葉を紡ぐ。


「……一つ、聞きたいことがあります」


「何?」


「……あなたにとって、人とは何ですか?」


 それは、絶対神を前にして鏡が思った言葉そのものだったことだろう。

 神にとって人とは何なのか。自分とは何なのか。それを知りたかった。

 鏡の言葉に女神は口を開く。発せられた美しい声音は、小鳥がさえずるように可憐で、人の首を切り落とすがごとく残酷だった。


「無価値」


 アメジストの瞳が大きく見開く。


「価値などないわ。人が何をしようと私には何の意味もないの。どんな生き方をしようとどんな死に方をしようと何の感慨もわかないの。何故なら……人などただの肉の塊でしかないもの」


 鏡の体を何かが駆け巡る。

 全身を逆立てるかのようなそれは激しい怒りなのかもしれない。自分を。そして自分が愛した人を全てを否定された。

 神など決して自分を助ける存在などではない。結愛を助ける存在でもない。自分も他の仲間も彼女も見捨てられたわけではないのだ。そもそも眼中になどない(・・・・・・・)


 鏡の体が躍動する。「複製顕現レプリックアドヴェント」という言葉と共に具現化するのは金剛石の刃を持つ大鎌。

 それを見たマリアは驚愕で目を見開いた。立ち上がった鏡が手にするのはまさに神をも殺す刃「神殺しの征服者(クロノスアダマント)」に他ならないからだ。

 怒りと悲しみが混在するアメジストの瞳が光り輝く。金剛石の煌めきが白刃を生み女神へと剣閃を走らせた。

 シルフィリアは笑顔を絶やさぬまま動かない。


「……あなたにその刃は使えない」


 刃が女神へ届く直前にピタリと動きを止めた。

 それと同時に塵となり剣先から徐々に消滅していく。鏡はアメジストの瞳を見開いたまま、ただそれを黙って見つめていた。


『人形が! 女神へ刃を向けるなど!』


 怒りに染まった竜の咆哮が響き渡る。

 監視者の長い尻尾がしなり空間を裂いた。凄まじい風圧をたたえたそれは、事もあろうに女神へと斬りかかった矮小な存在へと叩きつけられる。

 しかし鏡の体は肉塊になどならなかった。血をまき散らし吹き飛ぶのは切り下ろされた尻尾の先端だ。

 マリアの左手に刃を監視者の血で濡らした「死神の大鎌(デスサイズ)」が具現化していた。


『プリメーラ!』


「黙れ。こいつとの話はまだ終わっていない。それとも監視者。お前の首を神殺しの征服者で切り落としてやろうか?」


 殺意に染まった真紅の瞳が光り輝く。


「……もっとも手が滑って隣にいる女神の首を撥ね飛ばすかもしれないがな」


 監視者が動きを止めた。マリアの体から発せられる物理的圧力を伴うような凄まじい殺気は、先程の言葉が妄言の類ではないことを意味している。

 神の遺産同士の戦い。それに巻き込まれゴミが死ぬのは構わない。しかし女神の身に傷一つつけるわけにはいかない。

 そう考えたであろう監視者は、鋭く金色の瞳でマリアを見据えながらも動けずにいた。

 

 流れる沈黙と膠着状態。それを崩したのは女神の言葉だった。


「下がりなさい」


 彼女の言葉に再び監視者は頭を垂れると後ろへ下がった。マリアはいまだ大鎌を握りしめたまま女神を見据えている。


「プリメーラ。あなた、ソレをいたく気に入ったようね。先の刃は気にしてないわ。どのみち届かぬものなのだから。それに今日の私は上機嫌なの。プリメーラの姿も見られたし……この子の魂もようやく完成したのだから」


 シルフィリアは微笑みを浮かべたままマリアの視線の前に両手を重ね広げてみせた。

 そこに何かが震えていた。視認することはできない何かが。まるで空間そのものが炎のように揺らいでいた。

 マリアの瞳が大きく見開く。彼女には見えるのだ。女神の手に包まれた一つの魂を。


「……女神。なんだそれは(・・・・・・)


「これぞ理想の魂。理想の子。我が子。私の名を授けるに値する魂。……あぁ受肉が楽しみだわ。この子が地上に舞い降りたその時、全ての生きとし生けるものは彼女にひれ伏すことになるでしょう」


 我が子を愛でるかのように一つの魂を空に掲げた女神は、うっとりと陶酔するかのような表情を形作る。そして、一瞬、笑顔を消し去り茫然と立ち尽くす鏡を一瞥すると身をひるがえした。


「ソレにはもう用はないわ。興味も尽きたの」


 一度も振り返ることなく女神は奥へと姿を消した。

 頭を垂れていた監視者が彼女への道を塞ぐかのように、立ち上がり大きく翼を広げる。金色の瞳が鏡へと向けられた。


『即刻、この場から立ち去れ。私が殺さぬ前に』





 鏡は茫然とした様子で黙って立っていた。

 女神の遺産への転移地帯。銀色の大地の上に鏡とマリアが佇んでいる。彼女ははるか上空にある女神の遺産(エリタージュ)を無言で見つめていた。

 鏡はそんなマリアに紫紺の輝きを向け、静かに言葉を紡ぐ。


「……ボクは神を呪うと言いました。だけどそんな必要などなかった。ボクが呪ったところであの人には届かない。それどころか認知すらされない。ボクの存在もなすべきこともあの人には無価値だった」


 マリアは黙って鏡を見つめている。

 彼女には神の答えなどはじめから理解していた。それでも鏡を連れて行ったのは、人が神に相対した時、何を思うのか何を口にするのか、それを見たかったのかもしれない。

 そして、その後、彼がどう行動するのかも。


「……以前、お前に問うた答えを聞こうか」


 マリアの問いに鏡は微笑みで返した。それが彼女には意外だった。無価値と言われながらも何故、この男は笑顔を見せられるのか。

 全てを知った鏡に絶望など訪れなかった。むしろ残された短い時間に何をするべきか彼は理解していたに違いない。


「ボクはホムンクルスです。でもボクは人間です。そう信じています。だからボクは……人として愛する者と共に死にます」


 人として愛する者と共に死ぬ。

 最後のホムンクルスにして人だった鏡はそう言葉を紡いだ。





 それから数日後。

 シオン・イティネルはマリアの許可を得て姿を消した(かがみ) 鳴落(めいらく)を探し続けた。そして彼女はようやくたどり着く。

 水の都ミュールを一望できる小高い丘。木々に囲まれたその場所に鏡はひっそりと佇んでいた。一つの墓石を抱きしめながら。

 その姿を見て、シオンは体を一瞬、大きく震わすと左手を耳へと添える。


『……隊長。鏡 鳴落の死体を発見しました。場所はミュールの近くの森林です』


 念話(ケレブルムラング)にマリアは即答しなかった。

 しばらく沈黙が続いた後、シオンの脳裏に言葉が響く。


『ご苦労だった』


 マリアの声が響いた途端、シオンは大地に崩れた。

 見届ける覚悟はできていた。しかし内から湧き出す悲しみを抑えることはできなかった。

 人形としての無残な突然死か。それとも人としての死か。

 それに対する結論に鏡は人としての死を選び、そして人間として愛する者と共に死んだのだろう。


 望 結愛の墓石を抱きしめながら、死んだ鏡の顔が微笑んでいたのがそれを物語っていた。

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