第50話「傀儡の王」
ゼーレの顔が一瞬、恐怖が走ったかのように醜くひきつった。
暗闇に浮かぶ真紅の瞳に人は潜在的に恐怖を感じる。だがそれだけではない。死神から生み出される全身を覆う死の気配は、ゼーレにこれから自身の身に起きる未来を容易に想像させたに違いない。
それは……絶対的な死だ。
「ベルフェ。……お前……」
目を見開きながらゼーレが震える唇でつぶやいた。その瞬間、マリアはゆっくりと美しい手を前に差し出す。
「人間など所詮ゴミだと認識しているが……これは珍しい。ゴミ以下の生き物がいるなんてね」
「お前、死神を王都へ手引きしたのかッ!」
具現化するは漆黒の大鎌。
彼女の身長を優に超えるそれは、幾度となく兵士の命を奪い、鏡の体を揺さぶり続けた「死神の大鎌」だ。
マリアは、風切り音と共に刃を横に構えると短く言葉を紡ぐ。
「殺傷範囲拡大」
それは大鎌に対する命令。死神の大鎌が有する斬撃範囲を最大まで拡張する言葉だ。
ゼーレはそれが耳に響いた途端、意味を即座に理解したのか、張り裂けんばかりに声を張り上げる。
「やめろぉぉぉぉぉぉ!」
彼の叫びが鼓膜を震わすその瞬間、一筋の軌跡が周囲を駆け抜けた。
丁度、ゼーレの頭上をかすめるように繰り出された斬撃は、周辺に置かれた魔法筒をことごとく切り裂いていく。
崩れ落ちるそれからこぼれ落ちるのは分断され、もはや動くことがない哀れな人形だ。
「アアアアアアアアッ!」
轟くはゼーレの悲鳴。
まるで電撃が走るかのごとく全身を痙攣させ、止まることのない叫びが室内に響き渡る。
「私の最高傑作がああああああああッ!」
ゼーレの叫び声が鼓膜を震わす中、ゆっくりとそれは立ち上がった。
炎のように揺らぐ紫紺の輝き。その手に渦を巻くのは、暗闇の中でも視認できるほど濃密な闇だ。
彼女が切り裂いたのは人形だけではない。ホムンクルスが使用する能力を封じるクリスタルも同時に破壊していた。それにより立ち上がった鏡の唇が、あの言葉を奏でる。
「複製顕現」
手にするは漆黒の大鎌。
マリアが握るそれと同質の刃は、彼の怒りと悲しみが混在した思いに反響するかのように黒曜石の輝きを放つ。
一閃。鏡が放つ斬撃がゼーレの体を駆け抜ける。
噴き出す血と共に転がるのは、切り落とされた彼の右腕だ。
「私の右腕があああ! 痛いぃぃぃ痛いぃぃぃっ!」
絶叫と共にゼーレの体が空間に溶けていく。
あからじめ用意していたであろう転移魔法陣により、消失した彼がいた空間を鏡はじっと見据えていた。その体は怒りか悲しみか。もしくは両方に苛まれているのか小刻みに震えている。
マリアは、転がった血に濡れたゼーレの右腕を一瞥すると、そんな鏡へと歩み寄った。
「奴はもう終わりだ。お前の戦も国内紛争もな。……私はこれからこの娘との約束を果たしに行く。お前は私への答えでも探していろ」
そう口にして背を向けた彼女は、何を思ったか突如、立ち止まる。
「……もしお前が神を呪うというのなら……死にゆく前にその神とやらを見せてやる」
冷たい声音で言葉を残し、マリアは暗闇の中へと姿を消した。
鏡はただ黙ってその小柄な後ろ姿を見つめていた。
夜の帳が降り、周辺を静寂が包み込む中、マリアはある場所へとたどり着いた。
それは王宮内の一室。豪華な装飾が施された部屋に白い布で覆われたベッドが佇む王の寝室である。
護衛の兵を声を発する間もなく迅速に首をねじまげ殺した彼女は、ゆっくりと扉を開けた。視界に広がるのは人気のない暗闇に包まれた室内。本来いるはずの侍女の姿もそこにはない。
マリアは薄々、感づいていた。
転生者という名の人形を生み出したのはゼーレ・ヴァンデルングだ。ならば国王カスティゴはそれを黙認、もしくは容認し、彼の研究の後ろ盾となったのか。
国王がホムンクルスという兵力を欲し、他国の侵略や領土拡大を狙っているとしたら当然、あり得る話だろう。だがヴェルデより話を聞いていたマリアは、国王カスティゴという人間を少なからず知っていた。
彼はそんなものに興味などない。
国王カスティゴはただ自らの私腹を肥やすだけの俗物なのだ。国に関する事柄は、ほぼ五大貴族か王宮魔術師に委ねられていたと言われている。
ならば転生者の作成はただ黙認されていただけなのか。それとも……。
「……思った通りか」
ベッドを覆う白い布を持ち上げたマリアの唇がそうつぶやいた。
彼女の真紅の眼光に照らされる国王カスティゴの姿。それは生気のない瞳で瞬きすることさえしない初老の男性だった。顔は青ざめまるで魂を抜かれた人形のように身動き一つしない。
「この国にすでに王などいなかったのか」
一閃。
暗闇の中、白刃が煌めいた。具現化した大鎌による斬撃は、哀れな人形と化した国王の首を撥ね飛ばす。
彼女の言葉通り、この国にはすでに王など存在してはいなかった。魂縛魔法により強引に魂を束縛され、ゼーレの傀儡と化した人形の王が支配する国と化していたのだ。
マリアは哀れな国王の成れの果てを一瞥すると、身をひるがえす。
「あなたとの約束。果たしたわよ。マリア」
王宮より離れた人気のない通路を群青色のローブが揺れていた。
血が噴き出す右腕を布で押さえ、ゼーレ・ヴァンデルングは顔面を蒼白させ王都の外へと脱出しようとしていた。
ホムンクルスは全滅した。唯一残った鏡 鳴落も自らへ刃を向けた。そして死神が王宮へ来た時点でもはやゼーレに勝ち目などなかった。
ヴェルデが王都へ進攻する前に脱出しなくてはいけない。
傷をろくに治療さえせず必死の形相で彼が逃げ込む先。
そこは王宮から王都の外へと通じる国王専用の避難通路である。地下を通ったそれは万が一、王都が侵略された際に脱出するためのものだった。
ゼーレはこれを利用し王都から逃亡。友好関係にあった五大貴族の「アイディール」か「コンフィアンス」に身の安全を確保してもらう算段だった。
通路の天井からぽたぽたと雫が垂れる音が響く。
その時、ゼーレの鼓膜を震わせたのは水滴の音だけではなかった。カタカタと何か硬質なものがこすり合う音。まるでそれは骨だけとなった骸骨が……笑っているかのようだった。
ゼーレの視界に闇がうごめく。
ボロ布のような黒いローブを纏った人影が彼の瞳の先に浮かび上がっていた。ゼーレは一瞬、その姿に背筋を震わせると立ち止まる。
「……お久しぶりデスネ」
黒いフードをかぶり顔が見えないその人影は、そうゼーレに語り掛けた。彼は聞き覚えがあるのか驚きで目を見開く。
「……その声。貴様。エスケレトか!? 何をしにここへ来た!? お前のような危険な死霊魔術師は即刻、この場から立ち去れ!」
「冷たいこといいマスネ。ワタシは大事な用があってここにきたんデス」
「大事な用だと? 貴様のような外道に用も何もあるまい!」
「外道に外道と言われるなんて心外デスネェ。まぁこれから材料となるアナタには……関係のない話ですケドネ。ワタシ。霊的素質に恵まれた素体が欲しかったんデスヨー」
材料という言葉にゼーレは全身を一瞬、震わせた。
死霊魔術師エスケレト。以前の王宮魔術師でありながら禁忌を犯し王都を追放された魔法使用者。その禁忌とは……アンデッドの作成だ。
「まさか私を……!? 貴様ぁぁっ! それでも人間かっ!?」
ゼーレの鋭い声音が響く中、ケタケタと何かがこすれる音が響いた。
エスケレトはゆっくりと顔をあげる。ゼーレの視界に映る彼の顔は白骨化した骸骨の姿だ。
「ワタシ。もう人間やめたんデスヨ」
その瞬間、闇がゼーレを覆い尽くした。
薄暗い通路内に響き渡った彼の悲鳴は、程なくして沈黙と化した。




