第4話「運命の歯車」
暗闇が王都アフトクラトラスを覆う。
しかしその闇を切り裂くように星々から地上に舞い降りる光明は、一人の人間の網膜を突き抜けていた。
王都の中心にそびえ立つ白き王宮。その一室に少女のような容姿を持つ白い軍服を着た人間が立っていた。空色の髪を首元まで伸ばし、短く左右に結っている。
その人物は宝石のように煌めく星々を眺めながら目を瞑り、胸の上に手を合わせると祈るように静かに黙とうを捧げる。そこへ一人の少女が声をかけてきた。
「……あの先輩?」
黙とうを遮られアメジストの瞳を開けると空色の髪が揺れる。その人物の憂いとも受け取れる寂しげな表情を見て、声をかけた少女は申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
青色のセミロングに眼鏡をつけた端正な顔立ちがすこし曇る。
「ごめんなさい。鏡先輩。黙とうの邪魔をしちゃいました。あの……一色さんのですよね?」
「うん。彼は嫌われていたけど仲間には違いないから」
彼女から視線を逸らすと、澄んだ水の流れを思わせるサラリとした美しい髪を風になびかせ、鏡は再び空を見上げた。
転生者はこの世界で名を与えられるが、転生前の自らの名も覚えている。鏡のこの世界の名は「ベルフェ」だ。しかし転生者同士では「転生前の名前」で呼ぶようにしていた。それは転生前の自分を忘れまいとする思いがあるからかもしれない。
ベルフェの転生前の名前。それが「鏡 鳴落」だった。そして話しかけてきた少女はレヴィア。転生前の名前は「望 結愛」だ。
「確かに私も正直、近寄りたくないタイプでした。ちょっと前世での話を耳にしてしまってから……その……やっぱり女としては許せないっていうか……」
彼女の言う「一色」とは先のアミナ防衛戦にてマリアに殺されたモーデスのことである。彼の前世の名が「一色 海斗」であった。
女性である結愛が言う通り、一色は前世にて婦女暴行の常習犯であり、同じ転生者でありながら嫌われている存在だった。
また彼は転生した後も勇者として崇められている特権を利用し、侍女を集めては自室で酒池肉林の夜を過ごしていた。服を乱れさせ顔を赤く腫らした若い侍女が逃げるように泣きながら部屋から飛び出してきたこともあった。
そんな彼とよく行動をしていたのが同じ嫌われ者であったルゼーである。「志食 大樹」という名を持つ彼は一色と同じく婦女暴行歴があり、彼の部屋で毎晩、女の体を漁っていた。
その二人が仲良く戦場において斬殺されたのはある意味、自業自得かもしれない。そういう思いがあったのだろう。結愛は黙とうなど捧げはしなかった。
「うん。君の気持ちはボクもわかるよ。確かに女の敵みたいなやつだったからね。だけどそんな彼らだからボクだけでもと思って……」
「先輩。優しいですね。戦争にもほとんど参加しないですし」
「人殺しとかしたくないよ。君だってそうでしょ? できればこの街でずっと静かに暮らしたいくらいだよ」
「私も……そう思います」
月夜に照らされた鏡のあどけなさの残る顔が美しさを纏って浮かび上がる。結愛は笑顔で目に映るアメジストの瞳を見つめた。
その時「ところで……」と話題を変えようとした鏡の言葉に思い出したかのように結愛は口に手を当てる。
「ごめんなさい。要件を忘れてました。高枝さんが呼んでいます」
「高枝が? ボクを?」
「はい。大浴さんと朱莉さんにはすでに話したようですが、鏡先輩を呼ぼうとしたら部屋で寝ていて起きなかったって……」
「あぁ。ボク。昼間はずっと寝てたから……」
苦笑いをする鏡へ結愛は笑顔を見せ手を握る。「行きましょう。先輩」という声と共に二人は薄暗い通路を歩き始めた。
途中、見回りをする兵士と顔を合わせる。鎧に身を包んだ彼は二人を見て敬礼をすると「今日もお二人はお美しいですね。お嬢様方。夜風に当たりすぎないようご注意ください」と言葉を紡ぎ去っていった。
笑顔で会釈する結愛とは違い、鏡は少し不機嫌そうに膨れ面をしている。それを見て結愛は再び口元をほころばせた。
歩き出して数分だろうか。たどり着いた一室はランプにより煌々と照らされ、その光の下、一人の男が椅子に腰かけていた。
少し長めの黒髪に眼鏡をつけた端正な顔立ち。鏡とは違い黒い軍服に身を包んでいる。彼はルシ。前世での名は「高枝 陽樹」だ。
高枝は手を繋ぎ仲良く入室する鏡と結愛に視線を移すと、呆れたかのようにため息を吐き出した。
「ようやくご登場か? お嬢様方」
「笑えない冗談だね。高枝」
「お前ときたらいつも寝ている。とち狂った兵士が襲いかかるほどの可愛らしい寝顔でな。今だ戦場に出る気はないのか?」
「正直いってないよ。ボクは。人殺しなんてしたくない」
「そんな強力な能力を有していながら……か?」
鋭い視線で見据える高枝に対し鏡は少し不機嫌そうに眉根を寄せた。
「高枝。君だから言うけどボクは好んでこんな能力を持っているわけじゃない。軍に入ったのだって他に選択肢がなかったから。ボクは人なんて殺したくないし結愛にもそんなことはしてほしくない。いや。彼女だけじゃないね。君もそして他のみんな全員だよ」
「仲間を失ってもか?」
「そもそも戦場に行かなければいい」
「それはただの安い願望に過ぎないぞ。鏡。俺達を取り巻く運命の輪は簡単にそれを許しはしない」
「高枝。君はボクを無理矢理、戦場に連れていく気なの?」
鏡のその言葉に高枝は鼻で笑うと「座れよ」と短く口にした。少し間を置き椅子に腰かける鏡。険悪な雰囲気を感じ取ったのかおろおろしていた結愛も同じく席についた。
高枝は今だ不機嫌そうに眉根を寄せている鏡の表情を見つめる。そして突然、参ったとばかりに両手を上げると口元をほころばせた。
「そう怒るな。ちょっとけしかけてみただけさ。本気で思っているわけじゃない」
「でも君がそうしてけしかけてくるのは、少しわけがあるんでしょ?」
「お見通しか」
「まぁ君とは少なからずよく話す仲だからね。なんとなく察したよ。それで人畜無害なボクをけしかける理由はなに?」
「……一色と志食が死んだ件は聞いてるな?」
高枝の表情が険しくなったと同時に彼と鏡、両者を取り巻く空気が一変する。張りつめたかのようにそれは急激に密度を濃くしていった。
鏡もそれを感じ取り、表情に鋭さが増す。鏡は高枝が言わんとしていることを理解していた。一色と志食は決して弱くない。むしろ転生者の持つ能力の中ではかなり強力な部類に属する。それが相手を傷つけるどころか一方的に屠られたのだ。
その事実が与える影響力を普段、戦場に出ない鏡であっても容易に想像がつくはずだ。
「知っての通り、<強奪>と<暴食>の能力は強力なものだ。何せ相手のスキルを問答無用で奪うんだからな。対人戦においてそれほど脅威なものはない」
「うん」
「だがそれを駆使してなお彼らは殺された。それも一方的にだ。それほどの相手が王都解放軍に存在する。そしてその矛先が向く先は……俺達だよ」
「……やっぱり戦争に参加しないのが一番だね。うん。間違いない」
「実は鏡。お前の言葉は正しい。だがその相手は他の連中に目もくれずに『一色だけを狙った』そうだ。つまり奴は俺達転生者だけを狙っている。それが何を意味するかわかるか?」
「……言いたくないけど。つまり戦争に参加するしない関係なく、その人が王都にくればボク達を殺しにくるってこと?」
「その可能性がある」
はぁ……と鏡は整った唇から大きくため息を吐き出す。「とんでもない死神に気に入られたなぁ」とぼそっと呟くと視線を落とし黙り込んだ。
高枝が何故、鏡をここに呼びこんな話を切り出したのか。それは戦争に参加しなければ仲間が死ぬことはないだろうという鏡の理想を打ち砕く存在が現れたからだ。
王都解放軍に突如として現れた死神は転生者の首を求めている。戦わねば仲間の命が刈り取られる未来が遅かれ早かれ訪れるのだ。そして、その強さたるは「能力をもつ転生者ですら殺される」ほど。高枝はその現実を王宮にこもっている鏡に知ってもらいたかったに違いない。
宮殿の奥で封印されている美しく可憐な勇者の剣を抜く時がすぐそこまで迫っていた。そしてその決断は鏡に託されている。
思案し口を閉ざす鏡を見つめる高枝は、しばらくするとおもむろに立ち上がり「話は以上だ」と短く口にした。
反応がない鏡を一瞥すると高枝は扉へと歩き始める。話にうまく馴染めずに困惑気味な表情を浮かべ目で追う結愛に一瞬、視線を合わせた彼は、扉の取っ手を掴みその動きを止めた。
「平和主義者のお前にこの話をするべきかどうか悩んだ。できることなら巻き込まず俺達だけで処理したかった。なぁ。鏡。俺だって戦争なんざしたくない。だがな。譲れないものがある。そしてそれは……お前も同じはずだ」
突如、視線を上げると鏡は誰もいない空間を鋭い瞳で見つめる。少女の容姿からは想像もつかない強く炎のように燃え上がる意思がそこにはあった。
「……仲間の命を守る」
「そうだ。この国がどうこうじゃないんだ。『俺達の仲間は俺達で守らなければならない』。あの時にそう言い決めたそれが俺達のこの世界での絆だ。例え相手が……死神でもな」
扉が開く音と共に高枝は暗闇の中へと消えていく。その背中を見ることなく自らの可憐な手を見つめる鏡に結愛がゆっくりと近づいた。
声をかけず彼女は鏡の空色の髪を結っている紐をほどく。サラリと垂れ下がる美しい髪を懐から取り出した櫛でときはじめた。
「……大丈夫ですよ。先輩は強いですから。死神にだって負けません。それに朱莉さんや高枝さんもいるんです。なんとかなりますよ。私は信じてますから」
結愛は再び結いなおすと振り向いた鏡へ笑顔を見せた。
「夕ご飯まだですよね? 私作りますから今からどうですか?」
柔らかな優しさに包まれたような感覚を鏡は感じ、思わず笑顔を形作る。結愛は立ち上がる鏡の細い手を優しくそれでいて力強く握りしめた。
鏡は平和を望んでいた。戦争などしたくはなかった。転生したこの世界で第二の人生を仲間達とゆったり過ごしたかった。
しかし鏡の動かす歯車は、さらに大きな運命の歯車にいともたやすく強引に巻き込まれる。そしてその巨大な歯車の中心にいるのが剣王でも国王でもない「少女の姿をした死神」なのだ。
鏡は戦いを望まない。だがその心の中に芽生えた闘争心という種火は、大きく炎を燃え上がらせるその時をただひたすら待ち続けている。