第48話「真実」
いつしか小雨は大雨へと姿を変えていた。
激しく地面を打つ雫の中、光の宿らない瞳を開けたまま胴体だけを残し情島 朱莉は絶命していた。マリアはその姿を一瞥すると神殺しの征服者から手を離す。
その途端、神殺しの刃はガラスが砕け散るかのように細かい破片となって空中に四散していく。金剛石に煌めく粒子は、まるで死者を弔うかのように周辺を舞い消滅した。
「神殺しの征服者」には制約が存在する。
それは一振りしかできないこと。一度手にした刃は一振りすると消滅する。しかしその金剛石の斬撃を阻むものは何一つとして存在しない。
あらゆる金属も魔法障壁も神さえも切るその刃は、まさに一刀の元にすべてを確殺するのである。
朱莉の死と共に展開されていた「憤怒の城壁」が空間に溶けて消えた。
だがそこに鏡の姿はない。マリアが彼の後を追うため一歩前へ踏み出したその時、大地を打つ馬の蹄の音と共にシオンが駆け寄る。
所々、切り傷を負った彼女は、跪くと同時に一振りの黒塗りの直剣をマリアに差し出した。
「どうぞお使いください。あれだけの刃を放った後ではいつもの大鎌は出せないんじゃないかと思って。チェアーマンが使ってた剣です」
「……あなた、読心術でも使えるの?」
マリアはそうつぶやくと黒剣へ手を伸ばす。
柄を握ったその瞬間、高速の剣戟が周囲を舞った。切り裂かれた水滴が剣筋と共に飛び散る。
雫の垂れる刃を品定めするかのように見据えるマリアは、黒塗りの直剣を握りしめたまま肩へと乗せた。
「……悪くない剣だ」
「転生者は私が弔います。よろしいですか?」
気丈でありながらそれでいて悲しさを含んだシオンの黄玉を一瞥し、マリアは「ふん」と鼻を鳴らすと歩み出した。
「……勝手にしろ」
戦の喧騒から離れた場所で、鏡 鳴落は驚愕と悲しみに満ちた瞳を結愛に向けていた。
大地に横たわる彼女は、吐血と激しい痙攣を繰り返した後、小刻みに震えていた。その碧眼はまるで消え去る灯火のように、光を失いつつある。
結愛の死がすぐそこまで来ていた。
「……なんで……どうして」
鏡は震える唇からそうつぶやく。
どうしていいかわからなかった。死神が言った「寿命」という言葉の意味も理解できなかった。
大浴 強一に起きた突然死。それが何故、結愛に起こるのかわからなかった。
その時、ただうろたえ震える鏡の頬へゆっくりと手が伸びる。それは結愛の手だった。
彼女にとってもっとも大切だったもの。それは少女のように可愛らしくおおらかな少年。恋心を前世より繋ぎ、この世界で共に生きようと誓った少年だった。
結愛はそんな彼の頬を優しく撫でた。
「……生きてください」
ただ短くそれだけ告げた。そして、触れていた手がぽとりと地面に落ちる。
「……結愛?」
鏡の言葉に彼女は答えない。
しかし、そっと涙を浮かべた瞳を閉じるその時、結愛を襲ったのは……どす黒い死という恐怖なのかもしれない。
「……死にたくない」
突如、まるで最後の力を振り絞るかのように目を見開いた結愛が叫ぶ。
「死にたくない! 死にたくない死にたくない死にたくない! もっとやりたいことたくさん……あった……のに」
動きが止まった。
目を見開いたまま望 結愛は身動き一つしない。開き切った瞳孔の奥に鏡の姿が映りこんでいた。
鏡は、光のない彼女の瞳を見つめた後、震える腕でそっと彼女を抱き寄せる。
「……ボク達は人間じゃないのか。何故、彼女はこんな死に方をしないといけないのか。……ふざけるな! なんでボク達はこの世界に転生したんだ! 転生させたのが神なのだというのならボクは……神を呪う」
「……人形の分際で神を呪うか」
震える背中に突き刺さるは死神の声。漆黒の直剣を握るマリアの姿がそこにはあった。
「ホムンクルス」
突如、響き渡る鋭い声音に鏡はアメジストの瞳を見開く。
「お前達は人間ではない。ホムンクルスだ。人体を元に造られた人形に魂縛した魂を繋げて作られた、ただの使い捨ての駒でしかない」
雨のように冷たく響き渡るマリアの声に鏡は何も答えない。
「この世界で意識を取り戻した時、痛みは感じなかったか? それは魂縛された魂と肉体がまだ馴染んでいない証。仮に馴染んだとしてもいずれは拒絶反応を起こす。それが突然死の正体だ。寿命はもっても五年。ほとんどはそこまでもたず自壊する」
「……あなたは、はじめから知っていたんですか?」
「お前が死霊武器を複製した時から薄々、感づいていた。その手の外道行為には詳しい骨がいてな。私の考えを裏付けてくれたよ」
「嘘でしょう? 嘘ですよね? ……確証はあるんですか?」
「死者は所詮、死者にすぎない。生者にはなれない」
マリアの言い放つその言葉に、鏡は一瞬、大きく身震いすると静かに頭を垂れた。
彼はこの時、悟ったのだ。
結愛と大浴の突然死。覚醒時の鈍い痛み。突然、この世界に現れた転生者という存在。それら全てをマリアの言葉が紐解いていく。
転生者などいない。
ここにいるのは、ただ捨てられるだけの人形だけだ。
彼女の言葉通り、死者は生者にはなれない。そして、同時にマリアの思いも理解したことだろう。
彼女はそれを知りながら鏡達と戦った。人形などではなく一人の人間として、ゴミ同然の突然死などではなく人間として死ねるように。
「この世界はあらゆる魂が一度は訪れる場所だと言われている。私はそれを女神から聞いた。おそらく作られたものは、作り主の元へと戻るためだろう。お前を人形に仕立てた奴はそれを知り利用した。魂縛の網に掛かった魂を人形に封じ込めることによって兵士を生み出した。それがお前達、転生者の正体だ」
激しく降り続ける雨の中、マリアの歩く音が響き渡る。
漆黒の剣を手に真紅の瞳が輝いた。死が近づく中、鏡は身動き一つしない。
マリアはうずくまる鏡の真横に立つと、刃を振り上げた。
「選べ。このままゴミのように突然死するか、私に人としての意識があるうちに首を切り落とされるか」
彼女の問いに鏡は即答しなかった。
しかし、震えるその唇が次第に言葉を紡ぎ始める。
「あなたに殺されるのも悪くないとボクは今、思っています。だけどまだやるべきことがある。……この場は見逃してくれませんか?」
「私に剣を下ろせというのか」
「お願いします。全てが終わった時にボクは必ずあなたの前に現れます。その時に……先程の問いに答えます」
マリアは思案するかのようにただ黙っていた。
しかし突如、沈黙を破ったのは金属が空間を裂く音だった。振り上げた剣で空を切り肩へと乗せたマリアは、身をひるがえすと鏡へ背を向ける。
「雨が強まってきたからもういくわ。私はね。髪が汚れるのが嫌いなのよ」
そう言い残しマリアはその場から姿を消した。鏡はただうずくまりながら結愛の死体を抱きしめたまま動かなかった。
しかしゆっくりと消え去りそうな声だけが、震える体からこぼれ落ちる。
「……ありがとうございます」




