第44話「竜の砲火」
マリアはおもむろに天を仰いだ。
これから起こる惨劇を予兆したかのような、薄暗い空から雫が彼女の顔に落ちる。きめ細やかな肌を伝わる水滴を指で弾くと、マリアはぼそりとつぶやいた。
「……雨は嫌いだわ。濡れるのは嫌だもの」
前を向くと同時に輝く真紅の瞳。その小柄な体からは想像がつかないほど膨大な殺気を放出し、マリアの右手に濃縮した闇が渦を巻く。
具現化するのは彼女を象徴する巨大な漆黒の大鎌。そしてそれを合図とするかのように「紫の薔薇騎士団」は槍を構える。
「紫の薔薇騎士団、紡錘陣形。死棘をもってゴミどもを穿て」
マリアの鋭い声音を皮切りに猛烈な勢いで騎士を乗せた馬が蹄を蹴った。それを察知した結愛が声を張り上げる。
「紫の薔薇騎士団、紡錘陣形で突撃してきます!」
「王国騎士団重装兵を密集陣形で前へ! ボクの部隊も出る!」
鏡が身を乗り出すその時、彼の背中に突然、柔らかく温かな感触が伝わった。
それは青い髪を揺らし、決してたくましいとは言い難い鏡の背中へ抱きついた結愛のものだった。眼鏡の奥で目を閉じ、彼の白い軍服を指でぎゅっと握る。
「……先輩。気をつけて」
「大丈夫だよ。ボクは負けないから。ただもし彼女がボクの部隊を倒したら一騎打ちになると思う。その時は結愛。君が支援してね」
「はい」
まるで別れを惜しむかのように少し間を置いて、結愛は背中から離れた。それと同時に鏡は空色の髪を揺らし走り去っていく。
その少女とも思える可憐で、それでいて力強い背中を彼女はずっと見つめていた。
飛び散るは鮮血。瞬きする暇すら与えず繰り出される剣閃の奥で、マリアは素早く周辺を一瞥する。
彼女の大鎌は密集陣形を容易に切り裂き、そこを重騎馬隊が穴を開けていった。彼らが通り過ぎた後は、踏みつぶされた死体だけが残り大地を染めていく。
だがマリアは王国騎士団の奇妙な動きに気が付いていた。
誘われている。
確かに彼女の斬撃と重騎馬隊の突撃を阻止するのは、例え重装兵の密集陣形をもってしても難しいだろう。しかしそれを加味してももろすぎる。
あたかもそれはある場所へとマリアと騎馬隊を誘い込んでいるように、彼女には思えた。
紫の薔薇騎士団の先端が重装兵の壁を突き抜けたその時だった。
突如、マリアの視界が開ける。ぽっかりと空いた空間は王国騎士団が左右に割れできたものだった。誘い込まれたその先に立ちはだかるのは、今までの戦闘でも見たことがない赤い鎧に身を包んだ兵士達だ。
膝を折り彼らが見据える先。それはマリアではなく……彼らが手にする銃器に備え付けられているものに類似した照準だ。
「竜騎士隊、一斉掃射!」
鏡の声が響き渡ったその時、兵士の構えた銃口が火を吹いた。
戦の喧騒を切り裂き命を貫く弾丸は、遠くで戦うシオンの索敵の目に探知される。彼女の瞳に映し出された小規模な魔法陣には、「前線損失」と赤く表示されていた。
それは一瞬で騎馬隊に損失が出たことを意味している。シオンの目が驚愕したのか大きく見開いた。
「一瞬で……そんな……」
「あたし達が真っ向からあの死神と戦うと本気で思ってたのかい?」
火花を散らし交差した刃の向こうで朱莉が口角を上げた。
「騎馬隊に突撃される前に打ち倒すことが可能な武器。……まさか銃器!? そんな!? この世界にそんなものないはずなのに!」
「あたし達にはこの世界にはない経験がある。知識がある。そしてそれを実現できる鏡の能力があるんだよ!」
シオンの言う通りこの世界には銃器は存在しない。
製造する技術も確立されていない。しかし鏡の能力「複製顕現」によりイメージした銃器を複製し、特別に訓練した兵士にそれを持たせることで実現させたのだ。
鏡がいた世界に存在した精密な弾丸は不可能だが、それに近い物を作成することはこの世界でも可能だった。
それにより生まれたのが鏡専属の部隊「竜騎士隊」である。
「あんたはあたしを孤立させることに成功してる。だがそれは逆にあの死神を窮地に陥れているのかもしれないよ!」
不敵な笑みを浮かべる朱莉を一瞥し、シオンははるか遠くへ視線を移した。
「……隊長!」
焦げた臭いに混じり、血の臭いも漂いはじめていた。
白煙が過ぎ去ったのち、大地を血で染めるのは弾丸に打ち抜かれ崩れ去る騎馬隊の姿。その中央でただ一つ真紅の瞳が浮かび上がっていた。
急速に修復していく体から先が潰れた弾丸が飛び出していく。いまだ殺意が衰えることを知らない紅玉を輝かせ、マリアは竜騎士隊を見据えた。
「……ふん。シオンが言っていた異世界の兵器。まさかこの世界で見ることになるとはね」
彼女は漆黒に染まる大鎌を前に掲げた。それと同時にマリアの背後に集結するのは、銃器の一斉掃射から逃れた薔薇騎士団の騎馬隊だ。
「紫の薔薇騎士団、紡錘陣形」
迅速に陣形を整えていく騎士達を前にして鏡が声を張り上げる。
「竜騎士隊、装填準備! 王国騎士団、密集陣形!」
素早く後退する竜騎士隊の前に王国騎士団が密集陣形を形成していく。そこへマリア率いる「紫の薔薇騎士団」が突撃していった。
立ちはだかる兵士達を彼女は巨大な刀身で切り裂いていく。しかし鏡の部隊は何百という人の壁の向こう側にいる。
例え鏡の能力をもってしても複製できる銃器は数百程度である。さらにこの世界で作成できる技術の弾丸に合わせてあるため、連射は不可能。そして装填にも時間がかかるという難点があった。
そこで彼は王国騎士団の密集陣形を時間稼ぎに利用した。銃撃時は左右に展開。装填時には中央に集結し密集陣形を形成。騎馬隊の勢いを抑える作戦だ。
マリアの斬撃が竜騎士隊へ届く前に再び左右が開ける。
そこで待ち受けるのは無慈悲な弾丸の嵐だ。空間を銃声と共に貫く銃撃に騎士達が次々と地面へ倒れていく。だがなおも体を再生させながらマリアは突撃をやめなかった。
「薔薇騎士団、紡錘陣形。やつらを刺し殺せ!」
損耗を出し続けながら愚直にも突進をやめない彼女に、鏡は怪訝な表情を浮かべる。
いくら密集陣形とはいえ死神の斬撃と騎馬隊の突撃を完全に抑え込むことはできない。確実に王国騎士団の損失は増え続けている。しかし銃撃にさらされている薔薇騎士団の被害は決して少なくはないはずだ。
いたずらに戦力を消耗する戦いは彼女らしくない。鏡はそう思ったのだろう。
「……なぜ、あの人は突撃を続ける?」
一瞬、よぎるであろう不安に彼は周辺を見渡した。当然、周りにいるのは自軍の兵士だけだ。
湿気を帯びた粒子が彼の肌にまとわりつく中、生ぬるく血の臭いが混じった風が吹き抜けていった。




