第43話「二人のヴェットシュピール」
くさび形陣形を形成した王国騎士団の中央で、鏡 鳴落は空色の髪を揺らし天を見上げた。
まるでこの戦争の行く末を思わせるどんよりとした汚泥のような空。彼はそれに自らの未来を見ているのか、一瞬、その美しい少女のような顔を曇らせた。
「先輩。紫の薔薇騎士団動きました。数はおよそ九百」
索敵の目により薔薇騎士団の動きを察知した望 結愛が声を上げる。鏡達の動向を伺うかのように停止していた薔薇騎士団が突如、動き出したためだ。
鏡はアメジストの瞳を前へと向けた。
「対象。紡錘陣形を形成。突撃してきます!」
「予定通り密集陣形で応戦。前衛を重装兵で固めて騎馬隊の勢いを削ぐ」
冷静にそこまで口にして鏡は思案するかのように視線を落とす。結愛は怪訝な表情を浮かべて彼の顔を覗き込んだ。
「どうしました?」
「少ないね。想定より紫の薔薇騎士団の数が少ない」
「……伏兵……ですか? でも山道はこの一本だけです。周辺は険しい山で騎馬隊で奇襲するにはあまりにも不利な地形。彼らが馬を捨てて徒歩で奇襲するとは到底思えません」
「そう。そうなんだ。結愛。君の言うことは間違いじゃない。だけど何か……ひっかかるんだ」
鏡が思案するもの。それはマリアの計略に他ならないだろう。
彼女を前にして固定観念は危険だ。高枝 陽樹がそれを教えてくれた。彼は「地雷原を突破することなどありはしない」という考えに捕らわれていた。結果、死角を突かれ敗退したのだ。
しかし鏡には悠長に思案する時間などない。死棘はすぐそこまで迫っているのだから。
「結愛。朱莉さんの配置は?」
「予定通り密集陣形の先頭です。障壁で死神マリアを食い止めます」
「わかった。……王国騎士団の兵を二分割する。密集陣形の守護隊の他にボクの部隊を守る兵士とに分ける。数はそうだね。密集陣形に五百。ボクの部隊の守備に三百かな」
「五百の兵で紫の薔薇騎士団の突撃を止められますか?」
「朱莉さんの憤怒の城壁があれば足りない分を補ってくれるはずだよ」
「……確かにそれなら可能かもしれませんが、どうして急にそんなことを?」
見つめる結愛の碧眼から視線を逸らし、鏡はアメジストの瞳を遠くへ向けた。
まるでそれは、ここから見えるはずのない倒すべき対象……マリア・デスサイズを見据えているかのようだった。
「ボクはね。思ったんだ。あの死神は王国騎士団じゃなくボクと戦いたがっている。だから直接、ボクを狙うんじゃないかなってね」
王国騎士団の先端。密集陣形で並ぶその中で赤毛のポニーテールを揺らし朱莉は目を見開いた。
何故なら彼女の瞳に「いるはずの存在が映らない」からである。突撃してくる騎馬隊の先頭に大鎌を構えた紫の薔薇がいない。
死神マリアは……忽然と姿を消していた。
「いない!? あの死神、どこへいった!?」
鳴り響く衝撃音。馬のいななきと兵士の怒号。
紫の薔薇騎士団の重騎馬隊と王国騎士団の重装兵がぶつかり合う。槍により貫かれ地面へ落ちていく騎馬隊の騎士達。それと同時に馬に踏みつぶされ、またはランスに貫かれ大地を血で染めていく兵士達。
双方、犠牲を払いながらも騎馬隊は突撃をやめない。だがそれは目の前の障害を取り除くというより「通過」しているように見えた。
薔薇騎士団は強引とも思える重騎馬隊の突撃により密集陣形を穿ち、そこへ騎馬隊をねじ込んでいく。
騎馬隊の動きは二通りに分かれていた。一つは障害となる歩兵を排除する動き。二つ目はそれとは別に「素通り」する騎士達だ。
彼らの目指す場所はここではない。
朱莉は自らに目もくれずに駆け抜けていく騎士達を一瞥した後、ある存在に気が付いたのか鋭い瞳をそこへ向けた。
彼女の憎悪に濡れた瞳に映るもの。それは歩いて近づいてくる一人の女性。
白い軍服で魅力的な肢体を包み込み、美しい黒い髪を後ろに束ねる凛とした姿。紫の薔薇騎士団副官、シオン・イティネルその人である。
黄玉に輝く瞳が朱莉を貫いた。
「隊長はここにはいません。あの方は彼との戦いを望まれています。そしてあなたは……ここに留まってもらいます」
「……あんたがそれをやるっていうのか? あんな死神に陶酔する頭のイカれた女がよ」
シオンはゆっくりと腰のレイピアの柄を握ると刃を解き放つ。
それは暗雲からこぼれる光に照らされ、銀色に光り輝いた。
「マリア隊長の思い。それはあなた方、転生者の救済です。私はあの方の思いを叶えたい」
憎悪が膨らんだ。
あのシノミリアの館での遭遇と同様に、死神に対する憎悪が彼女の美しい顔を歪ませる。
「救済だって? あたし達を殺すことが救済? ふざけるな!」
朱莉の腰から抜き放たれるは対の双剣。あの時、シオンを切り裂こうとした匠の刃だ。
「殺してやるよ。お前もあの死神もな!」
重心を低め、まるで獣のごとく襲いかかる朱莉。繰り出される連撃をシオンはレイピアで果敢に弾き返す。
しかし双剣の手数の多さはシオンを徐々に抑え込んでいく。明らかに防戦一方だ。
朱莉の右手から繰り出される斬撃をシオンは刃で受けとめたその時、赤毛のポニーテールが舞う。
打ち込んだ際に発生する回転力を生かし左手の斬撃へ繋げる。以前、シオンの剣を弾いたあの一撃だ。
前回は鏡によって阻止された白刃。しかし今はそれを阻むものなどありはしない。
「所詮は剣一本! あたしの双剣に敵うわけない!」
刃がシオンへ高速で迫る。その瞬間、朱莉は勝利を確信したことだろう。
だが返ってきた手応えは肉を切り裂くものではない。眼前に散るものは鮮血でもない。金属がこすれる不協和音と同時に輝く火花だ。
シオンは受け止めた刃を弾くのではなく横へ流した。それと同時に姿勢を低め連撃となる左手の双剣を回避。
流麗な動きから繰り出されるはレイピアの鋭い軌跡。交差する瞬間、それは朱莉の肩口を切り裂いていく。
血と共に漏れる朱莉のうめき声。傷口を抑える彼女を貫くのは黄玉の鋭い眼差しだ。
「以前の私とは違います。あなたは強い。だけどあの残虐の女王の双剣に比べたら倒せない相手じゃない!」
声を張り上げ再度、剣を構えるシオンに朱莉は、今だ弱まることのない憎悪の瞳を向けた。
王国騎士団の密集陣形をくぐり抜け、鏡のいる本陣前へとたどり着いた紫の薔薇騎士団は三百ほどだった。残りは依然、遥か後方にて戦闘中であり、その中には副官シオンも含まれている。
鏡率いる本陣を前にして彼らは突如、馬の蹄を止めた。そしてまるで女神の到来を待つかのごとく天を仰ぐ。
彼らの突然の行動に驚きの声を上げた結愛を一瞥して、鏡はおもむろに空を見上げた。その瞬間、汚泥のような空を黒い翼が横切っていく。
それは彼が見たこともない巨大な黒鳥だった。
「……以前、ゲハイムニスでの戦闘で死神マリアは空から強襲した」
鏡はそうつぶやくと鋭く輝くアメジストの瞳を前に向ける。
「……来る」
その瞬間、空から彼女は舞い降りた。
紫色のドレスを揺らし薔薇騎士団の前へ凛として立つは紫の薔薇。同色のセミロングの髪に可憐な顔立ち。そして真紅に輝く紅玉の瞳。
死神……マリア・デスサイズは、遠くにいる鏡へ死に満ちた微笑みを向ける。
「いくぞ。転生者は皆殺しだ」




