第42話「悪鬼」
剣と剣がぶつかり、槍が互いの肉体を穿つ。
火花と共に飛び散る鮮血。響き渡る衝撃音。怒声にも聞き取れる雄たけび。
山岳地帯に囲まれた平原「ヴェットシュピール」は、さながら闘技場と化していた。国王カスティゴを守護する王国騎士団と、彼の王座の転覆を狙う剣王ヴェルデ率いる王都解放軍。アフトクラトラスという大国の行く末を左右するであろう戦いの火蓋が切られた瞬間だった。
ヴェルデは先陣を密集陣形で突撃させ、王国騎士団を率いる王宮魔術師ゼーレ・ヴァンデルングは、同じく密集陣形で対応する。
ゼーレは密集陣形の応戦により騎馬隊の突撃する「穴」ができる機会を伺っていた。だがそれだけでなく彼の脳裏には、転生者達の姿も浮かび上がっていたことだろう。
死神マリア率いる「紫の薔薇騎士団」が不在の戦い。それならば彼女達がいる場所はどこなのか。
それは間違いなく本陣同士の激戦とは遠く離れた場所。鏡 鳴落の部隊が最後の戦いを繰り広げる戦場に他ならない。
鏡とマリア。勝利を手にしたものがこの戦の鍵となることだろう。本陣の兵站線を断ち切り挟撃に持ち込んだ者がこの戦の勝者となるのだ。
しかしヴェルデは用意周到に戦線を左右する別な「鍵」を持っていた。
それは密集陣形には組み込まれておらず騎馬隊にも組織されていない。遊撃手としての役割の他に隙あらば直接、本陣の頭脳であるゼーレ・ヴァンデルングを仕留めることも可能な騎士達。
戦場の黒き死神……エスペランス黒色騎士団である。
激戦を繰り広げる兵士達の間隙を縫い、漆黒の騎士が躍動する。
全能力強化により、常人を遥かに凌ぐ速度で駆け抜ける彼らの先頭を切るのは、双剣聖レジーナ・エスペランスだ。
彼女に託された使命。それは「ゼーレ・ヴァンデルングを殺せ」だった。
手にする双剣「精霊の竜牙」で迫り来る兵士を斬り伏せながら、その美しい顔を覆った漆黒の兜が前を見据える。
彼女のエメラルドの瞳に映し出される光景。それは幽鬼のように魔力を立ち昇らせる群青色のローブを纏った男だ。
頭髪が一本もない頭に奇妙な刻印。猛禽類を思わせる鋭い瞳を携えた王宮魔術師ゼーレ・ヴァンデルングである。
「双剣聖レジーナ・エスペランスか」
「これはこれは。自ら矢面に立つとは探す手間が省けます。王宮魔術師殿」
「ヴェルデなどに力を貸さず、そのままエスペランスに引きこもっておればよかったものを。所詮は蛮族の血筋か!」
激情したかのように目を見開くゼーレの頭上が淡い光を放つ。刻印に魔力が収束されている証だ。
レジーナは兜の奥から鋭い瞳を彼に向ける。
「……私にはやらねばならないことがありまして。ヴェルデ殿の共戦の申し出を受けたのは、私の目的と利害が一致するからです。王宮魔術師殿……いや、人喰いゼーレ」
彼女の言葉に反応したのかゼーレの表情が変わった。
そこにいるのは知的な王宮魔術師ではない。嘲笑う悪魔のごとく口角を上げ、血に飢えた瞳を輝かせる悪鬼の姿だ。
「お前のことはすでに調べがついている。カスティゴの旗の元、野盗と称して王国騎士団を使い障害となりえる者達を排除する傍ら、子供をさらって人体実験をしている悪党だとな。王都の地下でお前は……何をしている?」
レジーナは双剣の柄を握りしめ、ゆっくりと構える。
「国を支えるのは王ではない。民だ。その守るべき民の命をあろうことか怪しげな研究に費やすなど断じて許しはしない。……その首。貰いうける」
先手必勝。そう悟ったかのようにレジーナの体が鋭利な軌跡を描く。
魔法使用者と剣士の戦いは至って単純だ。先に魔法を行使したら魔法使用者の勝利。逆にその刃で先に肉体を切り裂けば剣士の勝利となる。
魔法を行使するには魔法構成に魔力を注ぎ込み発動させなければならない。まだ魔法技術が進んでいないこの時代、詠唱により高速で行使できるのは、先の時代から転移してきたシオンのみの例外と言える。
それゆえ発動前に懐に飛び込んでしまえばいい。レジーナの判断は正しかった。
ゼーレは魔法構成を全く刻んではいない。あとはその刃を振るだけで脆弱な魔法使用者の肉体など致命傷を受けるはずだった。
突如、降臨するのは光の渦。
まるで地上に舞い降りた天使のごとくゼーレの頭上に光輪が浮かぶ。頭髪のない頭部に刻まれた刻印が光を放ち形成されたものだった。
ゼーレの頭部を覆う刻印。それはすでに魔法構成であり魔力を注ぐだけで中位の魔法を行使できる代物だった。
「魔法の行使に時間がかかるとでも? あまぁい! 我が崇高な研究を邪魔するものには……天罰覿面ッッ!」
頭上に浮かぶ光輪がはじけ飛んだ。それは光の矢となって王都解放軍の兵士に降り注ぐ。
「中位精霊魔法・追尾する光弾ッッ!」
ゼーレの頭部から放出された魔法弾は、無慈悲に兵士の体を打ち砕き大地を血と白煙で染めていった。
その瞬間、巻き起こる土煙を何かが穿つ。左手に握った刃で魔法弾をはじき返しながら距離をつめたレジーナの体がゼーレの目前まで迫った。
空間を斬撃が切り裂く。
「その双剣。魔法付与の類かぁ? だが壁なら山ほどある!」
白刃が軌跡を描くと同時にゼーレの指が動いた。
その瞬間、近くにいた兵士の体が持ち上がりレジーナへと叩きつけられる。念動力により人形のように操られた兵士は、彼女の繰り出す刃の間隙に吸い込まれた。
飛び散る鮮血と同時に見開くエメラルドの瞳。その見据える先でゼーレの悪鬼と化した顔が浮かび上がる。
「貴様! 味方の兵を盾として使うとは!」
「代わりなどいくらでもいる。私が存在する限り兵力などいくらでも増産できるのだよ!」
ゼーレの周辺には彼の念動力により兵士が空中に浮かぶ。まるで見えない糸で操られているマリオネットのように。
その中心でゼーレの頭髪のない頭が再び光を発し始めた。天使の光輪を連想させるその光の下、残酷に瞳を輝かせた彼の口元が口角を上げる。
「再充填完了まで私の元へたどり着けるかなぁ? 双剣聖?」
ぽつぽつと雫が天より降っていた。
悪天候により昼とは思えないほど暗く人気のない山道を進むのは「紫の薔薇騎士団」だ。彼らの先頭をいくのは死神マリア。そして彼女を乗せた馬を操る副官シオン・イティネルである。
マリアの目的は王国騎士団の本陣を大きく迂回するように山道を進み、背面を取ることにある。それにより兵站線を断ち挟撃へ持ち込むためだ。
そしてそれとは別に彼女にはここで戦わねばならない相手がいた。彼らの動きを察知したのかシオンは鋭い瞳を前へ向ける。
「……敵性勢力確認。数はおおよそ千。こちらとほぼ同数です」
シオンの報告にマリアは答えない。
何故なら彼女は、彼らがここへくることをすでに理解していたからに他ならない。
「転生者、鏡 鳴落の部隊です」




