第39話「世界を調整する者」
漆黒の闇が覆い尽くす王都アフトクラトラスの夜。煌々と照らされたランプの下に美しい少女の顔が浮かび上がっていた。
左右を短く結った空色の髪。紫紺の輝きを放つアメジストの瞳。それらを有する人間は転生者、鏡 鳴落だ。
彼の前には不気味な刻印を刻んだ頭髪が一本も生えていない頭部がランプに照らされている。群青色のローブに身を包んだ王宮魔術師ゼーレ・ヴァンデルングである。
彼の目の前にある壁には魔法陣が浮かび上がっていた。
索敵の目のような小規模なものでなく大きなそれには、ぼんやりと人影が映し出されている。
対象の最後の記憶を映像として映し出す投影魔法陣である。
死ぬ瞬間の最後の情報というものは脳に強烈に残っていると言われていた。ゼーレは特殊な魔法技術によりそれを取り出す術を身に着けていたのだ。
鏡とゼーレが見つめる投影魔法陣には、一人の少女の姿がぼんやり浮かび上がっている。
いくら映像化できるとはいえ決して明瞭なものではない。焦点が合わないぼんやりとした視界で辛うじて特徴を把握できる程度だ。
その人物は紫色の髪にドレス。手には大きな三日月の物体を持ち「こちら」を見つめている。その特徴がさすものは死神マリアに他ならない。
そして彼女が見つめる相手……つまり鏡達が見ている最後の記憶の持ち主は、あのシングラーレ戦にて戦死した神聖騎士ポルヴェニクだった。
ゼーレ・ヴァンデルングは彼の死体を回収した後、素早く首だけを切り離し特殊な魔法技術にかけて保存した。そしてその記憶を抽出し投影しているのだ。
魔法陣の中でまるで亡霊のように浮かぶマリアは言葉を紡ぐ。
「私はプリメーラ。神の遺産である世界の調整者」
そしてそのマリアの特徴を持つ人影が一瞬、目の前へ迫った瞬間、ぷつりと映像が途切れた。
「……神の遺産。世界の調整者とは何か。ベルフェは知っているか?」
突然、口を開くゼーレに鏡は首を横に振る。
「聞いた事がありません。この王都にある書物にも書かれていませんでした」
「この世界における神は創生の女神ただ一人。その女神が最初に生み出したものが神の遺産と言われている。一人は世界の監視者。そしてもう一人が……世界の調整者だ。監視者は世界を監視し、調整者は世界を調整すると言われている。さらに詳しくはこの国の中枢……七賢者が知っているかもしれない」
「七賢者ってこの王宮の頂上にある賢者の間にいる人達ですよね? 会ったことはありませんが」
「そうだ。私ですら会ったことがない」
ゼーレの言葉に鏡は怪訝な表情を浮かべる。
王宮魔術師ともなれば国に関わる重要な立場にあると言える。そんな人間ですら「会ったことがない」七賢者という存在。鏡は「本当に存在しているのか」どうか疑問に感じてしまったのだ。
「国王しか謁見できない。私も名と存在を知っているだけでこの目で見たわけではない。仮に例外があるとすれば……それはヴェルデ卿だけだ。彼なら会っているかもしれない。何故なら聖騎士という騎士階級は、国王ではなく七賢者から授与されるという話だからな。……先程の話に戻そう」
「はい。あの死神マリアがその調整者であるというのですか?」
「奴は言っていたよ。人が生み落とされて以降、この世界を見ていると。……あのマリアという人物を調べた。アフトクラトラスでも紫色の髪は珍しい。死神としてのマリアではなく、人間としてのマリアの記録を探した」
「それで見つかったんですか?」
「シュトルツ領の農村トリステス。そこにマリアという名の少女がいたことが確認された。紫色の髪にちょうどあの女と同じくらいの歳だ。その農村は君達が転生する少し前に野盗に襲撃され壊滅している。その少女は病弱であの女とはまったく違う。それに何よりその農村の襲撃で……生存者はいなかったという話だ。村人も……野盗も全員だ」
「どういうことですか?」
ゼーレ・ヴァンデルングは鋭い瞳を鏡へ向けた。
「あの死神は本体はどうなっているか不明だが、少なくともあの少女の体を手に入れている。奴の話が真実ならば死神マリアという存在は人の体を乗っ取りながら永遠に生き続けている」
「……その調整者とは人の身で倒せる相手なのですか?」
「神の遺産は女神が生み出した完成体だと聞く。それはまさに神と等しき者」
ずっと何も映らない魔法陣を見つめていた鏡がゼーレへ視線を移す。ランプに照らされた紫紺の瞳はゼーレを貫いた。
「我々が殺さなければならない相手は神だ」
「……神殺しですか。ボク達がいた世界では物語とかで転生者が神様に助けられるパターンが多いんですけど。この世界の神様は逆にボク達を殺しにくるんですか。現実って厳しいですね」
鏡はそう苦笑するとおもむろに席を立つ。自らを見つめるゼーレの視線を気にする様子もなく、彼は背を向けた。
「あの死神の素性が知れてもボクがやるべきことは変わりません」
「……君ならそういうと思っていた」
「だけど一つだけいいですか? そのトリステスとかいう農村を襲撃した野盗って……実はこの国の騎士ではないのですか?」
その言葉にゼーレの動きが止まる。背中を見つめる彼の視線が鋭くなったのを鏡は感じ取った。
「……そう聞いた。実は私は当時、王都を離れていてね。詳しくは知らない。しかし何故そう思うのだ?」
「彼女の目的がボク達転生者を殺すことだけじゃない気がしまして。もしかしたら、その少女の望みを叶えようとしているのではないかって……そう思ったんです」
一瞬、間を置いて「聞かなかったことにしてください」と短く言葉を発すると、鏡は部屋を後にした。
扉を開けるまで自らの背中を貫く鋭い視線に、この国を覆う闇をわずかに感じながら。
ゼーレ・ヴァンデルングとの話の後、鏡が訪れた部屋には望 結愛が椅子に腰かけていた。
心配そうな視線を注ぐその先には、ベッドで横になる情島 朱莉の姿があった。彼女は鏡により気絶させられた後、そのまま眠り続けている。
鏡はそんな朱莉を一瞥すると椅子に腰かけた。
「……ゼーレさんの話はなんだったんですか?」
「死神マリアの正体を掴んだみたい」
「本当ですか!?」
「神様だって。この世界ができてからずっと地上にいる存在。それがあの人らしい」
マリアの正体と聞いて身を乗り出した結愛だが、鏡の返答を耳にして彼女は視線を下へ落とす。その表情はどこか陰りが見えていた。
「神様……ですか。私達を助けてくれると信じていた存在が私達を殺す側なんですね……」
「……助けてくれる……か」
突如、思案に暮れる鏡を見て、結愛が彼の顔を覗き込む。
「どうしたんですか? 急に考え込んで」
「思ったんだ。ボク達が転生したわけをゼーレさんは『わからない』って言っていた」
「そうですね。ゼーレさんにも理解できない現象だって」
「それならボク達を転生させたのは誰だろう? 偶然? 転生なんて偶然起きるものじゃないと思う。最初、ボクは神様が転生させていると思っていた。だけどその神様が殺す側なのなら……何故ボク達を転生させるんだろう?」
「つまり先輩は、私達を転生させたのは神様ではないって思うんですか?」
「うん。それにこの国は言葉でははっきり言えないんだけど……何かどす黒いものを感じるんだ。謎の転生者。存在が確認できない七賢者といわれる人達。明確な理由も判明せず戦争を仕掛けたヴェルデ・シュトルツ。そしてあの副官さんが言っていた大浴さんの怪死。ボク達の知らないところで何か大きな歯車が動いているような気がしてならないんだ」
鏡の言葉に暗く湿った不安が脳裏をよぎるのか一瞬、結愛は体を身震いさせた。
その時、沈黙を破ったのはベッドからする女の声だ。
「……どのみちあの死神を何とかしないと駄目なのは確かなんだろ?」
突如、響く朱莉の声に結愛が身を乗り出す。
「具合は大丈夫ですか?」
「……いくらかすっきりした。あの副官とやりあった時から記憶ないけどずっと寝てた?」
「えぇ。朱莉さん。<声>はまだ聞こえますか?」
真剣な眼差しで問いかける鏡の表情を一瞥して、朱莉はそっと目を閉じた。
「……聞こえない。今のところは。あの副官が言ってやがったよな。強ちゃんはそんなことは望まないって。知ったかぶりやがって」
「でもボクもそう思います。大浴さんはあんな朱莉さんを見たいなんて思わないはず。それにあの人が言っていた大浴さんの突然死は見過ごせません。仮にそれが事実であるにしろないにしろ、ボク達はボク達転生者のことを知らなすぎる」
「なんか手がかりでも探すつもりなの? これから戦争だって時に余計なこと考えるもんじゃないよ」
「変なことを気にしてしまう性分なんで。一つ気になる場所があります。ここ王宮の下にある誰も立ち入ることが許されない地下室。そこに何かあるんじゃないかって」
「忍び込むつもり?」
「というか扉の開け方がわかりません。それに誰が出入りしているかも不明です。なので開いた時間を使って少し調査しようかと思っています。複製顕現を使って扉を複製しそれを重ねることで偽造します。あとは誰かがそれを開ければ……解錠方法はボクに筒抜けになります」
「あんた。意外とずる賢いのね」
鏡は朱莉のその声に微笑みで返すと椅子から立ち上がり、「ゆっくり休んでください」とだけ短く言葉を紡いだ。
うなずく彼女を見つめると部屋を後にしようと扉へ手をかける。その時、ピタリと彼の動きが止まった。
「……ボク達、勝てますよね」
「勝てるさ。っていうか勝たないと駄目だろ。特にあんたと結愛は。せめてあんた達だけでも……さ」
そこまで口にして朱莉は毛布に頭をうずめる。
「あんた達だけでも幸せになりなよ」
消え去りそうなほど小さく震える声と自らの背中へ注がれる結愛の視線。鏡はそれに振り返ることなく部屋を出ていった。
「はい。必ず」
その言葉だけを残して。




