第37話「剣戟の重み」
シオン・イティネルは特別秀でた騎士ではない。
現在の魔法技術を遥かに凌駕する索敵能力などを持つものの、身体能力や剣の腕、弓の扱いなど全くもって才がない。どんなに積み重ねようともマリアを除く「紫の薔薇騎士団」の中で頭一つ飛びぬけて猛者であったチェアーマンには遠く及ばないことだろう。
だが彼女にはマリアさえも認める一つの能力がある。それは努力だ。
シオンは愚直とも思えるほど刃と向き合うことを積み重ねてきた。ただそれは自分のためではないのかもしれない。
自らが敬愛するマリアの笑顔を見たいだけだったのだろう。
索敵の目に反応する敵性勢力は六人。近づくにつれ詳細がシオンの脳裏に注ぎ込まれる。
身のこなし、単独行動、手にする動きを阻害しない短い直剣。近接戦闘を主体とした暗殺部隊だ。おそらくヴェルデ……いやマリアを殺すために事前に潜んでいたゼーレの刺客と思われた。
鳴り響く警笛を前にしてシオンは冷静に立っていた。その整った唇だけが言葉を紡いでいる。
「相手は人間じゃない。ゴミ。そうゴミ。人間だと思ったら駄目。やられる前に殺る。隊長がそう言ってたっけ……」
シオンの視界に黒い影が飛び込んだ。
その手に握る直剣が陽の光を浴びて鈍い光を放つ。まるで取り残された闇の残滓のごとく黒いローブを纏った人影がシオンめがけて斬撃を煌めかせる。
その瞬間、シオンはつぶやいた。
「うん。人間じゃないね」
一閃。
放たれた斬撃を身を捻り回避したと同時に、腰に差すレイピアが剣閃を生む。白刃は黒い塊を切り裂き鮮血が散った。
地面に転がった人影は一瞬、痙攣するとピクリとも動かなくなる。精密に頸動脈を切断された結果だった。
シオンが死体を確認する間もなく木々の隙間から何かが飛び出す。
左右からの挟撃。ほぼ同時に二本の白刃が煌めいた。
「上位全能力強化」
整った唇が短く言葉を奏でた瞬間、シオンの体が二本の剣戟を掻い潜るかのように素早く沈む。
頭上をかすめる白刃と入れ替わり空間を裂くのは、全能力強化により増した膂力が生み出すレイピアの刃だ。それは右側の暗殺者の首元を鋭利な軌跡で駆け抜け血しぶきをまき散らす。
シオンは、剣閃と同時に生み出された回転力をそのままに左腕で三人目の影を掴むと、地面へ叩きつけた。
血を吐き転がるとほぼ同時に彼女は地面に落ちた直剣を投げつける。それはまるで弾丸のごとく正確に暗殺者の頭部を射抜いた。
彼らの剣にはシオンが今まで経験したものに勝る要素は何一つない。
マリアのあの電光石火の剣閃も、チェアーマンの力強い斬撃も何もない。自らの生きる意味も守りたい者もそして見届けたいことも何一つ感じられないできそこないの刃だ。
そんな剣を自らが敬愛するマリアへ向けるのか。そう言わんばかりにシオンの黄玉が怒りとも思えるほど鋭く光る。
彼女の目の前に残った三人の暗殺者が迫っていた。
「……どうしてくれるのかしら? 王宮魔術師?」
会談を終わらせ席を立とうとしたヴェルデの動きを止めたのは、そんなマリアの一言だった。
いまだ着座したままのゼーレ・ヴァンデルングは、彼女を睨みつけたまま鋭い声音を響かせる。
「何がだ? 死神?」
「ワインが血生臭い悪臭で台無しだわ。早く片付けてくれないかしら? 外の死体をね」
死体。そのキーワードにヴェルデが一瞬、目を見開く。
この会談はお互い戦闘行為は避けるという名目で開かれている。それはここは殺し合うためではなく話し合いの場だからだ。
しかしあのミゼリコルドを事前に買収する狡猾な魔術師がそこにいる以上、律儀に守る保証などどこにもない。当然、ヴェルデはそれを見越して別室に騎士達をいつでも突撃できるように控えさせていた。
だがマリアの言葉から察するに彼らが動く前に、ゼーレからの刺客を仕留めた者がいる。
「何の話だ?」
「あんたが仕向けた刺客が放つ血の臭いよ。とぼけるつもりならそこの窓からでも覗いてみたら?」
ゼーレの表情が一瞬、険しさを纏った。
席を立ち眉根を寄せた顔を窓際の布へと近づけると、横へ押しのける。その瞬間、視界に飛び込んできた光景に彼は驚きで目を見開いた。
マリア達がいた部屋から少し離れた場所にある広場。そこに奇妙なものが立っていた。地面に打ちつけられた直剣が六本あり、それぞれの刃には血が滴っている。貫かれているのは黒い人型の物体だ。
それはゼーレ・ヴァンデルングが仕向けた刺客の死体だった。だが彼が真に驚いていたのは串刺しにされた六体の屍の中央に立つ一人の女だったことだろう。
女性にしては長身で美しい黒髪を後ろに束ねた凛とした姿。「紫の薔薇騎士団」副官シオン・イティネルだ。
シオンはゼーレに見せつけるかのように両手の中指を立てて睨みつけている。そして突き出したその手をくるんと半回転させると同時に親指を地面へと突き付けた。
「マリア隊長を不意打ちする汚い奴は地獄へ落ちろ! このハゲ野郎!」
シオンの咆哮が響く中、茫然と固まるゼーレ。それとは対照的にみるみる口元を歪ませ、愉悦を現すかのごとく口角を上げるのはマリアだ。
ヴェルデの含み笑いが部屋に響くその瞬間、ゼーレは怒り心頭の様子で布を思いっきり中央へ寄せる。彼は頭髪のない頭を真っ赤に染め無言で部屋を出ていった。
マリアはテーブルに置いていたワイングラスに手を添えると、最後の一滴まで飲み干した。
「……愉快な宣戦布告だったわ」
ゼーレが立ち去った後、館から出てきたマリアを迎えるのはシオンの姿だった。
先程まで剣戟を振るっていたとは思えないほど爽やかな笑顔を携えている彼女へ、マリアは微笑みを浮かべながら歩み寄る。
「なかなか痛快な見世物だったわ」
「ありがとうございます! 別な世界でみたもので真似してみました! 一度やってみたかったんですよー!」
「いいわね。私も別な世界とか行ってみたいものだわ」
「隊長ってどの世界いっても地上最強生物な気がします。……んじゃ帰りましょうか。馬の用意を……」
そこまで口にしてシオンの動きがピタリと止まった。マリアも「その存在」に気が付いているのか、紅玉に鋭さが宿る。
一瞬、沈黙が流れた後、シオンは笑顔を消し去りゆっくりと言葉を紡いだ。
「先に行っていてください。隊長。すぐ合流しますので」
「……そう。それじゃそうするわ」
突如、響き渡る馬の蹄の音。それはマリアを迎えるために駆け付けた薔薇騎士達だ。
彼らに連れられ姿を消すマリアを見送ることもなく、シオンは振り向くと一点を凝視する。
鋭さを秘めた黄玉が貫く先。そこには憤怒の悪魔を表情に宿らせた「サティ」こと情島 朱莉の姿があった。




