第36話「宣戦布告」
コンフィアンス領内ミゼリコルド駐屯地を抜けた王都解放軍は、ついに王都へと進撃を開始。
緊迫した空気が王都を覆い尽くす中、アフトクラトラス内にある街「シノミリア」で奇妙な光景が広がっていた。
街並みより離れた場所にある森に囲まれた邸宅が舞台だ。おそらく貴族の別荘であろうそこは、豪華な内装を施され見るものを魅了する。しかし、一室に座る男二人はとても貴族とは思えない風貌だった。
それは群青色のローブに頭髪が一本も生えていない男。そして「聖騎士」の証である光り輝く白銀の鎧を身に纏った騎士だ。
彼らを包み込む空気は、まるで殺気かと思えるほど肌を刺すような緊迫感を伴っていた。
アフトクラトラス王宮魔術師ゼーレ・ヴァンデルングと王都解放軍総大将ヴェルデ・シュトルツである。
王都への本格的な進攻を前にして開かれたこの密会は、ヴェルデが希望したものだった。彼は無血による王都解放を望んでいる。狙うはカスティゴが座する玉座であり民の命ではないからだ。
しかしそれと同時に宣戦布告の意味も含まれている。無血解放はあくまで理想に過ぎない。徹底抗戦の意思が国王にあるのならば王都を土足で踏み荒らすことも辞さぬ構えだ。
ゼーレ・ヴァンデルングも当然、ヴェルデの考えを理解していることだろう。穏便に話が進むのならばそれに越したことはない。いたずらに民の命で王都を汚す必要もないのである。
しかしこの日の彼は普段の冷静沈着な王宮魔術師ではなかった。猛禽類を思わせる鋭い瞳はとても会談を穏便に済ます男の表情ではない。さらにその視線はヴェルデに向けられているのではなかった。
「怖い顔ね。頭髪がないから余計にそう思えるわ。とても年端もいかない少女へ向ける顔ではないわね」
丸いテーブルにある椅子は三つ。
一つはゼーレが座るもの。二つはヴェルデが腰を下ろすもの。だが本来あるはずのない三つめに座っている存在がいた。ゼーレの神経を逆立てる「彼女」は、優雅にワイングラスを回している。
紫のセミロングの髪に同色のドレス。薔薇を思わせる可憐な容姿に光り輝くは真紅の瞳。死神と怖れられた「紫の薔薇騎士団」隊長、マリア・デスサイズだ。
彼女は呼ばれてもいないのにこの場にずかずかと入り込み、ヴェルデの酒蔵から勝手に拝借したワインを持ち込み一人飲んでいた。
「当然だ。何故お前がここにいるのか。私はヴェルデ殿と話をしにきたのだ。お前ではない」
「やめておけ。この女は人の話を聞かん。言うだけ無駄だ」
ヴェルデのまるで切り払うかのような鋭い声音が響き渡る。口を閉ざすゼーレと対照的にマリアは口元にわずかに笑みを浮かべていた。
「それより陛下の真意を知りたい。このまま戦争を続け王都を血で汚すか。それとも解放するか」
「我々は屈しない。王都解放軍が侵略するのであれば打ち砕くだけだ」
ゼーレの機械的な声音にヴェルデが声を荒げた。
「この期に及んでまだ王座に固執するか!」
「陛下は戦うことを選んでおられる。ならば臣民はそれに従うのみだ。それに解放しろという要求は圧倒的優勢に立つ者がいうべきだ。王都解放軍がその立場にあるとは言えないのではないか?」
「どちらが優勢かどうかの話ではない! 戦場となるのは王都だ。民の命に危険が及ぶ。それでもいいのかと問いている!」
「ヴェルデ殿はそのおつもりではないのか? それに民を所有する陛下が『戦う』と申されているのだ。従うのは道理」
まさに暖簾に腕押しといった表現が正しいだろう。ヴェルデが問うたところでゼーレは眉一つ動かさない。
マリアはつまらなそうに頬杖をつきながらワイングラスをくるくると回していた。ゼーレが発言すると左。ヴェルデが発言すると右……と真紅の瞳が左右を行ったり来たりしている。
「民が所有物か。そんな考えだからアフトクラトラスはここまで退廃するのだ!」
「ならば卿が戦に勝利し世界を変えるがいい。できるのならばな。だが今はまだこの世界はカスティゴ陛下のものだ」
その瞬間、ヴェルデの奥歯を噛みしめる音が響いた。茶色の髪を揺らしまるで猛獣のごとく瞳が鋭く光る。
「よほど戦争をしたいらしいな」
「何を言っている? 卿が起こした戦争ではないか。元々、交渉の余地などないのだ。卿が攻め込んでくるのならば我々は全勢力をもって叩き潰すのみ。せいぜいそこで呑気に酒を飲んでいる死神のご機嫌とりでもしたまえ」
「……わかった。どうやら話し合いをするという考えに至った俺が馬鹿だったようだ」
「本当に馬鹿ね。つまらなすぎるわ。どうせならここで二人で果し合いでもしなさいな。そちらのほうが酒の肴になるわ」
今まで無言だったマリアから放たれたこの言葉は、ヴェルデとゼーレの視線を釘づけにするには十分すぎた。
猛禽類を思わせる鋭い瞳と獅子のごとく光る瞳が同時にマリアを貫いた。殺気とも思える視線を前にしても彼女は、表情一つ変えずにワインを唇へ流し込む。
テーブルにグラスを置く音が静かに鳴った。
「王都を血で汚す王と、土足で踏みにじる未来の王。どちらも滑稽極まりない」
「……どういうことだ死神?」
「王たるものは自らの理想と信念を貫き、覇道を唱え覇道を突き進む者。過程なんぞに思いを馳せるなど度量に欠けると言わざるを得ない。王になりたくば血で濡れようと王都を瓦礫に化そうと己の剣をかざすのではなくて?」
「人を殺すことしか能がない死神に何がわかるというのだ!」
怒り心頭といった様子でゼーレが声を荒げた。だがそれとは対照的にヴェルデは冷静にマリアへ語り掛ける。
「まるで王というものを知るような口ぶりだな」
「王といえど所詮は人間。この世界に人が生まれ堕ちて以降、見続けてきた私が知らぬはずがないでしょう?」
マリアの言葉にゼーレは黙り込んだ。
この女の正体についてはこの場の誰一人として把握してはいない。ヴェルデですらただ「利害が一致した」というだけで協力体制にあるだけだ。
ただ彼らの間で共通していることは、少女の容姿を持つ人ではない彼女の言葉は、妄言の類ではないと感じているだろうことだった。
「ふん。確かにこの女の言うことはあながち間違いでもない。もし卿がこの国を変えたいというのなら実力でそれを示せばよい。我々は受けて立つだけだ。……ただ一つ問いたい」
ゼーレはそこまで口にした途端、何か思いめぐらすかのように一瞬、言葉を詰まらせる。
「卿の望みは陛下からの民衆の解放か? それとも陛下が座せられる玉座か?」
「俺の望みは恒久的な平和だ。そのためには戦争すら辞さない。王国騎士団が障害となるのなら……排除するだけだ」
ヴェルデの答えを皮切りに鋭い瞳を交わす二人の間で、マリアは再びワインを口に含むと小さなため息を吐き出す。
『ほんと。つまんないわ』
『そりゃトップ同士の会談なんて、つまらないに決まってるじゃないですかー』
『なんかこう刺激が欲しいわね。殴り合いでもしてくれないかしら。ハゲ頭を見るのも飽きてきたし。ほんとつまんない』
『っていうか隊長。何しにきたんですか?』
『ハゲ頭を見に来たのよ』
この会話はゼーレとヴェルデの耳には届いていない。マリアと外で待機しているシオンとの間で交わされている念話だ。
『ただ……解せないわね』
『何がです?』
『ハゲ頭がよ。この場に私とヴェルデがいるのよ? それなのにヴェルデの申し出を素直にうけて丸腰で来ると思う? 私の予想だとそろそろ来客がくる頃よ』
マリアの鋭さを秘めた声音が響いたその時だった。視線を下げていたシオンの顔が突然、跳ね上がる。
別荘を中心として広範囲に張り巡らされた索敵の目による監視網に何かが反応した。
森の中を音もなく駆け抜けていく影が六体。シオンの目に映し出される小規模な魔法陣より敵性勢力接近の警笛が鳴り響く。
『さすが隊長ですね。敵性勢力と思われる正体不明の敵が六体こちらに接近中。残り五分ほどで接敵します』
『おそらくハゲ頭が差し向けた刺客というところかしら。私は今ワインを愛でるので忙しいのよ。シオン、あなたが始末なさい。そしてあのハゲ頭に見せつけるのよ』
シオンがゆっくりと立ち上がった。
長く美しい黒髪を束ねる髪留めを再度、付け直すと鋭く黄玉が光り輝く。そこにいるのは以前の弱弱しいシオンではない。
マリアに鍛えられチェアーマンの意思を継いだ「紫の薔薇騎士団」副官の凛々しくも薔薇のように鋭利な姿だ。
『了解。そこにいるハゲ頭に思い知らせます。マリア隊長に刃を向けた者の末路を!』




