第35話「咆哮」
静まり返り、暗闇に満ちた深緑の中、二人の女の姿が浮かび上がる。
光の精霊を集めた光球がライトのように周辺を照らす中、紫色のセミロングを揺らしマリアは一点を見つめている。彼女の横に立つシオンは、茫然とした様子で立ち尽くしていた。
彼女達の目の前に広がるもの。それは無残に切り裂かれたかつての仲間達と、凄まじい形相のまま転がっているチェアーマンの首だった。
小刻みに震えるシオンだけが聞いていた。
彼女だけに届けられた念話。それはチェアーマンによる最後の言葉。
「我が聖母へ最後の忠誠を! 我が命は騎士を捨てすべてあなたの元へ!」
その言葉の意味をシオンは理解していたに違いない。
自らの死を悟った彼に託されたのだ。マリアのことを。薔薇騎士団の行く末を。
だが彼女の胸に沸き上がるのは悲しみだけだった。醜いはずであろうチェアーマンの素顔は、シオンにとってかけがえのない仲間の人間の顔に見えたに違いない。
マリアはゆっくりとチェアーマンの首へ近づくと膝を折った。
「最後まで忠義者だったな。大義だった」
優しい声音が響いたその時だった。
死んでいるはずだった。動くはずがなかった。しかしチェアーマンの醜い表情は荒々しさが抜け、安らかな寝顔へ変化しゆっくりと瞳が閉じる。
「シオン。あなた簡単な火の精霊魔法くらい使えるでしょ?」
「……はい。可能です」
「今すぐこの死体を焼きなさい」
「隊長!?」
「あんた忘れたの? 彼が素顔を隠す理由を? このまま素顔を晒すことはチェアーマンにとって屈辱でしかない。焼け。今すぐだ」
チェアーマンが常にアーメットをかぶっていたのはこの素顔が原因である。
吸血鬼と瓜二つの素顔は人に恐怖を抱かせ、結果、彼を投獄させる要因となった。チェアーマンが半吸血鬼と知っててなお人として接していたのは、他ならないマリアとシオンのみなのである。
涙ながらにシオンが魔法構成の詠唱を開始。それと同時にチェアーマンの死体が熱を帯び発火する。
暗闇の中、炎が燃え上がった。その中で安らぎに満ちた彼の表情が焼かれ朽ち果てていく。
マリアはそれを一瞥すると、鋭い瞳を闇へと向けた。彼女の右手には、暗闇の中でもはっきり視認できるほどの濃密な闇が渦を巻いている。
「チェアーマンを屠るほどの力。常人には不可能だろう。お前の仕業か転生者」
闇で揺らぐ炎の赤い光が照らし出す先。そこに黄色の軍服が見えた。
金色の短い髪を携えた長身の男。転生者、大浴 強一の姿だった。彼は左手に金色の錫杖「強欲の運命筒」を握りマリアを見据える。鋭い視線ながらもその表情は苦悶に満ちていた。
「傷を負っているな。チェアーマンに斬られたか。そんな体で私と斬り合う気か?」
「……うるせぇんだよ。ロリ死神が」
短く答えると大浴は身を乗り出した。
ゲハイムニスで見せた逃げ回る彼とは違う。一歩一歩踏み出すその姿は鬼気迫るものを見る者に与えた。その鋭い表情から感じ取れるものは一歩も引かぬ決死の覚悟だ。
大浴は勢いよく錫杖を地面へ突き刺す。
「お前を殺さねぇとまたあいつが戦場に出る。お前を殺さねぇとあいつが殺される。何としてでもお前をここで……殺さねぇとならねぇんだ!」
「……女のためか」
マリアの冷静で冷たい声音に大浴が吠える。
「惚れた女を守るのが男ってもんだろうがぁ!」
闇夜に浮かび上がるは七本の光の帯。地面に突き刺さる錫杖の頂上に刻まれるは「七宝剣」の文字だ。
「顕現しろ! 七宝剣!」
「死神の大鎌召喚」
漆黒に染まる巨大な大鎌を構えたマリアへ六つに及ぶ白刃が舞った。
その瞬間、マリアの右足が大地を穿つ。触れれば五体を容赦なく斬り飛ばす斬撃を紙一重でくぐり抜けていく。
闇に浮かび上がるは赤い帯を引く真紅の眼光。紫色のドレスを揺らし四撃目、五撃目と回避。最後の六撃目で左足を軸に回り込むように大剣の刃を抜けた刹那、黒き斬撃が飛ぶ。
一撃で生ある者の命を奪う強烈無比な剣閃が、大浴の首元目がけて精密な軌跡を生んだ。その瞬間、響き渡るは硬質な金属音。
火花と共に七本目の大剣でマリアの斬撃を防いだ大浴は、その威力に押され大きく弾き飛ばされるように後退した。
隙を見せずマリアは大鎌を再び構える。
「思った通りだ。その大剣。鋭く正確な斬撃だが動きが一定で大振りゆえに戻りが遅い」
彼女の言葉は真実だった。
七宝剣の弱点。それは自動攻撃ゆえの融通の利かなさである。つまり「決められた動きしかできない」斬撃だ。故に一度、動きを覚えられ懐に入りこまれると、途端に対処が遅れる。
大浴が自動で攻撃を行う大剣を六本に絞っているのはそのためである。自らの身を護る七本目を常に手動で操作しているのは、彼自身が弱点を理解しているからに他ならない。
マリアの紅に染まった鋭い眼光が大浴を捉えた。
「次。その剣を繰り出した時、私の刃がお前を切り裂くぞ? 転生者」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
口から鮮血をまき散らしながら、鬼気迫る表情で大浴が咆哮を上げる。まるで自らの命を燃料として燃やしているかのように七宝剣は唸りを上げた。
迫り来る高速の斬撃を前にマリアの真紅の瞳が輝く。
一撃目、壱剣。右薙ぎの斬撃を姿勢を低めかわし突撃を開始。
二撃目、弐剣。頭上からの唐竹を横移動で回避。
三撃目、参剣。頭部への刺突を頭を捻り回避。
四撃目、肆剣。下段からの左切り上げを左へのステップで回避。
五撃目、伍剣。左肩からの袈裟切りを右へのステップで回避し踏み込み。
そして最後の六撃目、陸剣……下段からの右切り上げを足を軸とした回転運動で回避。それと同時に大鎌の殺傷範囲に大浴の体が入り込む。
赤い眼光を走らせながら回転による遠心力を刃に込め、死神の大鎌が剣閃を生んだ。極限の研ぎ澄まされた感覚が生み出すゆるやかな時の流れの中、自らへ高速で迫る白刃を前に大浴が叫ぶ。
「く……くそがぁぁぁ!」
咄嗟に右手で七本目の大剣を繰り出す。天を斬るような七剣の切り上げが銀色の弧を描くと同時に、暗闇の中、鮮血がほとばしった。
それは大浴のものではない。彼が放った渾身の刃は、斬撃体勢に入っていたマリアの左腕を切り飛ばしたのだ。
だがそれでも彼女は止まらない。左腕が吹き飛んだとほぼ同時に大鎌の刃もまた大浴の体を深々と切り裂いていった。
血煙の中、後ろへ倒れる大浴とそれを見下すかのように冷たく鋭い視線を輝かせるマリアの姿がそこにはあった。
大浴が口から大量の血液を吐き出したその時、浮かび上がる七宝剣の大剣がまるで散る花びらのように儚く砕け散っていく。
「……七宝剣でも勝てねぇのかよ。なんなんだよおめぇはよ」
「お前が対峙しているものは、この世界に人が生まれる以前から存在するものだ。世界の創造を見、そして調整してきた私にゴミが勝てる道理などあるのか?」
「なんだよそれ。神様相手に喧嘩売ってたってことかよ。勝てるわけねぇだろうが。……おい。ロリ神様よ。さっさとトドメ刺せや」
消え去りそうな瞳で天を仰ぎながら大浴は力なくそう口にした。
だがマリアは刃を振り上げることもなく、今だ鋭さを湛えた紅玉で大浴を見据えている。
「お前はじきに死ぬ。私が手を下さずともだ。そしてそれはお前だけじゃない。他の転生者もだ」
「……おい。それってどういう意味……がっ。があああああああ!」
突然、悲鳴に似た叫び声を上げる大浴。彼は苦悶の表情を浮かべ、喉をかきむしる。
「息が……できねぇ! 体が燃えるように……熱い! なんだよこれはああああ!」
闇に彩られた深緑の中、響き渡る大浴の断末魔の叫び声がピタリと止まる。
静寂が訪れたその時、そこにいたのはおおよそ斬撃による死に方とは到底思えない、苦しみ悶えた大浴の死体だった。
死にざまをただ黙って見つめているマリアの横をシオンが通り過ぎていく。彼女は彼の横に膝を折ると陰りの見える表情を浮かべた。
「……これが……これが彼らの死ですか。こんなの……こんなのって……」
シオンは小刻みに体を震わせながら目を伏せた。
闇の中、ランプを手に一人の少女が駆け抜けていく。
長く後ろに結ったポニーテールの赤毛を揺らし彼女がたどり着いた先。そこは大浴とマリアが死闘を演じた場所だ。
転生者、情島 朱莉は目の前にあるものが浮かび上がったその瞬間、茫然と立ち尽くした。
ランプの光に照らされるのは、かつて前世で共に生きた人間の姿。そして転生した今でも同じく日々を過ごした幼馴染であり、彼女が一生共に生きてもいいと思っていたであろう男。
転生者、大浴 強一の苦しみ悶えた表情を浮かべた変わり果てた姿だ。
「強ちゃん?」
ランプが地面へ落ちる。
それと同時に朱莉の体が小刻みに揺れた。次第にその表情は悲しみから憎悪を湛えたものへと変貌していく。
「……殺してやる。あの女。絶対ぶっ殺してやる!」
呪詛のごとく憎しみのこもった声音が、暗闇の中で響き渡っていた。




