第34話「忠義と懸想」
陽が落ちかけ辺りが闇へと沈んでいく森の中、複数の馬の蹄が大地を駆けた。
木々の間を縫うように続く細い道を白い馬が二頭走っている。その背に乗るは転生者、情島 朱莉と望 結愛だ。
そして彼女達を追撃するは三頭の黒い馬。チェアーマンと彼が率いる「紫の薔薇騎士団」の騎馬隊である。
隊長であるマリアの命令。それは「あの青髪の女を生かして返すな」である。チェアーマンはただその目的を果たすだけを考え、途中で他の騎士がはぐれようが追撃により死亡しようがひたすら結愛の背中を追った。
後ろを振り向く朱莉は、敵地の奥深くまで入り込んでも亡霊のように食いついてくるその黒い馬に恐怖を感じたのか顔を引きつらせた。
「くそっ! しつこいな! せっかく死神マリアに対する対抗策ができたって時に!」
「無我夢中でしたがあの光。やっぱり死神に効いたんですね!」
「原因はよくわからないけどおそらくあいつにも苦手なものがある! それがあの光なんだよ! 王都に戻ってそれを鏡に伝えないといけない! うまくいけばあの女を殺せるかもしれないんだ! ただ……あたし達が無事に戻れたらの話だけどね!」
朱莉達は敗走するレイザック達とははぐれ孤立していた。
それゆえ彼女達は自力で何とか逃げ切らねばならない状況だ。結愛の索敵の目により辛うじて王都への方角は間違ってはいないが周囲は暗闇に包まれつつある。
完全に闇へと閉ざされてしまえば帰還も困難を極めることだろう。さらに追撃するチェアーマンは速度を落とすことすらなかった。
絶望的とも思える逃避行。そんな中でも朱莉は希望を求めてただひたすら前だけを見つめた。
その瞬間、風切り音が耳に響く。
結愛の乗った馬が限界に近付き速度が落ちたその時、チェアーマンが投げた投槍が彼女の馬を貫いた。大地に転がった結愛は受け身を取りなんとか軽傷で済んだものの、彼女のすぐ目の前まで騎馬隊が迫っていた。
辛うじて差す光により鈍く輝く槍の矛先が結愛の目に映りこむ。彼女は美しい顔を蒼白とさせ大きく身震いした。
「……いや。助け……」
「結愛!」
朱莉が引き返そうとしたその時、何かが空から舞い降りた。
それは一筋の剣閃をもって騎士の体を切り裂く。断末魔とも聞こえる馬のいななきと共に、騎士が崩れ落ちたその場に一人の男が立っていた。
金色の短い髪に長身を包み込む黄色の軍服。結愛を守るように立ちはだかる彼は転生者、大浴 強一だった。
「強ちゃん!?」
「遅くなっちまった。だがいい登場タイミングだったな!」
大浴は騎士の血に濡れた大剣を地面へ投げ捨てる。それと同時に朱莉が結愛の体を拾い上げ馬の背に乗せた。
「ここはオレが何とかする! おめぇは結愛ちゃん連れて逃げろ!」
「あんた一人でどうするんだよ!?」
「……今日のオレはな。一味違うんだよ!」
不敵に笑う大浴の左手には輝く錫杖「強欲の運命筒」が握られている。その筒状に形成された先端に輝く文字。そこには「七宝剣」と刻まれていた。
結愛を逃すまいと迫る騎馬隊を前に大浴が叫ぶ。
「顕現しろ! 七宝剣!」
刹那。大浴を中心に七本の光の帯が天を突いた。
光が収まったその時、彼の周辺を七本の輝く大剣が宙に浮いている。迫る騎士に呼応し大剣の刃が唸りを上げた。
「七宝剣は自動攻撃の大剣だ! 手加減とかんなもんねぇから覚悟してこい!」
瞬く間に繰り出されるは七本の剣閃。宙に浮く大剣はまるで意思を持っているかのように白刃を生み出し、迫り来る騎士を馬ごとズタズタに切り裂いていく。
血と肉片が飛び散る中、大浴は鋭い瞳を一人の男へ向けた。それは馬を止め大地へ降り立つチェアーマンに注がれている。
彼は槍を投げ捨て腰の愛剣を抜いた。黒光りする直剣と共に大浴へ迫るのは肌を刺すかのような強烈な殺意だ。
「早くいけ!」
大浴の声に朱莉はうなずくと馬を走らせる。それと同時にチェアーマンの口から無機質でそれでいて冷酷な声音が響く。
「我はあの女を殺せと命じられた。あの方の言葉は絶対だ。我が命に代えても果たさねばならない!」
「七宝剣を前にしてもおめぇには引かねぇ理由があるんだろうけどよ。だがオレにだってなぁ。譲れねぇもんがあるんだよ!」
その声が合図となり姿勢を低くしたチェアーマンの体が地を這うかのように素早く動く。
彼の突撃に呼応し、七宝剣が空間を裂いた。繰り出される六つの白刃をチェアーマンが紙一重で回避していく。だが躱しきれず左腕をまたは太ももを切り裂かれ、血をまき散らしながらも彼の突撃は止まらない。
六回目の斬撃をくぐり抜け、ついにチェアーマンの黒い剣閃が大浴の首元を捉えた……その時だった。響き渡るは硬質な金属音。彼の斬撃は宙に浮く金色の錫杖とぶつかり合い火花を散らす。
それと同時に大浴の体が低く沈んだ。彼の右手に握られているのは動いていない七本目の大剣。
逆手に掴んだ刃が剣戟を生む。白刃はチェアーマンの体を深々と切り裂いていった。
血しぶきと共に倒れる彼を見据え、大浴は大きくため込んでいた息を吐き出した。その顔は驚愕に満ちている。
「……まさか七宝剣を掻い潜るなんざとんでもねぇ化けモンだぜこいつ。万が一のために一本手動にしておいて正解だった……」
動かないチェアーマンを捨て置き大浴は背を向けた。
その瞬間、獣のごとくチェアーマンの体が素早く動く。手にした直剣を大浴の脇腹に滑り込ませた。
斬撃が交差する。黒い剣閃は大浴の脇腹を抉り、それと同時に振り向きざまに繰り出した大剣がチェアーマンの首を跳ね飛ばした。
切断された首からアーメットが転がる。そこにあるのは赤い目を見開き、まるで叫んだ直後のように大きく口が裂けた吸血鬼の顔だった。
血煙が視界に映る中、大浴は苦悶の表情を浮かべ血が出る脇腹を片手で押さえる。
「この化けモン野郎。まだ生きてやがったのか……くそがっ!」
指の隙間から止まらず流れ落ちるどす黒い鮮血。それは深手を負った証だ。
大浴は痛みにより脂汗を流しながら軍服の一部を破ると、血の湧き出る脇腹に巻き付け固く締め付ける。直ちに治療が必要な状態だった。しかし彼は王都とは逆の方向へ鋭い視線を向ける。
死ぬかもしれない。
しかし彼にはここで引き下がるわけにはいかなかった。あの赤毛の少女を守るために今、死神を討たねばならない……と。
――アフトクラトラス王国騎士団駐屯地。
レイザック軍とマリア達が死闘を繰り広げた場所と王都との途中に建設されている王国騎士団駐屯地である。そこに敗走した王国騎士団が逃げ込んでいた。その中に白い馬に跨った朱莉と結愛も含まれていた。
陽が落ち暗闇に閉ざされていた中、何とか建物の中へ逃げ込んだ二人を迎えたのは鏡 鳴落だ。彼は思わず帰還した結愛を両手で抱きしめた。
それを見て安堵のため息を出した朱莉だが、あることに気が付き周囲を見渡した。彼女にとってここにいるべき人間がいない。
「……鏡。あのさ。強ちゃん戻ってない?」
「大浴さんはかなり前に王都を出てから戻ってません。会いませんでしたか?」
鏡のその言葉に朱莉は目を見開いた。
朱莉と結愛は迷いながらここにたどり着いた。もし大浴がこの駐屯地から真っ直ぐ朱莉達の場所へ来たのなら、彼女達より早く戻っていたはずだった。
朱莉の脳裏に浮かぶのはあの七本の大剣「七宝剣」だったことだろう。彼女ですらはじめてみた「強欲の運命筒」におけるもっとも殺傷性能の高い能力だ。
だがその効果は一日しか持続しない。さらに次にその能力が発動するのはいつになるかわからないのだ。
頭の中をよぎるであろう最悪の状況を前に、朱莉は大きく身震いした。
「まさか……強ちゃん、一人で……!?」




