第33話「約束された未来」
太陽が沈みかけた紅の光がさす中、大地を鮮血が染めた。
青い騎士の間隙を縫って黒い風が舞う。双剣聖レジーナ・エスペランスの握る「精霊の竜牙」の生み出す剣閃が、一太刀の元に急所をえぐっていった。
その姿は艶やかにそれでいて冷酷。相手を殺すということのみを追求し研ぎ澄ました死のダンスだ。
金色の美しい髪を揺らし、かつて仲間だった人間を容赦なく切り殺していく彼女の表情には、一切の感情を感じ取れない。まるで人間を殺すことだけを刷り込まれた人形のようだった。
それはまさに彼女が受け継いだ「双剣聖」に隠れたもう一つの呼び名。「残虐の女王」にふさわしい。
レジーナの剣戟を皮切りに、周囲を包囲していたエスペランス黒色騎士団が一斉に動き出す。
無駄な装飾も装甲も減らした漆黒の騎士は、常人をはるかに凌ぐ速度で大地を駆けた。反撃を許すことなく歩兵の首を切り落とし、宙に跳び馬上の騎士すらその刃の餌食とする。
レジーナが着ている戦闘服はもちろん、黒色騎士団が装備している漆黒の鎧には、全能力強化の魔法付与が施されていた。
魔法による身体強化という分野にいち早く着目したレジーナが実用化させた殺戮のための鎧である。ただ体にかかる負担も大きく、精神、肉体ともに鍛錬を積まなければまともに動く事すらできなくなる呪いの品でもあった。
それゆえこの漆黒の鎧を纏い戦場を駆け巡る騎士は限られている。「戦場の黒い死神」と怖れられるエスペランス黒色騎士団は、アフトクラトラス全騎士団の中でもっとも殺傷能力の高い騎士でありながら、もっとも数が少ない騎士団でもあるのだ。
だがその力は凄まじく、数の上では兵力の劣るエスペランス黒色騎士団は、買収されたミゼリコルド魔法騎士団を圧倒していく。
繰り出される槍の切っ先を掻い潜り馬の脚を切り裂き、落馬した騎士の首を瞬時に跳ね飛ばす。時には頭上から強襲し、直剣が折れれば素手で相手の首を捻じ曲げる。逃げ回る兵士は背面から容赦なく斬りかかり、馬に乗って離脱しようものなら槍を投げつけ騎士の体を穿つ。
青の軍勢が瞬く間に黒に浸食されていく。それは戦などではなくただの虐殺に等しかった。
陽が落ち辺りが暗闇に閉ざされようとしていたその時、全ての青い騎士達がその動きを止めた。
左右に整列するは血に濡れた漆黒の騎士達。その中央を結愛によってつけられた傷を癒したマリアとシオン、フィロスが歩く。マリアの紅玉が見据える先、ミゼリコルド駐屯地の門には二人の男が立っていた。
青い礼服に身を包んだ黒髪の男性「ソキウス・ミゼリコルド」と白銀の鎧でその身を包んだ剣王ヴェルデである。
「……随分、遅いおでましね」
「これでも急いだほうだ。エスペランス黒色騎士団の速度には我々は追いつかん。……しかしまさか、お前が言った通りになるとはな」
ヴェルデが発したその言葉にマリアは口元をほころばせた。
――レイザック軍による外線作戦の数日前。
辺りが闇に包まれた夜。
コンフィアンス内王都解放軍駐屯地に存在する部屋の扉が音を立てる。誰かがノックするコツンという響きに部屋にいたヴェルデは怪訝な表情を浮かべながらも「入れ」と短く告げた。
ヴェルデの声に呼応するかのように開いた扉の先に立つのは紫の薔薇。艶やかなセミロングの髪を揺らし、紫色のドレスで着飾ったマリアの姿だった。
椅子に腰かけ彼女へ視線を移すヴェルデは、再び怪訝な表情を浮かべる。
「お前が夜にここへ一人でくるなど珍しいな」
「たまには酒でもと思ってね。こんな可憐な少女と酌み交わす酒などまず経験ないでしょう?」
マリアはテーブルの上にワインを置くとグラスへ注ぎ始めた。差し出されたそれを口にしてヴェルデの表情が驚きで変わる。
「……お前この酒。俺の酒蔵にあるワインだろう?」
「御名答。いい舌を持っているようね」
「最近、少しずつ俺のお気に入りのワインが減っているのはお前の仕業か。……まぁいい。それでなんの話だ? お前がただ酒を酌み交わすためだけにここにくるとは到底、思えん」
マリアは椅子に腰かけ細く美しい脚を組むとワインを唇の中へと注ぎ込んだ。口元から離れた揺れる血のように赤い液体の向こうから、ルビーの輝きがヴェルデを見つめる。
「剣王。あなた、シュトルツの兵力だけで王都を攻め落とすつもり?」
「何が言いたい?」
「……このままじゃあなた。負けるわよ?」
ヴェルデのワイングラスを掴む手が止まる。その猛禽類を思わせる鋭い目はマリアを見据えたままだ。
「例え私が転生者を始末できたとしても戦争そのものは負ける。何故なら私の目的は転生者を殺すこと。戦に勝利するためではない」
「お前の目的はすでに承知している。なんだ? 王都解放軍の行く末をお前なりに危惧しているのか?」
「まさか。私があなた達ゴミの顛末などに興味を持つわけがない。……ただあの子達は勝たせてあげたいとそう思っただけよ」
「随分と隊長らしくなったものだ。……正直に言おう。王国騎士団が全勢力をもって攻め込んできた場合、俺達に成す術はない。戦力差がありすぎる」
「かの剣王がそれを知らないわけではないでしょう。何か策を弄しているのかしら?」
ヴェルデはため息をつくとワインを再び口元へと流し込んだ。
「お前はなんでも見透かしているのか? ……これは極秘だがミゼリコルドとエスペランス当主との会談を予定している。彼らは中立の立場だ。だが戦争が早く終わってほしいのは彼らも同じ。さらにカスティゴ陛下による悪政の犠牲者も同じだ。彼らの民もまた苦しんでいる」
「それを理由に共戦を促すと?」
「うまくいくかどうかはわからん。ただ彼らとてこのまま見過ごすとは思えない。王国騎士団の勝利は悪政の存続を意味することくらい理解しているはずだ。共闘してくれる可能性は十分にある」
「……足りないわね」
「何がだ?」
「彼らを動かすにはそれでは足りない。もっと強く揺さぶりをかける何かが必要だわ。例えばそう……無理矢理にでも戦場に出させる強制力とかね」
「そんなことが可能なのか?」
「コンフィアンス領内ミゼリコルド駐屯地」
ヴェルデの言葉をまるで遮るかのように紡がれたマリアの凛々しい声音に、彼は一瞬、口を閉ざす。
「私の見立てでは今回の会談。そこを通過するためでもあるんでしょう?」
「その通りだ。だがそれとお前の言う強制力とどう結びつくんだ?」
「おそらくその駐屯地に彼らを動かす材料が揃っている。王国騎士団が王都解放軍に勝っているものは何も兵力だけではないわ。それは莫大な資金力。戦において相手を殺すのは刃を振り回すことだけではないわ。……ここまで言えば賢いあなたならわかるんじゃない?」
マリアの言葉から導き出される光景が脳裏によぎるのだろう。
ヴェルデは驚いたのか目を見開いた。
「お前。まさかミゼリコルド駐屯地が王国騎士団に買収されるとでもいいたいのか?」
「私が王国騎士団の側ならば……だけどね。駐屯地を出た先は恰好の迎撃場所。通路は一本しかないし抜けた後で扉を閉めれば退路も断たれるわ。いざとなれば挟撃も可能。そんな状況をみすみす逃すと思う?」
「しかしミゼリコルドが簡単に金に目がくらむとは到底……」
「どうかしらね。ミゼリコルドと言えど一枚岩ではない。末端の兵士にまで忠誠心が行きわたっているかと言えば疑問を投げかけずにはいられない。あなたも言ったでしょ? 戦争は誰でも早く終わりたい。王都解放軍の大打撃による戦争の終結と同時に手に入る莫大な金。人間が好みそうな状況ではないかしら?」
「もし仮にそうなった場合、それを餌にエスペランスとミゼリコルドを動かすのか。彼らとて身内から出た恥には動かざるを得ない。いわばそれで借りを作れば兵力の動員を促すことも可能。……お前の言う強制力とはそれか」
「御名答。賢い頭で助かるわ」
「だが矢面に立つ部隊はどうする? お前の言うことが現実になれば苦戦は必至。後続が間に合わなければ全滅するぞ?」
「私の部隊がいく。ミゼリコルド駐屯地の外に早馬を待機させておくわ。仮に扉が閉まってもシオンの念話で伝えられる。あとは私が戦況を維持するからあなたは死にもの狂いでエスペランスとミゼリコルドを動かしなさい。それと会談場所は可能なかぎり近いほうがいいわね」
マリアの言葉を耳にしながら腕を組み、思案にふけるかのように視線を落としているヴェルデへ彼女は微笑んだ。
グラスに残ったワインを飲み干すとおもむろに席を立つマリア。その小柄な背中へヴェルデが突如、言葉を投げかける。
「一つ聞きたい。お前の忠誠心はどこにある?」
ピタリとマリアの動きが止まった。
後ろを振り返ることなく、彼女はゆっくりと冷たくそれでいて力強く凛とした声音を響かせる。
「私の忠誠心は私自身に向けて注がれる。何者も例え神であっても例外はない。ただ……そうね。今はまだいないけど共に生きてもいい存在くらいは欲しいかもね。創生の女神に似た少女……とか」
ヴェルデは言葉を返さなかった。
一本のワインを残し、可憐な紫の薔薇はその姿を闇へと消した。
――ミゼリコルド駐屯地
マリアの言葉は現実となった。
コンフィアンス領内ミゼリコルド駐屯地に在中していた騎士はみな王国騎士団に買収されていた。王宮魔術師ゼーレ・ヴァンデルングの策略によって。
だが事前に予測していたマリアと迅速に動いたシオンにより危機的状況は回避。早馬により状況を知ったエスペランス当主レジーナ・エスペランスとミゼリコルド当主ソキウス・ミゼリコルドは、ヴェルデの一時的な共戦の提案を呑んだ。
そして駐屯地在中の騎士が攻め込んできた丁度その時、レジーナに従うエスペランス黒色騎士団が包囲。全てを血に染めたのだ。
レイザック軍の外線作戦は失敗に終わり、ゼーレの策も崩れ去った。
劇的な勝利に歓喜する薔薇騎士団とフィロスの部隊の兵士達。だが歓声が上がる中、ただ一人だけ顔を蒼白とさせている人物がいた。
シオン・イティネル。その人である。
「……隊長。チェアーマンが……!」




