第32話「漆黒の騎士」
望 結愛は視線を下に落とした。
王国騎士団レイザック軍の最大の矛である騎馬隊は壊滅した。残るは千人にも満たない歩兵のみだ。絶望が支配する中、死神は着実に転生者の首を刎ねるべく近づいている。
壊滅の報に茫然としているのは情島 朱莉だけではない。将であるレイザックも茫然自失としていた。
そこには兵をまとめ上げる大将としての気概も、状況を打破する知性も感じられない。ただ死が迫っているという恐怖に震える口だけが、人形のように無機質な声音を響かせる。
「……撤退だ」
「おっさん。いまさら撤退かよ。……どうやって? 千人もいないこの兵力でどうやって撤退戦やるっていうんだよ!? あの死神相手に!」
「本陣を守るように密集陣形を敷いて時間を稼ぐ」
「本陣を守るって……今残ってるのが本陣だよ! あんたが助かるために兵を犠牲にしろって言いたいんだろ!」
無気力なレイザックに険しい表情で詰め寄る朱莉。しかしそんな彼女を遮るように数人の兵がレイザックと結愛、朱莉の前に立つ。
彼らは各部隊を纏める騎士達だ。その決意にみなぎった瞳をレイザックに……いや朱莉と結愛に向けた。
「我らが殿を務めます。その間にサティ様、レヴィア様、レイザック様はお逃げください」
「私達だけ逃げるなんてそんな……」
結愛が身を乗り出し言葉を紡ぐその瞬間、怒声とも思える雄たけびが彼女の鼓膜を震わせた。
それは紫の薔薇騎士団が突撃した際に発生したものではない。密集陣形を組み槍を片手に突撃した王国騎士団の声だ。
さもその行動が当然であるかのように、騎士達は後ろを振り向かず結愛達を見つめている。その表情はすでに死を覚悟しているのが見て取れた。
馬のいななきと硬質な金属音。衝撃音。断末魔の叫び声。そして、吹き飛ぶ兵士の体の一部。生を貪る地獄絵図が結愛の碧眼に映りこむその時、騎士達は一斉に敬礼をし、腰の直剣を引き抜くと彼女達に背を向けた。
「……に……逃げて下さい!」
結愛のその声に騎士達は振り向かない。彼らが刃を向ける先に大鎌を手に迫る死神マリアの姿が浮かび上がる。
朱莉と結愛の目の前でそれは起きた。一瞬、剣閃が走ったかと思うと巨大な刀身が騎士達の胴体を切り裂いていく。
たった一撃。ただそれだけで先程まで会話していた人間が肉片へと変貌した。漆黒の刀身に滴る鮮血を振り払うと、死神は冷笑を浮かべゆっくりと歩み寄る。そこに言葉などなくただ絶望と殺意だけがみなぎっていた。
死神マリアを前にして結愛の脳裏に浮かんだものは何だったのだろうか。
自分が死ぬビジョンが見えた瞬間にそれを覆い隠すように浮かび上がるもの。それは……鏡 鳴落の笑顔だったに違いない。
刹那。望 結愛はある行動にでる。
手にするのは能力「光輝の羨望」使用の際に具現化する先端に宝玉が輝く杖だ。何を思ったか彼女はそれをマリアへ向けた。
光輝の羨望の調べが鼓膜を震わす。その奏では宝玉に光の渦を形成させ、まさに結愛を殺さんと迫るマリアへ炸裂した。
膨大な光が爆ぜる。その瞬間、後ろに控えるシオンとそれを見る朱莉。そして発動させた結愛本人が驚愕したのか目を見開く光景が広がる。
光が収まった時、そこには浮かび上がるのは、鎌を地面に突き立て大地に膝を折るマリアの姿だった。その小柄な体は白煙を上げ、焼けた肌は再生していない。常に笑みを浮かべる彼女の表情は、苦悶に歪んでいた。
咄嗟に朱莉の体が動く。
結愛が何をしたのか。何故あの死神が倒れているのかわからない。だがこの一瞬は好機だと思ったのだろう。驚く結愛の腕を掴むと走り出し、馬に跨ると脇目も振らず大地を駆けた。
マリアはその後ろ姿を見据えながら駆け寄るシオンに体を起こされ、声を響かせる。
「チェアーマン。いるか?」
「はっ。こちらに」
「あの転生者の女二人を追撃しろ。数人の騎馬隊を連れていけ。……特にあの青髪を生かして返すな。必ず殺せ」
「御意」
馬がいななく。それと同時にチェアーマンを乗せた馬が大地を蹴った。その後を数人の騎馬隊が駆け抜けていく。
マリアはそれを見届けると苦笑した。
「……まったくの想定外だわ。まさかあの女が使えるなんてね」
「隊長にも苦手なものってあるんですね……。地上最強生物だと思っていました。王国騎士団は撤退を開始しています。しかし決死の密集陣形でした。我が隊にも被害が出ています。深追いは厳禁かと」
「そうね。シオンの言う通りにするわ」
マリアがそうつぶやき口元をほころばす。その瞬間だった。
閉じていたミゼリコルド駐屯地の扉が開かれる。そこに浮かび上がるのは、手に直剣や槍を握りしめた青い騎士達の姿だった。
それに呼応するかのように鳴り響く警笛。シオンの発動している索敵の目による敵性勢力接近の警告だ。
突撃してくるミゼリコルド魔法騎士団は、一直線に紫の薔薇騎士団を……いや、マリアへ刃を向けようとしていた。
ミゼリコルド駐屯地に駐在する騎士アヴァメントに与えられた使命。それは仮にレイザック軍が敗退した場合、彼らにとってかわり紫の薔薇騎士団を壊滅させることだった。
裏で仕組んでいたゼーレ・ヴァンデルングは、レイザックが敗走することも想定済みだったのである。マリア達の戦略的撤退を駐屯地という壁で防ぎ、レイザック軍で壊滅できなければ買収したミゼリコルド魔法騎士団で疲弊した薔薇騎士団を背面から掃討する。その二重のトラップは完全に薔薇騎士団の虚を突いた。
例え屈強な騎士であろうと、三方向からの外線作戦を各個撃破により勝利を掴んだ直後であれば気が緩む。突然のあり得ない行動に薔薇騎士団は動くことができず、ミゼリコルドの突撃を許してしまう。
「ミゼリコルド!? なんで!? まずいです隊長! いくらなんでもみんな疲弊しています。このままでは押し切られます!」
防戦一方な騎士達を駆け抜け、青い鎧の騎士がその直剣をマリアへと走らせる。しかし彼女は動かない。冷静でそれでいて鋭さを秘めた紅玉である一点を見据えた。
咄嗟にシオンが腰のレイピアを抜く。マリアを守るため疲労によりろくに動かない体を無理矢理、躍動させた。
彼女が刃先を繰り出すより早く騎士の剣閃が走る。白刃がマリア目がけて振り下ろされたその瞬間、彼女の唇が動いた。
「……間に合ったか」
魔法騎士団の斬撃はマリアへ届かなかった。
彼女の目の前で繰り出された別な太刀筋は、迫る魔法騎士団の首に走る。鋭利に描く白刃の弧が舞い、炎と共に騎士の首を跳ね飛ばし首元を焼く。
肉が焦げる臭いが漂い、目を見開いた首が転がる大地に黒い何かが舞い降りた。
全身を黒い戦闘服で包み込み、黒い兜で素顔を隠した細身の人間だった。その両手には竜の牙のごとく沿った二刀の双剣が握られている。
シオンが驚愕したのか凝視する中、マリアがおもむろに口を開いた。
「聞いたことがある。エスペランス当主には代々、ある双剣が受け継がれる。それは片方が炎の剣。対となるのは氷の剣。そしてそれを極めた者は双剣聖といわれる……とな」
「……エスペランス。……双剣聖。……まさか!?」
「……よくご存じですね」
黒い兜から発せられるのは女の声音。ゆっくりと兜を脱ぐその時、滝のように流れるのは美しい金色の髪。エメラルドに輝く瞳を携えた一人の美しい女がそこには立っていた。
「薔薇騎士団のお噂はかねがね。一度お会いしたいと思っておりました。私はエスペランス当主レジーナ・エスペランス。そしてこの場にはおりませんがミゼリコルド当主ソキウス・ミゼリコルドもはせ参じております」
容赦なく騎士の首を跳ね飛ばした殺意の剣と達人の身のこなし。それに相応しくない気品ある貴族の礼にシオンの視線が釘付けになる。
動きを止めていたのは彼女だけではない。突撃したミゼリコルドの騎士達も身動きできずにいた。何故なら周囲を漆黒に彩られた騎士達が包囲していたからである。
エスペランス黒色騎士団。
双剣聖レジーナ・エスペランスを頂点とした殺戮に特化した騎士達。鍛えられた肉体に研ぎ澄まされた剣は殺意すら感じさせず、まるで機械のように無機質に獲物の首を刎ねる。まともに戦えばミゼリコルドともども薔薇騎士団ですら壊滅させられかねない殺戮集団だ。
それら漆黒の騎士を束ねる彼女、レジーナ・エスペランスを視界に収めたミゼリコルドの騎士達は、恐れおののくがごとく立ちすくむ。彼女に刃を向けた者がどうなるか、足元に転がっている騎士がそれを指し示している。
双剣を腰に納め、レジーナはマリアへ微笑んで見せた。
「剣をお納めください。此度の戦、お見事でした。王都解放軍の勝利だと確信しております。そしてミゼリコルドの中立である立場を汚し、金に目がくらんだ愚か者の処理は、私エスペランスとミゼリコルド当主へお任せください。そのために私達はこの場にはせ参じたのですから」
「一応、どういった処理になるか聞こうか。……もっともお前達がきたというその事実だけであらかた予想ができるがな」
マリアの問いにレジーナは背を向けると腰の双剣の柄を両手で握り、鋭く輝くエメラルドの瞳をミゼリコルドの騎士達へ向ける。
「ソキウス・ミゼリコルドは、ヴェルデ殿とかわしたある条件を元に今回の自らの騎士団から出た失態の清算を行います。一つ。王都解放軍の安全を確保すること。そしてもう一つは……金に忠誠を売り渡したこの不届き者達を全て排除することです」
太陽が地平線に落ち、空を血のように赤く染める。
紅の光に輝くは炎と氷の精霊の力を秘めた竜の牙。その形状からエスペランスに伝わる双剣はこう名付けられた。「精霊の竜牙」と。
「エスペランス黒色騎士団双剣聖、レジーナ・エスペランス。……参る」




