第26話「世界という名の箱庭」
「王都解放軍にいるのは、転生者を狩るだけでなくこの子の望みを叶えるためでもあるわ」
マリアはそこまで口にすると黙り込んだ。
正直、彼女自身、何故このマリアという少女の体を得て何故、彼女の望みを叶えようとしているのかわからなかった。
マリアは人間に同情などしない。気まぐれといってしまえばそれで終わりだろう。もしかしたらたとえ根源が「憎悪」であろうと、自らの肉体を失ってまで何かを成そうとする少女の姿に、マリアは興味を持ったのかもしれない。
シオンは水路を眺めながら、無言でマリアの話を聞いていた。
静寂の時が流れる。しかしそれを切り裂いたのは、突如、マリアへ視線を移したシオンだった。
「隊長って……私が別な世界から来たって言えば、それを信じますか?」
シオン・イティネルはアフトクラトラス王国で生を受けた。
だがそれはマリア達がいるアフトクラトラスではない。違う並行世界の同名の大国だ。
シオンが生まれたアフトクラトラスは今いる世界より平穏だった。兵器としての研究が進んでいた魔法技術も、シオンのいた世界では人間の可能性をさらに伸ばすといった趣旨の研究をしていた。
その世界で彼女は誰からも必要とされてはいなかった。
捨て子で両親の顔も知らない。名も知らない。孤児院で成長した後、とある魔法研究所の助手として働いていたが、ドジばかり踏んで役立たずの烙印を押されていた。
結果的に解雇され、シオンは誰も住んでいない廃墟と化した家で自給自足の生活を始めた。話相手は放置されていた一頭の馬だけだった。
誰かが訪れるわけもなく、誰かに呼ばれるわけでもない世界がそこにあった。金は日銭の仕事で稼ぎ、家の畑で野菜を育て、たまに乗馬を楽しみ、夜は魔法書を夢中で読み漁った。
彼女本人はこういう生活もあっていいのかもしれないと思い始めていた。自由気ままな生活。誰からも束縛されない世界。
しかし心の奥底にある薄暗い影は、次第に彼女を蝕み始める。
自由。平等。自分だけの時間。だがその先に何があるのか。
彼女はこのまま誰からも必要とされずに老いて死ぬのか。看取られることもなく人として認識されることもなく土となって消え去るのか。
その時、シオンの心にある言葉が芽生える。奥底で蠢くどす黒い影がはっきりと形になった瞬間だった。
……この世界はシオンを必要としていない。ならば違う世界へ行けばいい。
彼女が以前、勤めていた魔法研究所は、この世界でもあまり実例を見ない「空間転移」を研究している施設だった。
さらに彼女の両親が残した唯一の遺産とも言うべき魔法書には「空間転移」に関する資料が詰まっていた。それを子と共に孤児院の前に捨てた彼女の親は、もしかしたらすでに「この世界にいないのかも」しれない。
時間は腐るほどあった。眠るのも忘れひたすら研究に没頭した。こことは違う世界に自分を求めている人間がいると信じていた。
そして、シオンはついに「空間転移」の魔法を行使する。
目を覚ましたその時、黄玉に飛び込んできた世界は、鉄と石が織りなす無機質で喧騒な世界だった。
鉄の塊が空を飛び、見たこともないような大群衆が道を歩く。警笛にも似た耳障りな音が鼓膜を震わせ、見上げても頂上が見えないほど高い建造物が並んでいる。
シオン・イティネルが転移した世界。そこは「日本」だった。
彼女はそこである男性に助けられた。
彼は言葉も通じないシオンを介抱し、自らの家に招き入れた。彼女の書く単語や口にする言葉をメモし解析ノートを作成した。
当初は彼の言葉にも素っ気ない態度だったシオンだが、日本語を理解するにつれ次第に心を開いていった。
佐久間裕司。それが彼の名だった。シオンはその青年が自分を必要としていると感じ始めていた。自分がここにいていい存在なのだと信じ始めていた。
そしてそれは佐久間裕司への恋心へと発展していった。数年後、彼の子を宿した。
だが佐久間裕司の母親は、シオンの存在を拒絶した。
激しく迫害された彼女は、それでもこの世界で共に生きることを願った彼の手を離した。生まれたばかりの子を残し再び、「空間転移」の魔法を行使した。
そして巡り合ったのがこの以前、自らが生まれた世界とは違うアフトクラトラスだった。
シオンは決して「日本」という世界を嫌ってはいなかった。佐久間裕司と共にその世界で生きてもいいと思っていた。
しかし悟ってしまった。「自分はこの世界の人間ではない」と。痛感してしまった。「自分は彼とは生きていけない」と。
例え違うアフトクラトラスとはいえ、元いた世界と酷似した風景を見た瞬間、安堵している自分に気が付いた。そして自らの考えが間違っていたことを理解した。
人はその世界に求められるのではない。人がその世界を求めるのだ。
シオンはこの世界で自らが生き方を捧げるにふさわしい何かを探すことにした。彼女自身がこの世界を求めるように。
そしてその対象は……孤高に生き、自らの信念を貫き、歯向かう者は容赦なく殺す紫の薔薇。その血塗られた真紅の瞳にシオンの心は射抜かれた。
矮小な自分へ手を差し伸べる彼女は、世界そのものをその手に握っているように思えてならなかった。
だからこそシオンは悲哀を感じてしまう。
かつての自分自身が今、この世界に存在している転生者達と重なっていた。例え名をもらおうと例え人として生きようと「彼らはこの世界の住人ではない」のだ。そしてそれは誰よりも本人達が一番理解している。かつてのシオンのように。
シオンは自らここにきてマリアに仕えると誓った。そのマリアこそこの世界を「調整する」存在。彼女が「転生者を殺す」ということは、世界が彼らを拒絶していると同意義だ。
世界が拒絶するなら死を。生きるためにこの世界を求めるのなら生を。
どちらが正しいのか。シオンにはわからなかった。
ただこの戦争が終結した時、それに対する答えが見えるような気がした。
「私にはわかりません。この世界が求めないなら死を与えることが転生者には必要なのか。それとも生きたいと願うなら例え世界が拒絶したとしても生きるべきなのか。私はマリア隊長と転生者の戦いの結末に、その答えが見られるんじゃないかなって思うんです」
「どうかしらね。ただ一つだけあんたは間違っている。私と転生者どもとの戦争で生き残ったほうが正しく死んだほうが間違いというのは、真実から目を背けるためのただの屁理屈に過ぎない。死は死。生は生。そこに世界がどうとかまったく関係がないのよ」
「それでも隊長は転生者を殺すんですよね?」
「もちろん。一匹残さず鏖殺する。それは私の真理。私の意思。世界などまったく関係がない。もし私の刃から逃れることができれば彼らは生きるでしょう。そうでなければ死ぬだけよ」
マリアはゆっくりと顔を上げる。
青く澄み切った空を見つめる真紅の瞳は、どこか鋭さを秘めていた。
「それに世界などというものはただあるだけの存在なのよ。人はその箱庭で自らの意思と足で物語を刻んでいく。それが生きるということよ。私はこの地に降りてから世界を見て回った。そして理解したわ。この世界はくそったれ女神が作ったくそったれな箱庭だってね」
マリアはふと隣に座るシオンへ視線を移す。
紅玉に映りこむ彼女は、その美しい顔をほころばせていた。
「何者にも世界にも縛られない。それがマリア隊長ですよね!」
「そういうことね。……ところで、あんたが以前いた世界の言葉でツヴァイフェルみたいな男はなんていうのかしら?」
シオンは視線を中空へ移すと下あごへ手を添えた。「そうですねー」と小首を傾げた彼女は、記憶の中にふさわしい言葉を見つけたのか、マリアへ笑顔を見せる。
「クソザコナメクジ……ですかね」
「いいわね。今度からあのゴミはそう呼ぶわ」
マリアは生を貪る死神とは到底、思えない可憐な笑顔を形作った。
その時ふと、シオンは何かを思い出したかのようにマリアへ顔を近づける。
「隊長。……下の名前ってないんですか?」
「そんなものはないわ。必要性も感じないし。……まぁどうしてもというならあんたが勝手に決めなさい」
「いいんですか!?」
「さっきも言ったでしょ? 私にとって下の名前など必要性がないと。だからあんたが勝手に決めていいわ。気に入ったら名乗ってあげる」
「本当に隊長って気まぐれですね……。それじゃお言葉に甘えて。実はちょっと浮かんでたんですよ! 死神マリアに相応しい超カッコいい名前を!」
シオンは人差し指を立て、満面の笑みを浮かべた。
「デスサイズ! マリア隊長がよく使う大鎌をイメージした言葉です! どうですかぁ?」
「いいわよ。それで」
「あーやっぱ駄目ですかぁ。ちょっと狙いすぎてるっていうか厨臭いっていうか……って、えぇ!? いいんですか!?」
あっさり承諾したマリアにシオンは、驚きを隠せないのか目を見開いている。
そんな彼女を見つめ、マリアは微笑んだ。
「それじゃ私は今日からマリア・デスサイズね」