第23話「生への願い」
砦エントヴァイフュングは、マリアやシオンの予想通りもぬけの殻となっていた。
刃をかざし斬りかかってくる王国騎士団はみな死を覚悟しこの砦に残った者達だ。高枝を慕い最後まで戦い抜き、「紫の薔薇騎士団」の騎士に体を切り裂かれようと最後は笑って死んでいった。
残存兵力との戦闘により砦内に剣戟の硬質音が響き渡る。そんな中、レイピアの抜き身を輝かせたシオンは、自らの隊長であるマリアの姿を見失っていた。
マリアは金属音が響き渡る喧騒から離れ、石でできた通路を歩いていた。
殺意に濡れたその紅玉がその時、ある一点を見据える。浮かび上がるそれは直剣を光らせた老将の姿だ。白い顎髭に皺の入った顔立ち。所々に傷がある年季の入った白い鎧。王国騎士団の神聖騎士ポルヴェニクだ。
「その鋭利な剣気。ただならぬ殺気。薔薇騎士団の将とお見受けする。私は王国騎士団神聖騎士ポルヴェニク。ルシ様を守るためここから先は生かして通すわけにはいかぬ」
鈍い光を放つ直剣を構えポルヴェニクの鋭い視線がマリアを貫く。
対する彼女は斬りかかることはせず大鎌を肩に担いだまま構えることすらしない。ただその口元だけが僅かに歪んだ。
「戦場で名乗り相手が刃を構えるのを待つなど古臭い騎士だ。ゴミなりの騎士の矜持とでもいうのか。では私もお前達ゴミの騎士道とやらに準じてみるか」
マリアの体から闇が溢れだす。殺気がまるで物理的圧力を伴うかのように奔流となってポルヴェニクを包み込んだ。
生を貪る死神の紅玉を輝かせ、彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。
「私はプリメーラ。神の遺産である世界の調整者」
まるでスローモーションで見ているかのように緩やかにマリアは大鎌を構える。彼女の殺気を吸収しその巨大な刀身は妖艶な輝きを纏った。
「喜べ。お前がこれからその身に浴びる一太刀は……神と等しき者の手による剣戟だ」
その瞬間、老将は笑ったかのように見えた。
刹那。二人の体が同時に動く。直剣と大鎌。光の刃と漆黒の刃がすれ違い様に交差した瞬間、空間に剣閃が走る。
マリアとポルヴェニク。二人の体は身動き一つしない。お互い背を向け刃を振り抜いたままの状態だ。
体勢を変えることなくマリアの整った唇がゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「主への忠誠。大義であった」
彼女の言葉にポルヴェニクの口元がわずかにほころぶ。
その瞬間、彼の体は血煙を吐き出し地面に崩れ落ちた。広範囲の裂傷を伴った老体はもう動くことはない。
マリアはその姿に視線を移すことなく大鎌を肩に担ぐと、再び歩み出した。
高枝は虚ろな瞳で中空を見つめていた。
切断された左腕の付け根からはじわじわと血が滲み出し、包んである白い布を赤く染めていく。だがその顔は苦痛に歪むことはなく、何故か穏やかなものだった。
彼の脳裏に去来するもの。それはおそらく転生者達と暮らした日々だろう。朱莉や結愛、大浴と笑ったその日。そして出陣する前にみた鏡の悲哀に満ちた笑顔。
死がすぐそこまで迫ってきていた。だが彼は逃げることも動くことすらしなかった。ただ全てを受け入れていた。
自らがここで死ぬのも定め。仲間を守って死ぬもの自らが望んだことだった。だからこそ「一人できたのだ」。
「鏡。お前は怒るだろうな。結局一人で死ぬのかと。本当は……お前達には逃げて欲しかった。戦争のない場所へ。安住できる土地へ。たとえ俺がここで犠牲になったとしても、お前達には生きて欲しい」
誰もいない虚空へ声を投げかけるこの言葉こそ、彼の本心だった。
戦争など本当はどうでもよかった。アフトクラトラスの存続など関係がなかった。第二の人生を得た彼らはただ「生きたい」だけだった。
それを理解していた高枝は、避けられぬこの戦いに一人で身を投じた。それは「仲間の命は仲間で守らなければならない」という信念に基づくものだった。自らの命を賭して守るためだ。
高枝は苦笑する。
「だけど鏡。お前は俺のこんな気持ちも知らないで……戦うんだろうな。普段、自堕落なくせにこういう時だけ真面目になるんだもんな。どうせ逃げろって言っても『君をおいていけない』なんてヒーロー気取りの発言をして……な。まったく。そういうのは自分のあの可愛い彼女に言えっていうんだ……」
ゆっくりと高枝の体がうずくまり小さくなっていく。
その瞬間、死が扉の前にたどり着いた。ゆっくりとしわがれた音を立てて木製の扉が開いていく。
部屋に流れ込むのは血の臭い。濃密でねっとりとまとわりつく死の気配。そこにいたのは、心臓をわしづかみにするような殺意と共に輝く紅玉の瞳を持つ可憐な少女だ。
ゆるりとしかし着実に迫り来る死に、高枝はうずくまったまま話しかける。
「……一つ。聞いてもいいですか?」
「いいわ。言いなさい」
「どうして。兵が逃げるのを待ってくれたんですか? そして何故、その間に俺が逃げないと確信できたんですか?」
少し間を置き、転生者を狩る死神……マリアの口が言葉を紡ぐ。
「お前の作戦は兵の消耗を抑える戦い方だ。そんなことを考える奴が兵の命を犠牲にして一人逃げるわけがない。そして私の狙いはお前達……転生者のみ。それ以外の人間に用などない」
彼女の言葉に顔を上げた高枝は、驚くどころか微笑みを浮かべていた。
彼の力のない瞳がマリアへ注がれる。
「……奇遇ですね。俺も狙いは……あなただけでした」
その瞬間、光が爆ぜた。
近づくマリアと高枝の中心に炎と爆風が荒れ狂う。それは高枝の体もマリアの体も同時に巻き込むように仕掛けられた最後の「傲慢の星明」だった。
部屋は灼熱と轟音に満ち、爆風で扉が吹き飛ぶ。その様子を目撃したのは、居合わせたシオンだった。
「……隊長!?」
駆け寄る彼女の目に飛び込むもの。それは火がくすぶる中、元は人間だったであろう血にまみれた塊と、白煙の中、体の半分を失いながらも立っているマリアの姿だった。
シオンの目が驚愕に満ちたかのように大きく見開く。半分体を吹き飛ばされて生きているからではない。マリアの顔が……笑っていたからだ。
「アッハハハッ! たいした人間だ。仲間を守るために自らを死地に追いやり相手もろとも粉々に砕け散るか。その覚悟。ゴミながら……褒めてやる」
笑みが静まると共に彼女の失われた半身がみるみるうちに再生していく。
それは自然治癒力を遥かに凌駕するもの。吸血鬼などが持つ再生能力とは比べものにならない速度を有していた。まるで破壊される前に高速で時間が巻き戻っているかのように。
尋常ではないその光景にシオンはただじっと見つめていた。その表情に怖れはない。
自らがついていくと決めたマリアがたとえ想像を超えた化け物であろうと、彼女にとってマリアはマリア以外の何者でもないからだ。そこに人であるか否かなどもはや関係がないのである。
それはシオンがそれほどマリアに心酔している証か。はたまた本当に「頭がイカれているか」のどちらかだ。
体を完全に再生させたマリアが鋭い瞳を立ち尽くすシオンへ向ける。
「砦は陥落した。転生者も死んだ。ヴェルデにそう伝えなさい」




