第22話「死を誘う門」
血の臭いを纏った生ぬるい風が戦場を駆け巡っていた。
激情を押し殺し大鎌の刀身が突き刺さった片腕を見据えるマリア。その後ろ姿をシオンは無言で見つめていた。
「紫の薔薇騎士団」は地雷原の突破までに二割の損失を出し、また突入後も王国騎士団の応戦により一割の騎士が死亡している。生き残ったのは千人ほどだ。
騎馬隊に所属する騎士は早死にすると言われている。戦場においてそれは強大な突破力を持つ矛となりえるが、言い換えればそれだけ相手の刃の矢面に立たされることを意味する。
騎馬隊に志願する騎士はすべて承知の上だ。そしてマリアにとって人間などゴミでしかない。しかし彼女の背中は悲哀に満ちているかのように覇気がなく静寂に包まれている。
けっして悲しんでいるわけではない。彼女の高すぎるプライドは自らが動かす戦において想定以上の犠牲をよしとしないのだ。
そんなマリアの元へ馬に乗った一人の騎士が近づいていく。身に纏う光り輝く白銀の鎧は「聖騎士」の証。王都解放軍の総大将ヴェルデ・シュトルツだ。
「王国騎士団は撤退を開始した。戦には勝利したが……問題が一つある」
マリアは語り掛ける彼に視線を移すことなく言葉を紡ぐ。
「何かしら?」
「奴らの逃亡先はおそらくこの先にある砦<エントヴァイフュング>だ。逃げ込むのは構わん。だがその位置が問題だ。我々の王都進撃への通路上にその砦は存在する。仮に放置して進軍した場合、残存兵力と王都からの新手により挟撃される可能性がある」
「それは間違いないわね」
「さらに今回の戦に参戦していた転生者は危険だ。知略もそうだがあの能力は残しておけば確実に我が軍の障害となりえる。狩れ。生かして王都へ帰してはならない。どのみちお前もそのつもりなのだろう?」
闇が迸る。
静寂を保っていたマリアの体から殺気を纏ったどす黒い瘴気が立ち昇っていた。動いた手が大鎌の柄を掴み無造作に片腕から引き抜く。
死の気配を漂わせ、暴虐に荒れ狂う紅の瞳を輝かせるその姿は、まさに彼女が冠する死神という表現がふさわしい。
「シオン。薔薇騎士団を招集しろ。あの黒髪の男を討つ」
広大な平原「ケルターメン・シングラーレ」の奥地にそれは存在した。
砦エントヴァイフュングである。巨大な固い木でできた城門と投石機を有し、放置されていたゲハイムニスとは違い、砦としての機能を維持している強固な建築物だ。
石材で覆われた部屋に外から漏れる陽光が差し込む。そこに映し出されるのは腕の付け根から溢れる血で布を赤く染めた高枝の姿だった。その表情は激痛に苛まれているのか苦悶に満ちている。
続々と敗走した兵が駆け込んでくる砦内は、慌ただしい喧騒に包まれていた。そんな中、高枝を見つめる老将ポルヴェニクの目が見開いた。
「ルシ殿。あなたは殿を務めるおつもりか」
「えぇ。可能なかぎり兵を王都へ逃亡させます。ここに残るのは……俺だけでいい」
高枝は生き残り逃げ込んだ兵士の中で、特に家族がいる者、若い者、新兵などを中心に王都へ逃がすことを計画していた。
そして彼らの殿をつとめるのは高枝本人だ。確かに「傲慢の星明」は時間稼ぎには有効だろう。もっとも彼の今の状態で発動できればの話だが。
しかしそれは高枝が最後までこの砦に残ることを意味している。つまり避けられない死だ。
「殿ならこの老体が残ります! あなたはまだ若い!」
「……血が止まらないんです。止血してもじわじわと染み出てくる。おそらくあの大鎌の呪いでしょう。もう俺は……長くない。自分の体は自分自身が一番よく知っています」
高枝の言葉にポルヴェニクは口を閉ざした。
それに殿を高枝がすることがもっとも有効なのはこの老将も理解していたに違いない。最初に攻め込んでくる相手はおそらく「紫の薔薇騎士団」だ。それならば先頭をきるのは間違いなく死神マリアに他ならない。
彼女は転生者の首を狙っているのは周知の事実。砦に高枝が留まっていることを知ればこの場から動くことはないだろう。つまり他の兵が無事、王都へ脱出することが容易となるのである。
高枝の言葉に頷きポルヴェニクは全ての兵に向けて指示を出した。
砦の後方に脱出ルートを作成。その周辺に高枝が力を振り絞り「傲慢の星明」を設置して追撃を阻む。彼の指示通り、家族がいる者や新兵などを中心として砦から王都へと脱出させていく。王都へは早馬を走らせ、敗走兵の保護を要請した。
だが殿を務める高枝を思い残る兵士もいた。何度「逃げろ」と言っても頑なに首を縦に振らない彼らに高枝はため息を吐き出す。
彼はそんな兵士達を集め弓兵と投石機の使用者とに分けた。そして残り僅かな「傲慢の星明」とで兵士が全て逃げおおせるための時間稼ぎに出る。
その残る兵士の中に老将ポルヴェニクもいた。
「あなたこそ逃げるべきだ。将なのですから」
「いや。私はここに残ります。将だからこそ最後まで自らの兵を逃がす。それが戦に負けた老将の最後の務めなのですからな」
死が迫る中、ポルヴェニクは皺に包まれたその顔で笑顔を形作る。
「それに私にはもう妻がいませんので。……先立たれました。娘が一人いますが男と幸せな家庭を築いております。この老体には失うものなど何もない。だからせめて最後はあなたと共に死なせてください」
高枝は彼の言葉を耳にして「本当に馬鹿な人だ……」とつぶやくと、うずくまり体を縮こまらせた。
一方。エントヴァイフュングの外には白い旗が風になびいていた。
白の下地、紫の薔薇、大鎌の死神が描かれた連隊旗を掲げた「紫の薔薇騎士団」だ。その先頭で砦を見つめるのは、殺意に濡れた真紅の瞳と可憐な容貌を持つ死神マリアだった。
彼女達を阻むのは弓兵による牽制射撃と投石だ。薔薇騎士団はその被害を避けるため射程外で待機していた。
「……隊長。この砦。奇妙なことが起こっています」
マリアに近づいたシオンが耳元にそっと囁く。
彼女の索敵の目は他の魔法使用者とは比較にならない規格外の性能を有している。それゆえ王都解放軍の中でこの砦の現状を誰よりも把握していると言っても過言ではない。
マリアも感じているのだろう。シオンの言葉に頷いた。
あまりにも抵抗が弱すぎる。
敵の攻撃の間隔と予想される被害。それらを考慮すればおのずと答えは出てくる。連中は自分達を殺すつもりはないと。
シオンの索敵の目による情報がそれらを裏付けしていた。前方ではなく裏に大量に配置されている不可視の爆弾。明らかに作成された脱出ルートをなぞるかのように動く人の流れ。そして時間稼ぎと思われる砦からの抵抗。
それらが導き出す答えをシオンとマリアはほぼ同時に得ていたに違いない。
「……あの転生者。兵を逃がしています。私の索敵の目ではこの距離だと個人の識別まではできません。あの脱出ルートを流れる敗走兵の中に転生者がいるかどうか判別は不可能です」
「いるわ。間違いなく。やつはここにいる」
「どうしますか? 逃げられたら厄介です」
「逃げないわよ。あの男はここに留まるでしょう。それに時間が経てば自然とこの砦は落ちるわ」
マリアは短くそうつぶやくと砦に背を向けた。
「攻城兵器を携えたヴェルデの本陣がくるまで待機。夕暮れ時までに到着しない場合は私達のみで突撃する」
マリアの言葉は真実を告げていた。
燦燦と照り付ける太陽の光が赤く染まり、地平線へと落ちていく夕暮れ。投石機による抵抗も弓兵による牽制射撃も鳴りを潜めたエントヴァイフュングの城門前にマリアは立っていた。
「……頃合いか」
短くつぶやいた彼女の右手に具現化するのは巨大な刀身を持つ大鎌。それはマリアが好んで使う「死者の叫び」ではなく「死神の大鎌」だ。
マリアは音もなくそれを横に構える。後ろで見つめるシオンと薔薇騎士団の鼓膜を震わす甲高い音が響き渡った。
それは刃と霊子が共鳴する音。死神の大鎌に吸収される霊子が斬撃を強化するために発する死の叫びだ。
一閃。生み出された漆黒の剣閃は砦の城門を横一文字に高速で駆ける。
地響きのような轟音と共に崩れ落ちていく城門を見て、驚愕したかのようにシオンは目を見開いた。その斬撃の威力と、そんなものを持ち合わせていながら兵の脱出を許した彼女にだ。
切断された巨大な木材が地面に激突し土埃が舞う中、光り輝く紅玉が浮かび上がる。
「征くぞ。転生者の首を狩りに……な」




