第20話「シングラーレ大戦」
鎧のこすれる音が周囲に響き渡る。
大盾とパイクを持った歩兵が踏みしめる大地。それはコンフィアンス領の北部に位置する平原「ケルターメン・シングラーレ」だ。
かつて山岳地帯から人々を襲うため群れを成したゴブリンなどの亜人族とコンフィアンス騎士団が激戦を演じた場所。それが今は同じ王国に住むかつての仲間同士の死闘の舞台と化した。
重装兵の奥で馬を駆けるは一人の老齢な騎士と黒い軍服姿の男。老将ポルヴェニクと転生者ルシ……本名は「高枝 陽樹」だ。付き従うは六千の兵士である。
高枝は騎馬隊より重装兵の構成を重視した。
王都解放軍の騎馬隊を抑えるため、大盾とパイクを持たせ密集陣形を組む。馬とて生き物。壁に向かって走っていくほど馬鹿ではない。重厚なファランクスはまさに人が織りなす壁だ。それは馬の脚を止め騎馬隊の勢いを削ぐのである。
高枝が注視すること。それすなわちマリア率いる「紫の薔薇騎士団」の動向である。彼はそれこそが戦の勝敗を分けると判断していたに違いない。彼女さえ抑えれば勝てるのだと。
一方。対する王都解放軍。総勢六千。奇しくも同数である。
総指揮を執るヴェルデは高枝とは違い騎馬隊を主体とした攻勢の陣形を取った。アミナ防衛戦やゲハイムニス攻略など王都解放軍にもたらされた勝利の美酒は兵の士気を否応なく高める。彼はその勢いを生かそうと考えていたに違いない。
もちろん彼の最強の矛であるマリアも含まれている。彼女はすぐ後ろに白い軍服姿の麗しき副官シオン・イティネルと半吸血鬼であるチェアーマンを従えていた。その後ろに控えるは総勢千五百人の「紫の薔薇騎士団」である。
死の予感を漂わせる無機質な風が吹く平原で王都解放軍と王国騎士団が刃を向け合う。
大地を駆ける蹄の音もなく、剣戟も断末魔の悲鳴すら聞こえはしない。もたらされたのは静寂。王国騎士団は身動き一つせず、王都解放軍は歩兵を前にしてゆっくりと前進を開始した。
それは重厚な戦陣に対してまったくの無策での侵攻ではない。ヴェルデはすでに刺客を放っていた。
王国騎士団の左翼。そこへ騎馬隊を走らせていたのである。シングラーレは広大な平原地帯だ。左翼からの奇襲を妨害するものなど何一つない。奇襲により密集陣形を崩し本陣の騎馬隊を突撃させ壊滅させる。それが彼の作戦である。
気づかれないように大きく迂回しながら馬を走らせる騎馬隊が、王国騎士団本陣の左翼に食らいつく。
騎士の一人が奇襲成功の証として狼煙を掲げようとする。目の前の空間には妨げるものなど何もない。このまま突っ切れば左翼への奇襲は成功する。そう思ったのだろう。
刹那。目の前で光が爆ぜた。何もない空間が湾曲し炎と光を生み出す。それは人の体を鎧ごと吹き飛ばし、焦げた肉の吐き気を催すような臭いが周辺に漂った。
まるで花火のような爆発が連鎖し、本陣の左翼を埋め尽くす。光と爆風が収まった後、そこに転がっていたのは四肢を破壊された騎馬隊の屍だった。
転生者高枝の能力「傲慢の星明」である。
一定範囲に不可視の爆弾を設置する能力で爆発による炎と爆風で対象を破壊する。殺傷能力は人間一人を殺す程度だが設置数が多いため対集団戦に有効で、目で見えないため回避も困難。障害物が多い場所だと爆風が四散するため威力は落ちるが、シングラーレのような平地だと最大火力を発揮する。まさに最適の能力と言える。
高枝は前方を密集陣形で固め、左右を爆弾で覆った。王都解放軍は不可視の爆発で吹き飛びたくなければ、重厚なる人の壁に刃を突き立てねばならない。高枝が考えた対騎馬隊の作戦である。
ヴェルデの耳に左翼へ奇襲として向けた騎馬隊全滅の報が知らされる。
「……全滅した!?」
「は。後続で見ていた早馬の話では何もない場所で突如、爆発が起き騎馬隊を破壊したと……」
「……不可視の魔法か何かか。もしくは転生者の能力か。いずれにせよ左翼がそうなったのであれば左右からの奇襲は不可能であろう」
ヴェルデは思案するかのように地面へ視線を落とす。
左右が正体不明の爆弾により固められているのであれば、真正面から攻め込むしか手はない。しかし密集陣形を崩すのは容易ではない上に情報によれば相手の得物はパイクだ。王都解放軍の歩兵の持つ槍より長いそれはこちらの刃が届く前に串刺しにすることだろう。
攻めあぐんでいるヴェルデを一瞥し、一人の騎士がその場を離れていく。彼はすぐさまマリアとシオンの元へ駆け寄った。
「……全滅ねぇ。シオン。あなたどう思う?」
「おそらく魔法地雷ですね」
「視認できる方法は?」
「肉眼では不可能です。しかし索敵の目であれば可能です」
「なるほど。……あなた。私の隊に一通り魔法の知識は教えたのかしら?」
「一応は教えましたが……半分くらいしか索敵の目は習得できませんでした。それも未完成です。なのでそれを使用して地雷原を突破するのは戦力の消耗が激しすぎます」
「でもこのままにらみ合いしても仕方ないでしょう。それは相手も同じこと。次の手を打ってくるわよ?」
マリアは何かを感じ取ったのか鋭く光る紅玉を空に向ける。
「……薔薇の騎士団。直ちに散開陣形をとりなさい。盾を持てるものは空へと掲げなさい」
彼女の命令に迅速に騎士達が動く。その瞬間、無数の矢が雨となって王都解放軍に降り注いだ。頭を射抜かれた兵士達が地面へと崩れ落ちていく。
王国騎士団の弓兵による一斉掃射。それは牽制と兵の消耗を狙った遠距離攻撃だ。当然、本来の人が引く弓矢の射程ではない。風の加護を付与し飛距離を伸ばした魔法矢だ。高枝ははじめから膠着状態になるのを予想していたに違いない。
マリアの迅速な指示により「紫の薔薇騎士団」には被害がほぼない。騎士と馬が少々、傷を負った程度である。だが所詮は第一射に過ぎない。これが王都解放軍の数が減るまで一方的に幾度も繰り返されるのは明白だ。
マリアは降り注ぐ矢を上半身のみで軽やかに回避しながら、口元を歪ませた。
「策士ね。こちらの動きをほぼ読まれているわ」
「遠距離射撃!? 卑怯くさくないですか!? つーか不可視の爆弾とかチートにもほどありますって! マジ無理ゲー!」
「シオン。あんた。たまに意味わからない言葉使うのね」
「隊長! クソゲーです! 帰りましょう!」
「あんたの言いたいことは何となくわかるけど、今更撤退なんてしないでしょう?」
「でも隊長! このままでは弓矢による消耗は避けきれません! 犠牲者だって……」
そこまで口にしてちらっとシオンはチェアーマンのいる方向へ視線を移す。
見ると相変わらずアーメット姿の彼は、直剣を手に迫り来る矢をことごとく撃ち落としていた。第一射が鳴りを潜めた後、チェアーマンは傷一つ負わず愛用の剣を掲げる。
シオンはその様子を「なんでわざわざ叩き落す?」と言わんばかりに冷めた瞳で見つめていた。
「ふぅぅぅ。今宵も我が剣は血をもとめて騒いでおるわぁ!」
「今、昼です」
「シオン。見てもわかる通り、私の部隊はこのまま膠着状態でも犠牲者は出ないでしょうね。でもこのままじゃ転生者の首は落とせないわ」
「た……確かにそうですケド。どうします? 重騎馬隊でもぶつけてみますか?」
「あんた馬鹿? 壁に向かって馬に走れって命令するの? しかも長いパイクの間隙を縫って? 悪戯に戦力を消耗するだけよ」
「隊長の大鎌なら……」
「確かに私の死霊武器なら大盾も何もない。しかし私だけ突入してどうするの? どのみち奥にいるであろう転生者の首を刎ねるには障害を取り除かねばならない。私一人ではあの数千という壁を突き破るのはさすがに苦だわ」
「じゃぁどうすれば……」
「あるじゃない。盾も槍もない空間が」
不敵な笑みを浮かべる美しき死神の顔を見て、シオンは目を見開いた。彼女にはマリアの考えが理解できていたに違いない。
マリアは……地雷原を駆け抜ける気だと。
麗しき死神は突如、振り向いた。
彼女の目の前にはマリアを敬愛し死神に魅了された千五百の兵がいる。彼らの今だ衰えることのない士気の高さを物語る瞳を見つめ、彼女は整った唇を動かし口角を上げた。
「私と共に地獄を駆け抜ける命知らずの馬鹿は私に付き従え。最後まで生きたものに勝利の美酒を約束してやる」
途端に響き渡るは鼓膜を震わす高らかな雄たけび。
満足気にそれを眺めるとマリアは笑顔を見せ、シオンを見つめた。彼女は黄玉の瞳と紅玉のそれとを交差させ、唇をキュッと絞める。
「いくわよ。美酒が潜む死地へ。ぞくぞくするわね。死という名の私の隣人が手招きしているわよ?」




