第15話「戦が生み落とすもの」
クレアシオン大陸最大の国家にして膨大な領地を持つアフトクラトラス王国。その中心に座すのは王都アフトクラトラスである。
外敵からの侵入を拒む巨大な城壁の中には、日々の生活を営む人々と五大貴族が暮らしている。そして王都の中央にそびえ立つのは白い宮殿。国王カスティゴが鎮座する玉座と、その頂上には七賢者が君臨していた。
その王宮の門をたたいたのは大浴と高枝の二人だ。彼らはゲハイムニスをマリアに攻め落とされ逃げ帰ってきたのである。
本来、将ならばすぐ軍法会議だ。何せ数の大小はあれど兵を死なせ、さらに戦に負けておめおめと帰ってきたのだから。死刑はそうそうないが騎士階級の降格は十分にあり得る話であり、重大な過失があれば階級をはく奪される。
しかし国王カスティゴは大浴に対し寛大だった。軍法会議そのものすら何もなかった。それは「勇者」として招かれている転生者がそれだけ優遇されている証であり、また裏で王宮魔術師ゼーレ・ヴァンデルングが意図を張り巡らしているのは明確だ。
だが当の本人である大浴は、処罰がなかったにも関わらず高枝と望 結愛の前に頬に赤く平手打ちの痕を貼りつけ現れた。
彼が言うには「朱莉に殴られた」とのことだった。「強欲の運命筒」の効果により「参槍」しか出ず逃げ帰った大浴に、「だらしねぇ!」と激しい剣幕で攻め立てられた結果だという。
情島 朱莉は大浴に対して厳しいところがある。実はこの二人、前世では幼馴染である。朱莉の大浴に対する言わば「かかあ天下」のような関係は、転生した後でもれんれんと続いているということだ。
根が親切の塊で出来ているような結愛は、心配そうにそっと大浴の赤い頬を覗き込む。
「大丈夫ですか? 私の能力で回復しましょうか?」
「気にすんなって。いつものことだ。……いやぁ望ちゃんは優しいなぁ。誰かさんと違ってよ」
そう意味深げに言葉を紡ぎ周りを見渡す大浴。だが彼の目には、あの鬼の形相を浮かべる赤いポニーテール姿が映っていなかった。
「……あれ? 朱莉は?」
「朱莉さんは先輩と……」
そこまで口にした結愛の言葉を遮ったのは、「ぎゃあああ!」という男とも女とも聞き取れる悲鳴だ。
声が響いた方向へ駆け寄る三人の前に現れたのは、愉悦を感じさせる笑みを浮かべた朱莉と一人の女性だった。いや間違いだ。女性が履くような短いスカートを下へ引っ張る鏡 鳴落の姿だった。
少女のようなその容姿で恥ずかしげに頬を上気させた鏡は、「あら。可愛いじゃない」と口角を吊り上げる朱莉に視線をちらつかせ声を張り上げる。
「じょ……冗談ですよね!? というかなんで新しい軍服がミニスカートなんですか!?」
「どうせ女だと思われているんだからいっそ女の子にしちゃえって。あたしがデザインしたのよ」
「絶対、個人的に愉しんでますよね!? それ!?」
うろたえ空色の髪を揺らす鏡に結愛が近づく。きっと彼女のことだ。助け船を出してくれるのだろうと鏡は思ったに違いない。
しかしその瞳はどう見ても好奇心に溢れているように輝いていた。
「先輩。すごい可愛いです!」
「結愛。君まで……」
結愛の悪気のない言葉に肩をすくめる鏡。その光景を少し離れた位置で見ていた高枝は、茫然と立ち尽くす大浴の横顔を一瞥した。
「どうした?」
「なぁ高枝。あいつって男なんだよな?」
「生物学上はれっきとした男だ。それにつくはずのものもきちんと付いてる」
「……かわいい」
消え去りそうな声でぼそっと呟いた大浴は、ハッと我に返ったかのように目を見開くと、ゆっくり高枝へ視線を移す。
彼の眼鏡の奥に潜む黒い瞳はじっと大浴を貫いていた。
「……はっ。今オレは何を……」
「聞かなかったことにしておいてやる」
そっと下がった眼鏡をくいっと上げ、前を見据える高枝。それを見て固まる大浴は突如、動き出すと白い壁へがんがんと何度も頭を打ち付けはじめた。
「うおおおお! 邪な煩悩めがっ! オレの中から消え去れぇ!」
ゴスゴスと鈍い衝撃音が響く中、大浴の奇行に怪訝な表情を浮かべながら朱莉が高枝の元へと歩み寄る。
「何してんの? あいつ。頭突きの練習?」
「さあな。自傷癖でもあるんだろ」
少し長めの黒髪を揺らし高枝は、その黒い軍服姿を鏡の前へと移動させた。黒い瞳と紫紺の瞳が交差する。
「似合ってるじゃないか。鏡」
「君までそういうとは思わなかったよ。高枝」
鏡はもう諦めたのかスカートの裾を下げる仕草はやめ、平然と立っていた。そんな彼は高枝の言葉に苦笑してみせる。
どこから見ても少女にしか見えないその姿に高枝も微笑んでみせた。だがその可憐な姿は、戦場において死神の鎌を複製し振るう守護者と化す。
仲間が死ぬことを恐れ、自らが死ぬことも恐れ、争いを嫌う。戦場だけの徒花だ。
高枝は笑顔を交わすと突如、表情を固く引き締めた。
「鏡。伝えたいことがある。今日の夜。ゼーレさんがお前を御呼びだ」
アフトクラトラスの白き王宮を夜の暗闇が包み込んでいた。
煌々と灯りが照らす室内に群青色のローブが浮かび上がる。アフトクラトラスの王宮魔術師を証明する刻印が刻まれた豪華なローブに身を包まれたその男には頭髪が一本も生えていない。代わりに黒い線で奇妙な刻印が刻まれていた。
王国騎士団の参謀にして国王を支える王宮魔術師ゼーレ・ヴァンデルングである。普段は威圧するかのような鋭い瞳を携える彼もこの日は、目の前に座る可憐な客人に対し優しさを湛えた瞳で見つめていた。
ゼーレは棚からワインを取り出すとテーブルの上に置いた。
「酒は飲まないのかね?」
「はい。ボクの年齢では飲めませんので」
「君の以前いた世界における法というものかな。この世界では酒の飲食に年齢制限はないのだがね」
微笑んで見せるゼーレに「すみません」と短く口にする鏡。そんな彼を一目みて、ゼーレは「構わないよ」と答え、自らのワイングラスに赤い液体を注ぎ始めた。
ゼーレ・ヴァンデルングが言う通り、この世界では酒の飲食について法における制限は存在しない。それなのに自らの年齢を理由に断るということは、彼が「精神までもがこの世界の住人となっていない」ことを意味する。
鏡だけではない。他の転生者達も「前世の名で呼び合っている」ことが何よりの証だった。日本というかつていた世界での習慣や道徳というものがある以上、すぐにこの世界に順応しないのは当然と言える。もっとも一色や志食のように「勇者」としての地位と名誉を利用し、私腹を肥やす人間もまたいるわけではあるが。
朱莉に用意してもらったミニスカートの軍服は結愛に委ね、いつもの白い服に着替えた鏡はゼーレの顔をみつめる。
「ゼーレさん。お話しって何ですか?」
「……君が直接、手合わせしたあの死神のことを聞きたい」
「死神マリアですか……」
「そう呼ばれているそうだね。我が王国騎士団としてもあの女は危険と判断された。それゆえ直接戦った君から話を聞きたいと思ってね」
鏡の脳裏にマリアの姿が浮かび上がる。
漂う死の気配。背筋が凍るほど輝く紅玉。体を揺さぶる激しい斬撃。そしてそれらを生み出す可憐で薔薇のごとく麗しい容姿。そこから紡ぎ出される全貌は人ならざるもの。人間風情ではどうあがいても太刀打ちなどできない強大な存在だ。
思案し視線を落としていた鏡は、そのアメジストの瞳を上げゼーレへ視線を移した。
「一言でいえば……人が勝てる存在ではありません。ボクにはそう思えます」
「あの女の正体は人ではない何かだと? 悪魔やあるいは邪神か。それとも真の意味における死神……か」
「はい」
「それが真実ならば何故、そのような存在がヴェルデなどに付き従うのか。わからぬな」
「ボクの予想ですが彼女の行動を見るに従っているわけではないように思えます。たまたま利害が一致した。それゆえの協力体制にあるんじゃないかって。紫の薔薇騎士団の騎士達も何か王都解放軍のためというより死神マリアのために戦っているようにも思えました」
「狂気というものは時に人を魅了する。おそらくその者達は死神の残酷性や狂気に魅入られてしまったのだろう。哀れな傀儡だ」
ゼーレは唇の中にワインを注ぎ込むとゆっくりとテーブルの上にグラスを置く。その瞳は先程までの優しさを湛えたものから一変し、鋭さを増していた。
「気に喰わんな。特にヴェルデが。王都解放軍の勝利のためとはいえ、そのような邪悪な存在と手を結ぶとは。聖騎士とあろうものがそこまで堕ちたか」
「その……ヴェルデさんって何故、戦争を起こしたんですか?」
鏡の言葉が耳に響いた途端、ゼーレの体が一瞬、硬直した。その鋭い瞳を見て鏡は少し動揺してしまう。聞いてはいけないことを聞いてしまったのではないか。そんな思いがよぎったからだ。
そのことに気が付いたのかゼーレは、「すまない」と呟くと飲み干したワイングラスに酒を淹れ始める。
「あの男はアフトクラトラスでも数少ない聖騎士だった」
「だった? 騎士階級の頂点である聖騎士の称号をはく奪されたんですか?」
「いや。正確に言えばはく奪されていない。だがあの男の聖騎士としても名誉は地に堕ちた」
その言葉を皮切りにゼーレはヴェルデの話をゆっくり語り始めた。
剣王ヴェルデ・シュトルツは、聖騎士の騎士階級を持つ現シュトルツ当主だ。五大貴族の当主としての地位と聖騎士の名誉。それがあればじきに国王へ座することも可能だったに違いない。
だが彼は悪政を強いる現国王カスティゴに反旗を翻した。シュトルツ騎士団を率いて王都解放軍を設立し王都へ攻め込んだのだ。それが国内紛争のはじまりである。
確かにカスティゴの悪政は目に余るものがあった。国にもたらされる利益により私腹を肥やし、他種族を迫害し、邪魔建てする者は容赦なく始末した。税は増え農民はやせ細りいつ暴動が起こるかさえわからない状況だった。
ヴェルデは人々を守るためカスティゴの悪政を止めるために立ち上がった。
しかしそれは本当に必要なことなのだろうか?
彼が起こしたものは戦争だ。血で血を洗う惨劇に他ならない。民を守るためと言いながら数多くの兵の命を犠牲にし、カスティゴの玉座を覆すことに正義などあるのだろうか。
「ヴェルデは、自らの望みのために無用な血を流し王都へ攻め込もうとしている。果たしてそれがアフトクラトラス王国のためと言えるのか? 君ならどう思う?」
「ボクは……戦争は嫌いです。たとえどんな理由があろうとも」
「君ならそう言うと思っていた。戦争など暴虐と死しか生まない。仮にこの戦争に勝てばヴェルデは国王という地位を得るかもしれない。しかしその玉座の下には無数の屍が埋まっているのだよ」
「……どうしてヴェルデさんはそこまで……戦争を起こしてまで国王の玉座を狙うのでしょうか? ボクにはわからない。もっと別な方法があるはずなのに」
鏡の率直な疑問にゼーレは首を横に振った。
「わからない。実は彼が真に何を思ってこの戦を始めたのかわからないのだ。君の言う通り、単に国王の座に就きたいのであればいくらでも手段はある。だが彼は戦争という血に濡れた方法を選んだ。ヴェルデが戦を起こした以上、我々は戦わなくてはならない。王都を守らなければならない。そんな現状だからこそ君達は勇者なのだよ。我々の守護者なのだから」
鋭い瞳が鳴りを潜め微笑みを浮かべたゼーレに対し、鏡は思案するかのように視線を落とすとおもむろに言葉を紡ぐ。
「……ボクは今だ自分が何者なのかよくわかりません」
鏡の胸の内に潜む焦点の合わない虚ろな影。それは自分が本当は何者なのかという疑念。人ならざる能力を持つ者が抱え込む胸中を言葉として漏らした鏡にゼーレは、アメジストの瞳を見つめ語り掛けた。
「今はまだ知る必要はない。だがいずれ君達自身がそれを解き明かす日がくるだろう」
ゼーレのその言葉によって鏡の脳裏にある場面が浮かび上がる。
それははじめてこの世界に来た……あの日の出来事だった。