第13話「薔薇の副官」
シオン達が転生者である大浴 強一と対峙しているその時、ゲハイムニスのはるか頭上を何かが横切った。
周辺を見渡せる砦の頂上では数人の兵士が見張りをしている。巨大な松明により照らされた、石造りの上を歩く彼らが見るものは主に地上だ。
星々が咲き乱れる天の海を見据えるものなど誰もいない。それゆえ翼を羽ばたかせた黒い姿が通り過ぎていくのを誰一人として気が付いていなかった。
ただ特に理由もなく天を見上げる人間も中にはいる。ウィングドスピアの長い柄を地面に立て一人の兵士が空を見上げた。
彼の目に映るのは黒い点。しかしそれは次第に大きくなりやがて、「落ちてくるドレス姿の人間」だと判別できるようになるのにそう時間はかからなかった。
兵士の目が大きく見開く。その驚愕とした様子に近くにいた別の兵が気が付いた。
「おい。どうした?」
「女の子が……」
「あん?」
「空から女の子が降ってきた!」
鼓膜に響く風切り音と着地と同時に立ち昇る土埃。闇夜を切り裂き雷鳴のごとく降臨したのは、紫色のドレスが舞う美しき少女だった。しかし、その可憐な姿とは裏腹に目の前に立つ紫の薔薇は、心臓を抉りだすほどの鋭利な死棘を持っている。
空から舞い降りた少女は、冷笑をもって整った唇を歪ませた。
「ごきげんよう。ゴミども」
日本。
そのキーワードに大浴が激しく反応する。何故ならば彼ら転生者が以前いた世界、そして生活していた国がその「日本」だからだ。
そして驚愕と共に沸き上がるのは疑念。なぜこの女が知っているのか。
「……あんた。なんでそれを知ってる!?」
「……そう。そうですか。あの人がいた世界に生きていた人だったんですか……」
「一人で納得すんじゃねぇ! 説明しろ!」
胸倉を掴む勢いで問い詰める大浴を前にシオンは、どこか悲しげな瞳を向けている。その黒髪と合わさってまるで、墓の前で愛する者との死別を惜しむ女性を見ているかのような印象を見るものに与えていた。
先の言葉を最後に口を閉ざすシオンに、大浴が掴みかかろうと腕を伸ばす。その時、今まで無言を貫いていたチェアーマンが突如、鋭い言葉を発した。
「そこまで。何かがきますぞ?」
彼の言葉と同時に響き渡るのは断末魔の悲鳴。そして鎧がこすれる音と大勢の人間が生み出す雑然とした騒々しさだ。
シオンを捨て置き、大浴は慌てたかのように扉から飛び出す。駆け寄る兵士の一人を捕まえ、「何があった!?」と声を張り上げた。
「強襲です! 対象は死神マリア!」
「あの死神かよ! 正門をこじ開けたのか!?」
「いえ。門は開いていません。奴は空から降ってきました!」
空から降ってきた。その言葉が耳に入った途端、シオンは大浴の死角から耳元に手を当て「念話」を試みる。
彼女の問いかけに響いてきたのは、愉快そうに声を弾ませるマリアの言葉だった。
『あら。元気そうねトマト副官』
『隊長! 今、空からって……』
『正面から一人で堂々と攻め込むほど無謀ではないわ。敵勢力はほぼ私に釘づけよ。その間に何をするべきか……今さら説明は不要よね?』
マリアの言葉にシオンの瞳が輝きを取り戻す。
たとえ転生者達が、こことは違う世界の住人だったとしても今は戦時だ。敵への好意は死へと直結しかねない。そして自らの判断の甘さが作戦の失敗を誘発し、それはマリアの死さえ生み出しかねないのだ。
兜を被った麗しき騎士は先程まで動揺していた彼女ではない。「紫の薔薇騎士団」副官であるシオン・イティネルその人だった。
死神の元へと兵がかけつけていく中、その流れに逆らうかのようにシオンとチェアーマンはある一点を目指して、その足が大地を蹴った。
シオンの探索魔法である想像探索は、自身がイメージする形状に近い物体を彼女に知らせている。それは正門を開く巨大な開錠ハンドルだ。歯車と連結し棒状のハンドルを押して動かすことで、門が開く仕組みになっている。
マリアが王国騎士団を引き付けているおかげで、門近辺は幾人かの見張りの兵を残しもぬけの殻だ。幸い転生者である大浴は、雑踏の中へと消えていく彼女達を見失いここまでたどり着いていない。
素早く駆け寄る二人に見張りの兵が気が付く。不審に思ったのか声をかけようとしたその時、一筋の斬撃が走った。
チェアーマンの手にした直剣の刃が兵の首筋を断ち切り、血煙と共に首が地面に転がる。
「貴様ら! 敵か!」
残りの兵が槍の矛先を向けた。それと同時にチェアーマンの体が相手の懐へと滑り込む。マリアさえも認めた速度と膂力が合わさった半吸血鬼の生み出す剣戟は、鋭い軌跡を描き兵士の腕を首を胴体を切り裂いていく。
瞬く間に四人の兵士を斬殺したチェアーマンは、血の滴る刃を屍の身に着けている布で拭き取った。そして、解錠ハンドルを握ると体ごと力を込め押し始める。
本来ならば大人数人で押せる重さを持つハンドルを彼は一人で動かし始めた。まさに人外の持つ膂力ゆえに実現可能となる力技。しかしそれはチェアーマンが「戦うことができない」ことを意味する。
そんな彼の行動を見透かしたかのように門が開く音に導かれ、鎧がこすれる音が耳に響いた。
「シオン殿! いったん押すのをやめて迎撃いたす!」
「いえ! 駄目です! 私達が時間をかけすぎると隊長が危険です!」
シオンは腰から一本のレイピアを引き抜く。身体能力で劣る彼女でも扱えるようにとマリアが持たせた特注品だ。通常のレイピアより刃渡りは広いが特殊な金属で精製されており、切れ味と剛性に優れるまさにシオンにうってつけの一品である。
彼女は一瞬、震える手を叱りつけるかのように力強く握りしめた。
「……私も薔薇騎士団の一人。隊長の隣で前線に出て仲間を守ってこその副官です!」
視界に兵士が映る。その手には鋭利に尖った槍の矛先がシオンに向けられていた。
震える足が大地を蹴る。彼女の脳裏には、何度も何度も木刀でマリアにしごかれていた光景がよぎっているに違いない。鍛えられた体が鋭い軌跡をなぞる。
槍の矛先をくぐり抜け様に縦方向へ一閃。手首を切り裂かれ槍を落とし悶える兵を捨て置き、残りの兵士へと刃を走らせる。
鎧に覆われていない内側の腕と太ももを切り裂き穿ち、シオンの前には痛みにもがく男達が転がっていた。彼女はアーメットで隠された中、激しく息を吐き出し血に濡れたレイピアの刃へ視線を落とす。
人を切ったのはこれが最初だ。言いようのない罪悪感を通り越し激しい高揚感が彼女を包んでいた。ようやく自分も本当の意味で紫の薔薇騎士団になれたような気がしていた。
そんな気持ちを抑えるかのようにシオンは肩で大きく息をしていた。
漆黒の刃が兵士の体を貫き壁へと突き刺さる。
大量の血液が流れだす様をさも愉快そうに口角を上げ見据えるマリアは、大鎌を引き抜くと肩に担いだ。彼女の周辺にはすでに数十人の無残な屍が転がっている。それを避けるかのように兵士が取り囲んでいた。
相手は単騎だ。四方から刺し貫けばどれかは彼女の体を穿つ。数という甘さに付け込まれた兵士達が一斉に大地を蹴った。
一閃。槍を鎧をまるで紙切れのように切り裂く大鎌の斬撃。槍の先端ごと兵士の体を両断したマリアの体が一瞬で視界から消える。四方から打ち出されるウィングドスピアの刺突を大鎌を支えに空中へ回避した彼女は、着地と同時に巨大な刀身を一周させた。
瞬時に首を跳ね飛ばされ、血煙を上げつつ倒れる兵士達を一瞥することなく、マリアの紅玉が闇に浮かび上がる。
彼女は感じ取っていた。異質な空気。その存在の根源を。
ここに転生者がいる。
血に飢えた獣のように小柄な体が躍動した。
兵士の間隙を駆け抜け、打ち出される槍の矛先を紙一重で回避しながら、一直線にある人物の元へと距離を詰める。
その真紅の瞳が見据える先。そこには短く刈り上げた金髪の男が立っていた。