第12話「緊張の時を刻む鼓動」
漆黒の闇の中、煌々と灯された松明とランプの光がゲハイムニスを照らし出していた。
その周辺を音もなく忍び寄るのは蠢く人影。息を殺しじっと機会を伺うそれは、隠密活動がしやすいように数を絞った騎馬隊「紫の薔薇騎士団」だ。
しかしそこにいるはずのマリアの姿はない。それどころか彼女の元を常に離れない副官であるシオン・イティネルや、椅子役の変態騎士チェアーマンすらその場にはいなかった。
シオンとチェアーマンの二人は、ゲハイムニスの中にいた。戦場から回収した王国騎士団の鎧を二人に着せ、まんまと砦の中へと正面から堂々と入っていったのである。
彼らの役目は門を内側から開けることである。念話に通じたシオンと彼女を護衛するためにチェアーマンがマリアの人選により選ばれた。
体力がなく重い騎士団の鎧を着るとへろへろになるシオンは、むしろ傷を負っていることを周囲にアピールするには最適の人材だ。
マリアがゲハイムニス攻略において打ち出した作戦。それは外側から攻城兵器などで落とす従来のやり方とは一線を画すもので、「内部から落とす」という考えだった。
二人が王国騎士団を装い内部に侵入。周囲の状況を把握した後、攪乱を起こす。攪乱役はマリアだ。そして二人はそれに乗じて門を開放。そこへ騎馬隊を突撃させるという作戦だ。
ただこの作戦には二つ気がかりが存在する。一つは言うまでもない「転生者」の存在だ。彼らの能力は不明な部分が多い。それゆえたとえ偽装したとしても見抜く可能性がある。そうなればシオンとチェアーマンは袋の鼠だ。
二つ目、それは攪乱役であるマリアの行動だ。「私が突撃して攪乱する」とだけ言ったマリアは自らが考えた全貌を明かすと闇へと消えた。しかし彼女がどこからどのタイミングで攻め込むのかは明かされていない。
薄暗い部屋の中でアーメットを外すとシオンはため息をついた。
慣れない兜ゆえの息苦しさかあるいは緊張感か。その美しい顔は少し蒼ざめている。念話で先ほどマリアに侵入成功の報は知らせたが反応がなかった。
敵地のど真ん中でたった二人しかいない。その全身をざわつかせる死の予感が襲うのか彼女は一瞬、身震いをした。向かいに座るチェアーマンは冷静にそんなシオンを見つめている。
「シオン殿。息苦しいのはわかりますがなるべく顔は隠したほうがいいですぞ?」
「そうね。やっぱかぶっとかないと駄目かなぁ」
そう口にし嫌そうに一瞬、険しい表情を浮かべたシオンは両手で兜を掴む。その時、突如、部屋の扉が開かれた。
ランプに映し出されるのは短い金髪に黄色の軍服を着た長身の男。その姿を見たシオンは一瞬蒼ざめた表情を浮かべ、それを隠すように急いで兜で覆う。
彼女は即座に理解したのだろう。その男が持つ場違いな空気。いやそんなものでは済まされない。まるでこの世界そのものに拒まれているかのような異質な存在。シオンが見た鏡や朱莉と同じ転生者なのだと。
男はシオンを一目みると口元を歪ませた。
「こりゃ珍しいな。王国騎士団で女の騎士なんてはじめてみたぜ」
「失礼ですが女であっても騎士は務まります」
シオンは軽く咳払いすると素っ気ない返事をした。こちらから話は振らず、相手には冷たく。その男が不快に思おうがなんであれこの部屋からすぐ出ていってほしい。それが彼女の思惑だったことだろう。
しかしそれを見透かしているかのように男は、シオンのアーメット姿から視線を離さない。
「珍しいついでに何だが。なんでお前達はアーメットをつけてやがる? 王国騎士団の騎士はほとんどそれ。つけてないはずだぜ?」
一瞬、シオンの体が固まった。アーメットの中で彼女の顔面は蒼ざめている。
もちろんシオンは王都解放軍に入隊するまでの間、どの軍属にも属していない。王国騎士団の標準装備にアーメットがあるかないかなど、確かめようもないのだ。
実はこの男の話。ただのはったりである。
王国騎士団の標準装備である鎧には確かにアーメットは付属されていない。だが個人で所持しているものは多く、戦場において身に着けている者は少なくはない。
つまり彼はこの二人にボロを出さないか揺さぶりをかけているのである。それはこの男が二人の素性を怪しんでいるからに他ならない。
もちろんシオンもそれに気が付いていた。
話題を変えなくてはいけない。
彼女はそう思ったのだろう。突然立ち上がると女性の割りには長身な背を伸ばし男を見据えた。そしておもむろに兜を外す。
ランプに照らされるのは艶やかな黒髪と美しい顔立ち。その黄玉の瞳が魅惑的に輝いていた。
「騎士にしとくにはもったない美人だな」
「このアーメットは父から譲り受けた品です。女の身ゆえ騎士であっても顔は傷つけるなと。そんな親心の代物です」
シオンは優雅に一礼してみせた。まさか練習していた騎士の礼がこんなところで役に立つなど、彼女は想像していなかったことだろう。
「申し遅れました。私はシオン。転生者の勇者様とお見受けします。お名前を聞いてもよろしいですか?」
勇者様の一言で一瞬、目の前の男の警戒心が和らいだのを彼女は見逃さなかった。
王都において転生者が「勇者」と呼ばれているのは、先の大戦などでシオンも理解していた。
「……オレか? オレは大浴……いやアモンだ」
「失礼ですが名を二つお持ちなのですか?」
「いや……まぁそういうこった」
大浴の顔に明らかに狼狽が見て取れる。どうやらもう一つの名を彼自身が知られたくないようだった。
しかしその名に反応したのは大浴だけではなかった。シオンもまた明らかに驚愕の表情を浮かべていた。
「あなた……何故、その名を……」
彼女のその驚愕の色に染まるオレンジ色の瞳を見つめ、大浴は怪訝な表情を浮かべた。何故この女は、自らの本名に驚いているのか。彼には到底理解できないことだったに違いない。
しかしシオンの整った唇から発せられた言葉で大浴は、彼女の真実に近づくことになる。
「あなた。日本にいたのですか?」