第11話「ゲハイムニス攻略」
木々の間を葉を騒めかせ駆け抜ける風が紫色の髪をなびかせた。
幹に覆われたちょっとした広い空間に騎馬隊の馬が体を休めている。よく手入れがされたその毛並みをそっと撫で、紫の薔薇を思わせる可憐な少女は紅蓮の瞳を輝かせる。
マリアが率いる「紫の薔薇騎士団」はコンフィアンス領内の偵察と安全確保のため、敵地へと足を踏み入れていた。
プラテリア大戦勝利後、コンフィアンス領内へ侵攻した王都解放軍は、駐屯地を建設しそこを拠点とした。そして範囲を拡大させるため偵察の任をマリアに委ね現在、森の中を進行中、馬を休められる場所を発見し休憩中である。
騎士達が太い木の根に腰を下ろし体を休める中、マリアがふと立ち止まり一点を見つめている。
彼女の視覚や聴覚といった五感は人のそれより鋭敏だ。騎士達が気が付く前に何かが近づいているのを察知していた。「何かくるわね」という呟きと共に騎士達の体が一瞬、硬直する。
耳に響くは蹄の音。マリアの目の前に現れたのは馬に乗った一人の兵だった。彼は足早に彼女の元へと駆け寄ると膝を折る。
「上級騎士マリア殿。ヴェルデ様より言付けをもってまいりましたヌンティウスと申します」
マリアは言葉を返すことなく彼に歩み寄る。その瞬間、風のような速度で筋骨隆々な体躯が彼女の元へと駆け付けた。アーメット姿に上半身裸のその大男は、マリアの眼前で四つん這いの姿勢を取ると、「椅子をどうぞ!」と声を張り上げる。
疑問に思うこともなくマリアが腰かけるその姿に、一瞬、ヌンティウスは怪訝な表情を浮かべた。
「あの……一体なにをして……?」
「気にしなくていいわ。いつもの光景よ。それよりヴェルデの伝言は何かしら?」
かの死神マリアを目の前にしてヌンティウスは息を呑む。
彼女のアミナ防衛戦に続きプラテリア大戦にもおける勇猛な姿は、兵達の話題としては恰好の的だ。しかしその残酷かつ強大な英雄像とはかけ離れ、マリアの姿そのものは齢十二歳程度の少女である。
さらりとした紫色の髪。魅惑的に輝く紅玉の瞳。人形のように可愛らしい顔立ち。その全てが実に可憐だ。
しかし体全身から発せられる全身をざわつかせるような死の気配。それは逆らうものに容赦ない死を与える暴君という表現がふさわしい。王都解放軍の総大将であるヴェルデを「呼び捨てにしても違和感を感じない」ほどに。
「はっ。早馬にて周辺を調査中、我が軍の進行上にコンフィアンス軍の砦を発見いたしました。周辺に兵はおらず、中には数名の兵は見えたもののかなり捨て置かれた砦と思われます」
「それで?」
「過去の情報からその砦は建築されたものの放置された砦<ゲハイムニス>と判明しました。ただ王国騎士団が集まってきている状況から駐屯地を攻略するための拠点とする可能性が浮上し、急遽、ヴェルデ様より『ゲハイムニスを落とせ』との命が出ております」
「落とせ? 私の隊だけで?」
「はい。現在、集まっている王国騎士団の数も少ない今のうちに素早く落とせと。後程、援軍が到着いたします」
「えっと。ちょっと待ってください!」
突如、話に割り込んできたのは副官シオン・イティネルだ。
「いくら数が少ないからって私達だけで砦を落とせなんて無茶です! ヴェルデ総大将は何をお考えなんですか!?」
「私は言付けを頼まれただけなので、あの方の思慮までは考えが及びません。決断はマリア殿に委ねられています」
「マリア隊長。もちろん無理って言いますよね? そうですよね。いくらマリア隊長が百人力だっていっても私達だけで砦落とすなんてそんな無茶が……」
「引き受けたわ。ヴェルデにそう伝えなさい」
彼女のその言葉にシオンは硬直する。まるで魅惑的な肢体を湛えた石像のようだ。
突如、動き出したシオンはマリアを問い詰める。
「隊長! 引き受けるんですか!?」
「二言はないわ」
「いや……でも今ここにいる隊は千人足らずですよ? その人数で砦落とすなんて非現実的もいいところです!」
シオンの訴えを無視するかのように手を差し出すマリア。反射的にシオンは、木箱からトマトを取り出し彼女に手渡すと、整った唇をあけ赤く実ったそれに噛り付いた。
「私がやるといったらやるのよ。それにいくらなんでも勝利の見込めない戦はやらないわよ?」
彼女の言葉に小首を傾げるシオンにマリアは微笑んで見せた。
コンフィアンスの空が紅蓮の色に染まる。
砦を覆う壁は草が這い、薄汚れた外見は長い間、その砦が人の手から離れていたことを示唆していた。
白い鎧に身を包む騎士達がランプを手に埃が舞う室内を物色している。その鎧にはアフトクラトラスの国旗が刻まれていた。
アフトクラトラス王国騎士団はコンフィアンス当主の許可を得て砦「ゲハイムニス」を捜索していた。
コンフィアンスは他領地とは違い山地に覆われ、また隣接する森林には魔物が多い。それ故、農民が襲撃されることが多く、討伐隊が結成されることも多々ある地域だ。
そんなコンフィアンス特有の事情がここ「ゲハイムニス」を生み出した。
派遣された討伐隊が休む場所や、大挙した魔物の襲撃に備えるために建築された砦なのである。しかし魔物がいなければ討伐隊も組織されない。それゆえ放置される期間も長く、砦としての機能が保たれているか事前に調査が必要だった。
上級騎士の階級に属するケットは、茶色の髪を揺らし薄暗くなっていく空を見上げ、再びテーブルへと視線を落とす。
彼の目に映るものはゲハイムニスの見取り図だ。もっとも古いものなのでかなり大雑把な代物だが。
ケットの役目は率いている千人程度の兵を使い、ゲハイムニスを復旧することである。理由はもちろん王都解放軍の駐屯地を攻める拠点とするためだ。
作業は比較的順調に進み、夜の闇が静かに砦を包み込んだその時、ゲハイムニスの門を何者かが叩く。兵士の目に映るそれは血に濡れた二人の騎士だった。その白い鎧にはアフトクラトラスの国旗が刻まれている。
王都から兵が来る話などケットは聞いていない。突然の来訪に一瞬、怪訝な表情を浮かべた彼だが二人が手負いと聞いて門の解放を許可した。
ゲハイムニス内部に足を踏み入れた二人の騎士。一人は大男でもう一人は傷を負っているのかよろめいている。
近づいた兵に男が口を開いた。
「我々は先のプラテリア大戦にて本陣よりはぐれ王都解放軍より追撃を受けていた。共に逃げた数十人の兵はみな殺された。我々のみ森に潜みこうしてようやく仲間の元へたどり着いた」
「もう一人は? 傷を負っているのか?」
「すでに治療済みだがどうも体がよくないようだ。少し休ませてはくれないだろうか?」
「わかった。部屋を用意する。ついてきてくれ」
よろよろと体を引きずる騎士の体を支え、大男は兵の後を無言でついていった。その光景を一人の男が遠目から見据えている。
場違いな男だった。鎧がこすれる音の中、その長身を黄色の軍服で覆い短く刈り上げた金髪がランプに照らされる。男は険しい表情を浮かべ、小さくつぶやいた。
「……どうも胡散くせぇな」
ランプの少ない光量が石でできた部屋を照らし出す中、二人の騎士はゆっくり地面に座り込む。
よろめいていた一人の騎士がそっと耳元に手を当てた。それは脳内で会話する際、より鮮明に聞こえるように外部の音を遮る行動。つまり「念話に慣れた者が行う所作」だった。
「……隊長。ゲハイムニスの侵入に成功しました」