第9話「死霊魔術師」
どこまでも続くかのような澄んだ青空の下、柔らかな陽光がシュトルツの大地を照らしていた。
継続的に耳に響く蹄の音が心地よく感じるのか、馬の手綱を握るシオンはどこか上機嫌だ。今日はいつもの白い軍服ではなく、貴族に仕える侍女と同じ白と黒を基調とした質素なドレスを身に着けている。ただ彼女の背中に流れる黒髪はまるで黒曜石で髪を模したかのように美しく艶やかだった。
シオンが駆けるは小さな馬車だ。その中には椅子に寝ころび足を組むマリアの姿があった。彼女は無造作に近くに置いてある小さな箱からトマトを取り出すと、その形の整った唇を開き噛り付く。
マリアはプラテリア大戦勝利後、しばしの休暇を取っていた。コンフィアンス領の侵攻計画の会議に招集されていたが当然のごとく無視である。
基本、わがままで気が向いた時でもないかぎりヴェルデの招集でさえ右の耳から左の耳へと素通りする彼女だ。マリアにとってそんなゴミどもの会議など時間の無駄でしかない。
それでも自らの要求は当然のごとく押し通す。ヴェルデも彼女の扱い方に慣れてきたのか、シオンの同行を条件に休暇を承諾したのだ。
気まぐれなマリアに付き合わされる羽目になったシオンは、まんざらどころか大喜びする始末である。「行きたい所がある」と口にする彼女の為にトマトを箱に詰め、こうして奇妙な二人旅へと出発したのだ。
数時間かけマリアとシオンを乗せた馬車は、シュトルツ領の端にある石でできた大きな壁にたどり着く。城壁を思わせるそれはシュトルツとミゼリコルドを隔てる境界線だ。
シオンはマリアの様子を一瞥すると再び前を向いた。
「隊長。そろそろミゼリコルド領ですケド……」
「直進」
「いや、それはわかりますが、通るための対策は用意してありますが隊長。絶対暴れないでくださいね」
「相手次第じゃそうなるかもね」
「や……やめてください! 青い鎧の人達に囲まれるとか勘弁ですから! 穏便にいきましょう! 穏便に!」
青い鎧の人達とはミゼリコルド魔法騎士団をさす。ミゼリコルドは敵対してはいないが、友好関係にあるわけでもないのだ。
国内紛争時の現在、おそらくシュトルツ、アイディール、コンフィアンスの貴族、兵、平民はすべて通過を許可されないことくらい想像に難くない。
マリアがミゼリコルド内に用があると言いだした時、シオンは頭を捻り対策を講じたがマリアが暴れてしまえば元も子もないのだ。
彼女の返事を待たずして門の入り口で衛兵に止められたシオンは、一枚の許可証を彼らに提示する。それはエスペランスの家紋が記されている通過許可証だ。
もちろんこの紛争真っただ中のシュトルツがエスペランスの貴族が発行する正式な許可証など入手できるわけがない。当然、偽装の魔法により偽造された許可証である。
ミゼリコルドの衛兵は通過許可証を確認すると、「馬車の中も見させてもらいたい」とシオンの背筋が凍るであろう発言を口にした。
内心、動揺しているのか視線をちらつかせながら衛兵を尻目に見るシオン。彼の手が馬車の扉に近づいたその時、静かにそれは開け放たれた。
中から出てきたのは笑顔を貼りつかせた薔薇の花のごとく可憐な少女。彼女は紫色のドレスの裾を両手で軽く持ち丁寧に礼をすると、魅惑的に輝く赤い瞳を衛兵へと向けた。
「私はエスペランスで商人を営んでいるエスケレトの娘、ティナと申します。紛争前に父の仕事のお手伝いでシュトルツに滞在していたのですが紛争が始まり戻るのに難儀しておりました。早く父に会いたいので通過の許可をよろしくお願いします」
美しい少女と小鳥がさえずるような可愛らしい声音を前に一瞬、息を呑むと衛兵は「そういうことでしたら……」と門の通行を許可した。
境界線を駆け抜ける馬車からシオンは、小さくなっていく衛兵達を一瞥すると、安堵したのか胸をなで下ろす。
「……よかったぁ。一瞬、どうなるかと思いました。というか隊長。あんな声でるんですね」
「けっ。これでいいのかしらぁ!?」
いかにも不機嫌そうな声音が馬車から響く。シオンはその声に口元をほころばせた。
マリアを乗せた馬車は彼女の案内に従い人気のない森の中を駆けていく。
森林に潜む獣の視線か、殺気を帯びた気配を感じたのかシオンは表情をこわばらせた。大地を照らしていた陽光は、覆いかぶさるような深緑の天井により遮られ視界は薄暗い。時より吹く風が葉をざわつかせた。
周辺に注意を注ぎながらたどり着いた先には岩をくり抜いたような洞窟が口を開けていた。馬車を止めマリアは降りるとためらうことなく薄暗い中へと足を踏み入れていく。恐る恐るシオンも後をつけた。
光のない世界でもマリアはまるで見えているかのように何事もなく突き進む。その小さな手が扉の取っ手を掴んだ時、止まった彼女の体にぶつかりシオンはよろめいた。
扉がしわがれた音と共に開かれる。闇から突如、光のある世界へ足を踏み入れたせいかシオンは目を覆った。眩しいといってもそれは実のところ大した光量ではなく、小さなランプが部屋を照らしている程度である。
マリアとシオンの視界に広がるもの。それは小さな研究室のような様相を呈していた。
質素な木のテーブルと椅子が佇み、所狭しと本が山積みになっている。そんな中、一際視線を奪うのは部屋の隅に座する黒いローブだ。
ローブとはいえお世辞にも上等なものとはいえない。それどころか所々ほつれて汚れ、もうぼろきれ同然である。ただそのフードの奥から覗く視線は明らかに人のそれとは思えないほど、不気味で生気を感じない無機質なものだ。まるで「アンデッドに見られている」かのように。
物怖じすることなくマリアはずかずか部屋に足を踏み入れると、黒いローブへ口を開いた。
「ひさしぶりね。死霊魔術師。元気だったかしら?」
「相変わらず突然くる人デスネ。今の名前は……あー……マリアサンでしたっケ?」
「そうよ。エスケレト。物覚えがよくなったじゃない。その頭蓋骨の中に脳みそまだ残ってるの?」
マリアの妙な物言いに小首を傾げるシオンの瞳があるものを捉えた。その瞬間、短く悲鳴を上げ彼女は後ずさりする。
黒いフードの中に光が差す。浮かび上がるそれは人などではなかった。
正確にいえば以前人間だったものだ。皮も肉もない。あるのは頭蓋骨そのものだ。その眼球のない空洞がマリアを見つめる。
彼はエスケレトという名を持つかつての王宮魔術師だった。だがその座を追われ今は各地を転々とし人前にはまず出ることはない。
アフトクラトラス王宮魔術師など安易になることは到底不可能だ。実績も名誉も聡明さも、そして国王に認められる人材でなければその座に就くことなどできはしない。
だがエスケレトはその全てをはく奪された。理由は至って簡単である。彼は人間でありながら「アンデッド作成」に没頭していたからだ。
人間や動物を材料にし様々なアンデッドを作成するという「禁忌」を侵した彼は、「死霊魔術師」と怖れられ、アフトクラトラスを追われた後、ひっそりと死霊魔術の研究を続けている。
そして、アンデッドを愛するが故に自らもアンデッドと化すことを目論んだ。その結果が今の彼の体そのものである。
「死の超越はまだ完全に終わってまセン。上半身は骨になってますが下半身はまだ生身デス。人前に出せる状態ではないデスネ。見てみマス?」
「殺すわよ? 何そのくだらない冗談は。人間だった時でも人前に出せる代物じゃないでしょ。むしろその半分腐ってる下半身のほうが物好きは喜ぶんじゃないの? 私は見たくもないけど」
「相変わらず冷たいデスネ。アナタ。ところでその麗しい女性を連れて何用デスカ? こんな辺鄙な所まで来るなんてよほどの事態でしょうカ? アナタが男の腐った尻を追いかけるなどそうそうないでしょうからネ」
「男の尻なんて御免だわ。若い女なら大歓迎だけどね。こんな汚らしい辛気臭い所にきたのは、あんたに聞きたいことがあるからよ」
「せっかく腐った男に会いに来たのデス。お聞きしまショウ」
骨で形成された歯を鳴らし、死の超越を目論む魔術師は静かに微笑んだ。
マリアはエスケレトの向かいの椅子に腰かけると足を組み、鋭さを秘めた真紅の瞳で空洞を見据える。
「前置きなしで聞くわ。人間ごときが死霊武器を使用した。あんたならこの言葉の意味、わかるでしょ?」
無機質な頭蓋骨が一瞬、固まる。死霊武器、ましてや死霊魔法そのものの知識がないシオンは、マリアの言葉に首を傾げたままだ。
エスケレトは骨で形成された手で顎をさすると、流暢な言葉を空洞から響かせる。
「……結論からいいマス。人間が死霊武器を扱うことはできまセン」