森の襲撃者
「どこまで行っても緑、緑、緑。流石にそろそろ見飽きてきたな……」
「全く同意見だけど、誰のせいだと思ってるの? 樹海を迂回して市街区まで行こうっていうグレンの考えをお兄ちゃんが森の奥にある遺跡ならレアアイテムがあるかもしれないって私たちを言い包めたからでしょ。出遅れてるんだからまだ残ってる確証なんてないのに」
少し後ろを歩く茜が忌々しげにぼやく。
「そうは言うけど、あの時は皆賛成してくれただろ。特にお前は一番ノリノリだっただろうが」
「ぬぬぅ……」
痛い所を突かれてはぐうの音も出ない茜。
「まあいいんじゃないの? これはこれで結構楽しいし」
今俺たち三人がいるのは第五の浮島【ビアセルバ】の樹海。ビアセルバは島全体が広大な森林となっていて、森の中や所々にある開けた土地などに小規模な街や村が点在している。そして北東部にはこの島最大規模の市街区がある。もちろんこの情報も毎度ながら島に到着してすぐ大枚はたいて骨董品屋で購入したエリアマップから仕入れたものだ。
先駆者たちの到達から二週間遅れで昨夜ビアセルバの旧市街区に上陸した俺たちは、その足で手ごろな宿屋を借り翌日に備え早めに休むことにした。そして夜が明け装備やアイテムなどを整えた俺たち三人はいざ樹海へと足を踏み入れたのだが、これがなかなかに難航した。
この森の木は高さが約十メートル、幹の直径が約三メートルにも及び、根元付近は苔生していた。そんな巨木が天に向かい枝葉を広げ鬱蒼と茂っているのだから、その様は壮観の一言に尽きる。
だがそのため太い木の根などが地面から隆起しており、とにかく足場が悪い。そのため跨いだり飛び越えたりするだけでなく、よじ登らなくてはいけない場面も多々あり思うように前へ進めないのだ。さらには苔には足を取られ、熱帯特有の地面から上がってくる湿気を帯びた熱気が非情にも体力を奪う。
そして追い打ちとばかりに猿型モンスター〈パンダリオン〉の強襲。地の利があるとはいえ単体では然程の脅威ではないのだが、一度に四匹以上が群れを成して襲ってくるため戦闘にはそれなりの時間を取られてしまう。
そのため森に入って既に二時間が経とうとしているが、未だに目的地の半分も来ていないのだ。そこでついに茜が痺れを切らした。
「ねぇー、あとどれくらいで遺跡に着くの?」
「そうだな、このペースだと遺跡まであと四時間ってとこか」
「えっ、まだそんなにかかるの!? でもそれだと着くころには夕方になるんじゃないの? も、もしかして森の中で野宿でもしようっていうんじゃ……」
「まあ、そうなるだろうな」
「うっ、うへぇ……」
ここまでに蓄積した疲労と野宿へのストレスが重なり地面にへたり込んでしまう茜。彼女は一見大雑把に見えるが、実は人一倍神経質な所があるため野宿が苦手なのだ。もちろんそのことはこの場にいる三人の間では共通認識。知らない者などいない。
「アカネ、安心しなよ。あれはハルトの軽いジョークさ」
「えっ、ジョーク……?」
「いくらマージンがあるとはいえ、初見のフィールドで野宿するなんてリスクが大きすぎる。だから今日の目的は森での戦闘に慣れることで、ほどほどで引き返すつもり、なんだろ?」
全てを見透かしたような笑みを受かべてくるグレン。
「まあ、そんなとこだ」
本当はもう少し茜をからかっておきたかったのだが、ばらされてしまった以上もう隠す必要もないだろう。
「流石に暗くなるとこの地形からしてモンスターに圧倒的有利だ。残念ではあるがあと一時間したら引き返して、明日改めて出直すことにしよう」
「なぁ~んだ、なら初めからそう言ってよ~。そうと分かればあんなの何匹来たって私が華麗に成敗してやるんだからね」
野宿をしないで済むというだけで現金にもすっかり元気を取り戻した茜は、勢いよく跳び上がると俺を指さし大見得を切る。それはもう抜剣すらしそうな勢いだ。
しかし、そうなると少し意地悪したくなるのが俺の性分だ。
「さっき猿五、六匹に集られて、頭齧られながら奇声を上げて半べそかいてたのは何処の誰だっけ?」
「あ、あれは、そのぉ~……。だってあいつら猿なのに目が四つあって、すっごく気持ち悪かったんだもん。生臭い涎も垂らしてたしぃ……」
その姿を思い出してげんなりする茜。だがそこに関しては俺も同意見だった。あんなのがもし現実世界の動物園にいたなら、子供の総泣きは必至。動物園の入場にR指定が付いてしまい、経営不振に陥ってしまうことだろう。
「で、でも、あのまましばらく齧られてたとしても今の私なら簡単に死ぬことはないもん」
「まあ、そりゃそうだろうな」
始まりの大地、第一の浮島、第二の浮島、第三の浮島、第四の浮島と踏破して来た俺たちパーティーのレベルは最初から見ると随分と上がっている。三人の中で一番高いのがレベル55の俺、次に51の茜、50のグレンと並ぶのだが、グレンのレベルが一番低いのは前に出たがりの茜と危険な場面に率先して引き受けようとする俺のフォローを全てグレンがしてくれているためだ。つまり俺たち兄妹の責任なわけで、いつか穴埋めをしようと常々思っている次第だ。
何度かの戦闘で分かったのだがビアセルバの雑魚モンスターのレベルは平均的に30半ばから後半に設定されているらしく、一番レベルの低いグレンであってもよほど墓穴を掘らない限りは死にはしないくらいのアドバンテージがある。
しかし、油断を許さないのが冒険だ。そしてここまで冒険してきた上でいくつか分かったことがある。
まずダメージというのは基本的に攻撃する側の攻撃値と受ける側の防御値により乱数で算出される。攻撃値や防御値は筋力や持久力やその他の数値が関係しているらしく、そのため基本は攻撃され続けてもだいたい一定のダメージが継続的に与えられるはずなのだ。ただ一部の例外を除いて。
その例外というのがクリティカル、弱点への攻撃である。どうやら人間の弱点は頭(上半部の脳周辺)と首(脊髄)と胸部(肺と心臓辺り)、下腹部に設定されているらしく、そこへの攻撃に対しては防御値がほとんど作用せず通常ダメージの数倍、下手をすると即死すら有り得てしまう。
もちろんそれ以外にも箇所によってはダメージ量が増加したり、痛みに耐えきれず悶絶してしまったりするためレベルが上がったからといって迂闊に胡坐をかいてはいられないのだ。
そんなことを考えていると不意に木の葉が風とは異なるタイミングで数枚宙を舞った。それも枯れてもいない葉が不自然なタイミングで舞い降り、その刹那微かに気配のようなものが。
仮にここが現実の世界ならば全く気にかけることもないその現象もここではそうはいかない。約束された安息など存在しないのがこの世界なのだから。
先客か、それとも刺客か。いや、この状況では考えるまでもないか。
俺は見えざる何者かに悟られぬようごく自然に後ろを振り返ると、後ろの二人もその気配に気づいていたらしく臨戦態勢に入っていた。もちろん悟られぬよう武器などは収納状態で。
すると枝葉の間から透き通るような声が凛と放たれる。残念ながら声が上手く反響していて、その位置までは掴めない。
「私たちに気を遣ってアイコンタクトなんてしなくていいわ。それにしても私はかなり注意して監視してたはずなんだけど、いとも容易く見破るなんてアンタたちそこそこの手練れのようね。もしかして先駆者、なのかしら?」
いきなり話しかけて来るか、普通……。それになかなか癖が強そうだ。
声質から察するに女性なのだろうということだけは分かるが、それ以外は会話から探るしかない。俺は頭上の何処かにいる声の主に向けて声を飛ばす。
「その口ぶりからするにこの森を縄張りにしているプレイヤー狩りか」
「御名答。でもプレイヤー狩りなんて人聞き悪いわね。こっちの要求に背かず装備やお金を置いて行くなら、それ以上の危害を加える気はないわ。私は平和主義者なのよ」
「隠れて奇襲のチャンスを窺っておいて平和主義者とは、ご都合主義の間違いじゃないのか? まあ何にしても、こっちも大事な装備を易々と渡してやる義理はないんだけどな」
「アンタもなかなか言うわね。でもそうなると命も頂くことになるけど、その覚悟はあるのかしら?」
そう言い終わると同時に木の葉の隙間から大きな影が、屈強な男たちがぞろぞろと姿を現す。その数は目算でも一〇〇名余りの男たちが得物を手に醜悪な笑みを浮かべている。装備はみすぼらしいものの、なにぶん数が多い。数が多いのだ。
「お約束というわけか」
「おっ、お兄ちゃん、何かヤバそうな人たちが木の上にいっぱい……」
あまりの光景に慌てふためく茜。それに気を良くしたのか、木の上から実に楽しげな声が続く。
「さ~て、この数を相手に果たして何分持つかしらね。大人しく降参した方が身のためよ? 金目の物を置いて行くなら見逃してあげるって言ってるんだから」
顔は見えないが声の主は高飛車で高慢な女王様気質なのだろうことは容易に想像できる。故にその鼻っ柱をへし折ってやりたくなるのも仕方のないこと。そして、その糸口もあった。
「そうだな、こっちは三人。仮にそいつらが全員ズブの素人だとしても多勢に無勢。囲まれたら十分と持たないだろうな」
「あら、あっさり認めるのね。そうそう、人間素直が一番よ。だからもう諦めてとっとと―――」
「本当にそいつらに実態があるのならば、な」
突如訪れた静寂の中で何者かの息を呑む音が聞こえた、気がした。そして静寂を破った声は先ほどまでの自信に満ち溢れていた様から一転していた。露骨に焦りの色が垣間見える。
「ん、むぅ……。な、何のことかしら!?」
意外にチョロイ。あと一押しか。
「確かに遮蔽物の多いこの森で奇襲はプレイヤー狩りをするには最も有効的な手段だろうさ。でも圧を与えるためとはいえ、少し脚色し過ぎたな。いくら気配を消したとしてもそれだけの大人数が密集していては奇襲の難易度も飛躍的に上がるはずだ。俺たちが感じた気配も微かなものだったしな。それを加味するとおそらく実体があるのは多くても二、三といったところで、今俺たちが見ている巨躯たちはスキルか何かの類で見せられた幻」
「えっ、これって幻覚なの?」
目を擦って枝の上の荒くれ者たちをまじまじと見つめる茜だが、幻覚なら目は関係ないだろうに。
「作戦は悪くなかったけど、詰めが甘かったみたいだな」
策を見抜かれたことに絶望しているのか、それとも怒り狂っているのかは分からないが反応がない。姿を見せていない慎重さからこのまま逃げられてしまうのではないかと心配したが、唐突に愉快そうな声が辺りに響き渡る。一頻り嗤い終えると声の主はすっかり元の調子を取り戻していた。あまりの短時間での豹変ぶりに軽い狂気を感じるほどに。
「今までの連中は揃いも揃って状況を理解するなり貴重品を置いて即座に逃げ出してたけど、アンタは少しばかり賢いみたいね。まあこの程度の小細工は所詮前座に過ぎないんだけど」
そう言い終えると木の上で醜悪な笑みを浮かべていた巨漢たちの輪郭が不鮮明になったかと思うと、形が揺らぎそこには何も存在しなかったかのように虚空に溶けていく。そして淀みのない動きで葉の中から一人の女の子が姿を現す。
肩くらいまである黒髪の一部を紫に染め、皮鎧とブレストプレートを身に纏い腰には一本の剣を帯びた少女。見た目からおそらく同年代くらいだろうと分かる。しかしその物言いは相変わらず見た目以上の、どちらかというとお嬢様の風格を感じさせる。
「これで文句ないかしら?」
「そりゃ文句はないが、この状況で姿を見せるとは随分と余裕なんだな」
姿を現したのは彼女一人で仲間の影も気配もない。つまり彼女はソロプレイヤーなのだろう。
「さっきまでのは前座だって言ったでしょ、聞いてなかったの? どうせ私が戦闘が苦手だからあんな小手先の戦術を使ったと思ってるんでしょうけど、それは見当違いよ。だって私の本分は剣を交えてこそだもの」
その物言いは策士などではなく幾つもの修羅場を潜り抜け、圧倒的高みから見下ろす剣士のそれだった。それは物理的にも。
「私は一対一の決闘を得意としているの。まあアンタたちが三人であたしを袋にしようっていうなら話は別だけど、どうかしら?」
この状況での決闘は予想外だが、ここで乗らない手はない。何故なら彼女は自分が不利な立場にあるということを知らせてまで決闘を提案して来たのだ。つまり彼女にはこの状況を対等にする、もしくは覆すほどの一手があるのだろう。ならその手を易々打たせるほど俺は優しくもなければ、愚かでもない。
まあ一番の理由は一対一の決闘で負けないという確固たる自信があるからなのだが、それを言うと嫌味っぽくなるから内心に留めておく。前に一度口にして茜に釘を刺されたからでもあるが。
「はーいっ、私がやる!」
突然挙手した茜は嬉しそうに歩み出る。相手がこの世界の最前線では珍しい同姓だからかやたら気合が入っているようだが、どんな罠があるか分からない以上この大役を譲るわけにはいかない。
「悪いけど、ここは俺に任せてくれないか。その代わりに後で何でも奢ってやるから」
「何でもかぁ~、そうだな~。むむむむむぅ………。よしっ、でも今回だけだからね?」
茜はこういう時扱い易くて助かる。今から後で何を要求されるか考えると少し怖くなるが、それは目の前のことが片付いてからだ。
「どうやら決まったようね。さて始めましょうかっ、と」
そう言いながら彼女は枝から身軽に跳躍したかと思うと、舞い降りる鳥の羽のように静かに、優雅に着地した。その美しい身のこなしから彼女の言うこともあながち大袈裟でもないようだ。
ちなみにこの巨木の枝から受け身も取らずに落ちた場合、多少レベルを上げてきた今の俺でも瀕死は免れない。そのリスクを負ってでもその選択をするとは、彼女はよほど強靭な精神をしているのだろうな。
「そうそう、まだ名乗ってなかったわね。私の名前は沙也・ウィルヘルミナ。よく覚えておきなさい、アンタたちを全滅させる者の名よ」
「サヤ・うぃ、ウィル、ヘルミナ……?」
首を傾げる茜にグレンがすかさず補足する。
「ウィルヘルミナっていうと確かウィレム三世と後妻であるエンマの長女で、オランダ王国の第四代国王だよ。娘のユリアナに譲位するまでの五十八年間座位し、一二三年間オランダは女王の座位が続いたらしいよ」
グレンのリアルでの素性は分からないが、博識な所や機転が利く点からなかなか高学歴なのかもしれないと思いただただ感心してしまう。高学歴のゲーマーなんて珍しくもないし。
それにしても本名を避けニックネームを使うことなどは珍しくもないが、まさかここまでガチガチの厨二感満載な名前にしている者がいるとは……。
気圧されてばかりはいられないと俺もウィルヘルミナと名乗る彼女に挑発を織り交ぜ張り合ってみせる。
「俺はハルトだ。女王の名を騙ると、はなかなかにはったりが効いてるな」
「ハルト、何とも平凡な名前ね。まあ、はったりかどうかはすぐに分かるわよ」
そう言うと彼女は腰に釣られた剣を抜き放つ。細身ながらも刀身からは只ならぬ輝きが放たれる。しかしそれくらいで怯んではいられないため、俺もそれに倣う。
「さて、お手並み拝見っと」
背中の相棒を勢いよく抜剣すると、光沢のないいぶし銀のような刀身とずっしりとした重みが実に頼もしい。言うまでもなく三つ目の大蛇の洞窟で手に入れ、それ以来ずっと現役で活躍してくれている俺の愛剣〈七星剣〉だ。
「あら、随分と年季の入った骨董品ね。そんな剣で私と対等に戦えるのかしら?」
「対等以上にはな。まあ、すぐにでも分かるさ」
皮肉をそのまま返されたためか一瞬ムッとしたように見えたが、すぐに冷静さで以て返す。
「いいわ。その安い誘いに乗ってあげる」
それが決闘開始の合図。二人の間にそれ以上の会話はなく、視線は交錯させたままじりじりと距離を詰める。そして二人が一足一刀の間合いに入った瞬間、二人がほぼ同時に地を蹴り跳ぶ。
「てぇりゃ―――――!!」「はあああぁぁ―――――!!」
二人の雄叫びが木霊したとほぼ同時に二本の剣が交錯し、金切り音と共に火花が散る。間髪入れず二撃目、三撃目と二人の剣は何度となく打ち合う。お互い傷を負えばただでは済まないのを知った上で、一切の迷いも躊躇もなく手にした得物を全身全霊で振るう。
なかなか筋も良いし、これならいずれ一線に出てくる逸材だろうな。
一頻り打ち終えると二人は跳び退りながら距離を取る。傍から見れば打ち合いは完全の五分。そこで再びウィルヘルミナが軽口を叩く。
「思ったよりはやるじゃないの。私と対等に斬り合えたのはアンタが初めてよ」
「それは光栄だな。だが君もそこそこの手練れのようだし、もう勝負は見えてるんじゃないか?」
俺は今の十数秒の打ち合いの中で悟った。今の段階で剣を交えての立ち合いなら自分が負けることはまずないだろうと。
理由は単純に力量の差。彼女もそれなりに修練を積んできた剣士ではあるのだろうが、明らかに筋力を比較した時の差は歴然。それを察せないほど彼女も鈍感ではないはずだ。
「そうね、確かに私の予想以上だったわ。まさか奥の手まで使う羽目になるなんてね。驚き、平伏し、そして私を讃えなさい」
そう言いニヤリと笑って見せるウィルヘルミナ。そして、凛と唱える。
「映し:銀幕世界」
すると彼女の足元から白い靄のようなものが勢いよく吹き出し、みるみるうちに辺りに充満する。
「こ、これは……」
ほんの数秒で完全に視界は奪われ、一メートル先すら見通せない。右も左も上も下も、何処を向いても白一色。どうやらこれが彼女の奥の手ということらしい。
おそらくこの世界なら物理的に靄を出すことも可能だろうが、幻覚の巨躯たちを見せていたことからこれも幻覚の一種なのだと推測できる。幻覚は脳に直接干渉しているため視覚だけでなく、嗅覚も微かな湿気の臭いを捕らえた。
なるほど、これはなかなかに厄介だな。
現状五感全てがまやかしの世界に囚われたも同然。つまり数メートル先にいるはずのウィルヘルミナの存在を認識することも困難となってしまったわけだ。
「お兄ちゃん、キョロキョロしてどうしたの?」
どうやら幻覚は俺一人にかけられているらしく、辺りを見回す素振りに不信感を覚えたのであろう茜が声を掛けてくる。それ以上に聴覚が生きていたことが今は非常にありがたい。
「こいつは今あたしの創り出した靄の中に囚われているの。声は聞こえてるみたいだけど、それ以外の五感は役立たず」
自分が圧倒的優位に立ったからかウィルヘルミナは自ずから饒舌に説明を始める。彼女の口ぶりから狙った五感に干渉できるスキルではないらしいことが分かる。
「こうなってしまえば勝負は決したも同然。これ以上は時間の無駄だろうけど、それでも続ける?」
降参を促すとは、さっきの仕返しというわけか。
ここで負けを認めてしまえば間違いなく茜がまた戦うと言い出してきかないだろう。そうなると結局茜を危険に曝してしまうことになってしまうし、まだこの幻覚の本質も掴みきれていない。なら無理を押してでも俺が続けるべきだろう。
「あぁ、俺が勝つことに変わりはないが、どうせならちゃんと決着はつけたいところだな」
あえて高圧的に応えると一瞬言葉を詰まらせたウィルヘルミナだが、すぐに元の調子で続ける。
「はったりもいいけど、向こう見ずは身を滅ぼすわよ。その身をもって知りなさい」
そう言い終わるとほぼ同時に少し水気を含んだ地面を踏む音が等間隔に聞こえる。どうやらウィルヘルミナが移動を始めたらしいが、それだけでは正確な位置や距離感は掴めない。だから見えないとは分かってはいても、数少ない情報を得ようと辺りを見回してしまうのは仕方のないこと。
そんな状況に業を煮やしたのかついに声を上げた者がいた。
「お兄ちゃん、彼女は今―――」
だがその瞬間、頭上の枝葉の隙間から一枚の葉が宙に舞った(厳密には音が聞こえた)。
「待て!!」
俺はウィルヘルミナの気配を探ることそっちのけで後ろにいる茜に向かって鋭く一喝する。
「えっ、でも……」
俺が大声で制したことに驚きと困惑で言葉が出ない茜に、すかさずグレンが耳打ちをする。
「これは一対一の勝負だ。外野の僕たちが助言するなんて野暮はなしだよ」
どうやら言葉には出さないがグレンもそのことに気づいているようだ。ウィルヘルミナが隠しているであろうもう一つの奥の手の存在に。
もちろん最初は憶測の域を脱しなかったが、たった今確信に変わった。もしあのまま言葉を続けていたら茜に何かしらの攻撃が与えられていただろう。この状況では俺もそのフォローには回れなかったし、グレンの英断には感謝だ。もちろん言葉通りの意味もあったのだろうが。
「この状況でもあくまで決闘スタイルを貫くなんて、まだ余力があるのかしら。それとも単にバカ正直なだけ?」
「確かにこの状況は少しまずいと思っているさ。幻覚の対策なんてしてなかったからな」
「そこまで手の内を喋るなんて、私の過大評価だったかしらっ」
そこで突如左頬に微かな痛みが走り、指でなぞると指先に少量の液体が付着している。そしてHPゲージが紙一枚ほど、数値としては2減っていた。つまり今俺は攻撃されたのだ。
「今のはわざと避けなかったわね。あくまで私の幻覚を攻略しようって魂胆かしら」
「まあな。それに一撃で決着をつけるつもりなら、ここまで巧妙な幻覚を使う必要はないはずだ。つまりそっちもまだ出方を窺っている段階。幻覚があるとはいえ会話中では攻撃のタイミングが読まれるのも理解しているだろうしな」
「そうね、いくら見えていなくとも闇雲に剣を振り回されちゃこっちが危ないもの。まあ、アンタクラスの剣士がそんな馬鹿馬鹿しいほど運に頼った愚行をするとも思えないけど」
「そんなに俺を買っているとは意外だな」
「当然でしょ。自分の身を守る上で相手を過小評価するなんて愚の骨頂。いつ何時であっても相手より一手先を読んで行動が基本よ」
自信家でただ相手を見下しているだけのお嬢様かと思っていたが、実はかなり堅実なようだ。そうと分かれば安易な手に乗ってはこないだろうし、攻略が少し難航してしまいそうだ。
こうなれば当たって砕けろじゃないが、鎌をかけて様子を見るしかない。
「だから最後の隠し玉を残してるのか?」
幻覚のせいで表情は見えないながらも多少の動揺のためだろうか。やや間があって、ため息が漏れる。
「あぁ~あ、やっぱり気づかれてたのか。まあ、さっきの反応からして何かを警戒してるのは見え見えだったけどね。でも安心していいわよ。私の命が危うくならない限りは使ったりはしないから」
その物言いからすると今は必要ないが、命の危険がある場面なら容赦なく行使するということ。その絶望的な状況からでも盤面を対等にする、もしくは覆してしまうほどの何かしらを。
それどう考えても安心は出来ないだろ……。
「隠し玉もいいけど、今の状況を忘れたわけじゃないでしょうね? 聴覚以外の全てを惑わされた今アンタに勝機なんてないんだからっ」
声が途切れるその瞬間、俺は右足を引き半身になる。するとすぐ傍で舌打ちと驚嘆の声が同時に漏れる。
数秒の間を開けて今度はバックステップで後方へ跳んだ。
「はあぁあぁぁぁ!? 見えない攻撃を躱すなんて、それも二回とも剣線を的確に捉えてる。まぐれで出来ることじゃないし、まさか本当は見えてるんじゃ……」
声のボリュームが独り言の域を超えているのはおそらく無意識なのだろう。こちらとしても聞いてしまった以上答えておくのが礼儀か。
「残念だが全く見えてない。でも君が攻撃をモーションに入った時に微かな気配がして、そのすぐ後に鋭い殺気を感じるんだ。俺はただそこを的確に躱しただけだ。生憎俺は索敵スキルをかなり上げてるから、気配を探るのは人一倍得意なんだ」
これはハッタリなどではなく事実だった。もちろん絶対的な確信があったわけではないのだが、相手が攻撃に移行した瞬間微かに気配のようなものを感じた。ちなみに現状幻覚と索敵スキルとの因果関係は不明だ。
「二回躱したくらいで付け上がるなんておめでたいわね。その上そのメカニズムも口にするなんて。本当の勝負はこれからよ」
そこでウィルヘルミナの声が止んだ。攻撃のタイミングを悟らせないためだろう。こうなってしまえばもう頼れるのは自分の五感のみ(そのうち四つが幻覚に侵されているのだが)。
どのみち使い物にならない視界を捨て、目を瞑る。そして唯一当てになる聴覚に全神経を集中させる。微かな風とそれに伴い戦ぐ葉擦れの音、そして軽く湿気を帯びた地面を踏みしめる音。砂利や草地、硬質な地面ではないため正確な位置までは認識できないが、どうやら俺の周りをぐるぐると回っているということだけは分かる。おそらく自分の位置を正確に把握できないようにしようというのだろう。
それから十数秒間の均衡。そして、それは突如破られた。
一瞬強く地面を踏みしめる音と同時に小さな小石が落ちる音が続く。つまり今彼女は攻撃のモーションに入ったということになる。おそらく左後ろ辺りではあるだろうが、正確な位置までは分からない。
やっぱり耳だけじゃこれが限度か……。あとは索敵スキル、頼んだ。
右手の剣を下段に構えたまま素早く振り向き、あとは縋るのみ。
そして、その時が来た。ぼんやりとした気配に、一瞬の鋭い殺気。
よしっ、ここだ!
俺は剣の腹に左手を添え、左肩近くに翳す。するとそこに何かが激突し、金切り音が耳朶を打つ。だがそこで止まらず瞬時にその場にしゃがむと左足で下段蹴りを繰り出す。途中で何かにヒットし、近くで僅かな悲鳴が漏れた。しかし倒れることなく態勢を立て直したのか、再び静寂が訪れる。
だが完全にコツを掴んでからは一方的であった。何度も攻撃を躱され流石に冷静さを欠いたウィルヘルミナの猛攻は単調で、それを気配と殺気だけで回避している様はもう神業であったろうと思う。まあ本人としては見えないだけに反復運動をしている感覚だったのだが。
途中からは回避にカウンターも混ぜて牽制しながらの攻防が数十秒間攻撃が続いた。そして突如気配と殺気が途絶え、静まり返る。そして聞こえるのは葉擦れの音と誰かの荒い呼吸。それが誰のものかは言うまでもないだろう。
「も、もういいわ、私の負けよ……。どうせこれ以上やっても当たらないんなら、時間の無駄だわ」
ウィルヘルミナがそう言い終わるとほぼ同時に視界を覆っていた靄がみるみるうちに薄れ、消えてゆく。そして視界には数分前まで嫌というほど見ていた緑の世界が新鮮に映る。
「なんだ、本当に奥の手は出さないんだな」
「さっきそう言ったでしょ。聞いてなかったの? 私は嘘をついてまで浅ましく生きていきたいとは思わないわ。まあ死にたくはないから命の危険がある場合は容赦なく使うけどね」
ウィルヘルミナは一切の迷いもなく剣を腰の鞘に納める。こちらを全く警戒していない辺り奥の手は余程のものらしい。もしくは彼女がよほど俺たちを信用しているか、単に警戒心が薄いだけか。
「何にしても決闘は私の負け。変に借りを作るのも嫌だし、望みの一つでも言ってみなさい。命以外で差し出せるものなら何だってくれてやるわよ?」
敗者とは思えないほどふてぶてしい物言い。ここまで徹底しているともう感服してしまう。それがキャラ作りか素なのかは定かではないが。
まだ完全に警戒を解くことは出来ないが、今は相手に倣い背の鞘に愛剣を収める。
そして改めて彼女の申し出について考えてみるが、いざ聞かれるとなかなかに難しい。望みと言われても俺たちは金銭的に困ってはいないし、現状装備だってそれなりに揃っている。だからといって彼女に非道なことをさせるのも心が痛むし……。
そこで俺はふと今朝森に入る前に三人で作戦会議をしていた時に上がった話題を思い出し、これはもってこいだと直感した。彼女の条件にも、彼女の度肝を抜くという点においても。
「そうだなぁ。なら――――――」
その答えを聞いた瞬間、彼女は目を丸くしていた。その顔は先ほどまでの彼女とは全く別人に見えるほどに。
俺はそれを見ながらしてやったりと内心でほくそ笑むのであった。
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