祝勝会、そして焦燥
「「「乾杯!!」」」
雑踏で熱気溢れかえる冒険者ギルドの酒場の隅のテーブルを囲む俺たち三人は、大きなジョッキを音高らかにぶつけ喜びを分かち合う。卓上には豪華な料理がこれでもかと並ぶ。
俺たちは苦戦を強いられたものの大蛇討伐を成し遂げ、それから一日が経ち今は夜。
大蛇討伐その足で村に帰還した俺たちは、疲れのためか宿を取ると食事や風呂などを考えることもなくベッドに直行し、そのまま泥のように眠った。多分半日は眠っていたに違いない。
それから起床し所用を済ませた俺たちは再び集まり、冒険者ギルド内にある酒場で勝利の祝杯を挙げている。
もちろんそんな豪勢が出来ているのはクエスト報酬が凄かったからに他ならない。
大蛇討伐後洞窟内で財宝の山から持ち帰れるだけ雑嚢に詰め、それを冒険者ギルドで討伐報告した際に換金してもらったのだが、それだけでちょっとした小金持ちになってしまったのだ。
本音を言えば洞窟内の財宝全てを持ち帰りたかったのだが、アイテムストレージが存在しないこの世界では自力で持ち運ばなくてはならない。一応持たずとも引きずることも出来るが、モンスターが跋扈する草原を隙だらけでうろつくほど愚かではない。
それに今の懐事情ならこの村にある一番高い宿を借り続けても当分は大丈夫。そんなことを我が妹が真っ先に考えるだろうと俺は読んでいたのだが、茜はそこまで不見識な人間ではなかった。宿屋は行きつけの格安宿屋でそれ以外にも無駄遣いはこれといってない。強いてあげるならこの宴に注文した料理くらいだが、英気を養う意味もあるので経費と考えてもいいだろう。
「それにしても一つのクエストをクリアすることがこんなに大変だとは思わなかったよ」
ジョッキを煽り、茜が皿から料理を取りながら何気なくこぼす。束の間の休息。茜がそんな弱音を吐くも無理からぬこと。
「おいおい、そのテンションになるのはまだ早いだろ」
あえて茶化すように言う俺だが、それは三人の共通認識である。
今回倒したのは最下部にいる中の中ボスクラス、もしくはそれより下級かもしれない。そんな奴にあれほど手こずったのだから、これからどれ程の死闘が待っているのかと思うと身震いしてしまう。
でも、それは数日前の自分だったらの話だ。
今は冒険の醍醐味を知り、大敵を討ち取る快感を味わってしまった。もちろん攻撃を受ければ死ぬほど痛いし、モンスターが怖くないわけでもない。戦うということは常に死が付き纏うことになる。
しかしこうなってしまえばもう立ち止まったり、尻込みする理由なんてこれっぽっちもなかった。この世界で安全ばかり気にして生きていくのはあまりに無意味だ。
俺はふとそんな考えが出来るようになった自分が意外だった。だが、存外悪くはない。あとは二人がどう思うか次第。
「何言ってんの、お兄ちゃん? 私はまだまだ序の口だよ。こっからどんどん強くなって、最速でこの世界のラスボスを討ち取ってやるんだから」
そんな大見得を切る茜に呆れながらも俺がグレンの方を見ると、「何を今さら」と視線で訴え掛けてくる。どうやら俺の杞憂だったようだ。
「そういえばお兄ちゃん、あの剣どうだった?」
すっかりその存在を忘れていた俺は思い出したように背の剣を鞘ごと剣帯から外し、二人に見やすい様に持ち上げる。相も変わらず腕が悲鳴を上げるほどにヘヴィーだ。
この祝勝会の前にギルド受付にクエストの討伐報告をしに行った二人とは別行動で、俺は洞窟内で入手した石の剣を武器屋に持ち込み鑑定してもらっていた。
ちなみにこの剣を手に入れて初めて知ったことだが、武器屋で購入した武器やアイテム以外は基本的にギルドや武器屋で鑑定してもらわないと詳細までは分からないのだ。
「剣の名前は七星剣。武器ランクはC」
「えっ、ランクC!?」「ほ、ほう……」
二人が驚くのも無理からぬこと。鑑定してもらった瞬間は俺も似たような反応をしてしまったのだから。
この村で購入できる最上級の剣である〈衛兵の剣〉のランクはFで、最下級の〈ブロンズソード〉も同じくFランク。これを最低ランクの武器と仮定して、最上級をSとするなら〈七星剣〉は七段階ある中の上から四番目。それだけだと大して驚くことでもないが、それが最下部の洞窟で手に入るとなると話は別だ。
「まあ数値的ステイタスはランクCって割には少し物足りないけど、すごいのはその追加効果だったんだよ」
〈七星剣〉
【武器ランク:C ステイタス:耐久90鋭利180硬度80重量110 属性:無 追加効果:この剣よりランクの低い武器、モンスターに対しては物理特攻C(武器の耐久に15%、斬・突攻撃のダメージ判定に25%の補正がかかる)が付与される】
〈衛兵の剣〉
【武器ランク:F ステイタス:耐久50鋭利60硬度40重量60 属性:無 追加効果:なし】
ちなみにこの村の武器屋で買える最上級の剣と比較すると分かる通り、武器ランクが二段階も離れている割にステイタスが飛び抜けている訳ではない。
つまりこの七星剣は追加効果によりランクC以下の武器やモンスターに対してはかなり強気に出れるものの、ランクが同等もしくはそれ以上となるとステイタス不足が否めないという歪な性能のようだ。
「つまりあの大蛇のランクはC以下だったってことか。道理で大蛇がいとも容易く両断出来たわけだ」
「何か微妙……」
納得するグレンと対照的に追加効果をイマイチ消化しきれていないのか不服そうな茜。
「まあ、しばらくは一線で活躍できる代物ってことだろうな」
「いいなぁ~、私も高ランクの武器が欲しいな~。あっ、そうだ。次のクエストは―――」
「待った。それはなし、絶対に」
「えっ、まだ何も言ってないんだけど」
確かに皆までは言っていないが、彼女の思考回路など容易に予想がつく。どうせまた高ランク武器目当てで高難易度クエストを受けたいと言うに違いない。今回のことで完全に味を占めてしまったようだ。
「レベル上げやより難易度の高いクエストに挑むのもいいが、冒険を楽しむからにはこんな村を拠点にするのはもう終わりにすべきだと俺は思う。というわけで、いきなりだが疲れが癒え次第準備を整えて、俺たちはその足で中央都市メラーバに向かう」
「め、メラーバ……。えっ、何それ?」
状況を呑み込めておらず『???』が頭上に踊る茜と、然程驚くこともなくジョッキを煽るグレン。二人の反応はやはり対照的だ。
「まあこれを見てくれ」
そう言いながら俺は雑嚢から雑に丸められた羊皮紙を取出し、卓上には置けないため二人に見えるように広げる。そこには大雑把な地図が描かれており、その中の一ヶ所が赤く点滅している。おそらくそこが現在地なのだろう。
実は二人に黙って鍛冶屋の帰りに前から目を付けていた骨董品屋に寄り道していたのだ。店内には武器や防具、装飾品の類が所狭しと並び、そこにあったのがこの地図というわけだ。当然ながら迷うことなく即決衝動買いをした。
もちろん右手中指の指輪でホログラムメニューウインドを開き、ヘルプからマップへアクセスすることは出来る。しかしそのマップは自分が赴いた場所のみマッピングされる仕組みのため、現状では拠点の村周辺以外の殆どが灰色の靄で覆われており地形すらも分からない未開の地なのだ。
紙媒体の地図は一枚で二万五千ゴールドとかなり値は張るが、冒険を円滑に進めようと思ったら持っていて損はない代物と言える。俺がそうだったようにその存在を知らない者も多いのだろうが。
この疑似異世界『High Fantsia』は最下部の広大な大陸と八十八の浮島から成る世界。その中で総面積が一番大きいのが【始まりの大地】と呼ばれる最下層の大陸。そこには各所に村や小規模な街が点在しているが、その中で最大の規模を誇るのが中央都市メラーバなのだ。
詳しいことまでは分からないが、目指すならより大きい街と相場は決まっている。何故なら人やお金、情報に至るまでがそこに集中するからだ。
「見たとこまあまあ距離がありそうだな。睡眠時間以外歩き続けても、まあ一週間は見積もった方がよさそうだ」
グレンは地図を見ながら大体の距離で時間を目算したのだろう。しかし、そこにケチを付ける者がいた。
「えぇー、それって村や町がない場合は野宿ってこと!?」
「そういえばお前外で寝れない質だっけか。でも一番の問題はそこじゃないんだよなぁ……」
「―――。あぁ、確かに深刻だな」
グレンはいち早く問題に気付いたようだったが、茜はそれどころではないようだ。
地図を見る限り中央都市メラーバまで最短距離で進むとなると道中に村や町がほとんどないのだ。つまりその間(目算でも二日から三日)は食料や回復薬の補充が出来ない。茜が気にしている宿もそうだが、それは冒険者にとって死活問題であり、容易く許容できるものではない。だから考えなくてはならないのだ。
「安全策を取るなら近郊の村や町を目指すべきだが、それだと蛇行しながら進むからかなり回り道になる。しかし安全は何物にも代えられないのも事実。だからこそこれは俺の裁量では決められない。そこで二人の考えを訊きたい」
俺は二人の顔を、目を交互に見つめる。
「お前らは、どっちを取る?」
俺が訊くまでもなく、二人の中で答えは既に決まっていたのだろう。茜に関しては問題を指摘した時点で。
俺たちが村を出てから三日が過ぎ、三つ目の街にたどり着いたその日。大陸中を一つの吉報が駆け巡った。
『【始まりの大地】に脅威をもたらしていた【Dark poison Kerberos】をサエモンが率いる冒険者十三名が討伐したことにより、大陸全土に平和が訪れた。それに伴い中央都市メラーバでは連日お祭り騒ぎで、気空挺が発着できるようになったことで第一の浮島【チャートラハサ】との交易が再開した』
これにより浮島への道が開かれたのだが、俺は少し焦りを感じていた。自分たちがその場にいられなかったことに。
もしかしたら大蛇を討伐していい気になっていたのかもしれない。だからこそ実は自分たちは出遅れていたのだと気づかされてからは先駆者たちと差が開いているようで、居ても立ってもいられなかった。
それからの俺はレベル上げの鬼となり、自分を犠牲にすることも厭わないギリギリの戦闘を繰り返すようになる。それを心配する茜やグレンには心苦しかったが、胸の内を打ち明けることも出来ず毎日のように深夜一人でレベル上げをするという日課だけは欠かさなかった。
それから二週間が過ぎ、第一の浮島【チャートラハサ】のボスである【Twin red eyed mole】という名の強靭な鍵爪を持つ双子土竜が討伐された。
そこには俺たち三人も参加していたのだが、それまでの無理が祟ったのか俺は戦闘中に軽い目眩に襲われた。その一瞬の油断で砂地に片足を取られてしまいバランスを崩し転倒、振り上げられた鋭利な鍵爪。直撃すれば即死間違いなしの場面で咄嗟にフォローに回った茜によって俺は九死に一生を得たのだが、その引き換えに茜は致命傷ギリギリのダメージを負ってしまった。ぐったりと横たわり動かなくなった茜を見た時、俺はもう何も考えられなくなってしまった。幸いにもグレンを含む数人が瞬時に救護に回ってくれたため茜は一命を取り留めた。
討伐後目尻に涙を溜めた茜に渾身の平手打ちをお見舞され、それからの説教は三十分にも及んだ。茜自身も俺を庇った際に脇腹から背中にかけて傷を負っていたのだが、痛みを堪えて俺に今まで抑えていた心の声をぶつけた。
俺はそこでようやく大切なことを忘れていたのだと気づかされる。
今の自分なら何でも一人で出来ると思っていたこと。目先の成果に踊らされ、自分の身を、命を軽んじるという最も愚かな行為を冒険の一環、醍醐味と自分の中で正当化していたこと。それをお互いの命を預かり合う仲間であるはずの二人にも言いだせなかったこと。
そして、一番守らなければならない存在を危険に曝してしまったこと。
それからはひたすら胸の内を吐露し、謝ることしか出来なかった。
その瞬間を境に俺の中で燃え滾っていた闘争心は鎮火され、レベル上げの鬼は鳴りを潜めたのだった。
その翌日の朝、気空挺が中央都市【レンスイソ】に到着し、第二の浮島【ヒースパクァ】への道が開いた。
ちなみにこの時の最前線である第二の浮島に上がって来た冒険者は被験者総数の2/3に及び、残った一割のうち四割がこの世界から脱落していた。
その事実はこの世界の非情さを冒険者たちに改めて認識させることとなる。