準備
アンナさん。はじめはターニャをあれほど警戒していたのに、彼女の服を買いに行ったりボクたちに食事を作ったりしている内に愛着が湧いてしまったらしい。
まあ、あの大きくて無垢な瞳は可愛らしいよね。
ターニャはおとなしくて、何気に礼儀正しいし。
ターニャが初めて片言で、「あんな、いつもありがと」と言った時なんて、アンナさんは涙を流して喜んだものだ。
その後、ターニャがアンナさんよりボクの名前を覚える方が早かったと悔しがっている姿もあったりした。
子を持った親かな?
ちなみに、ターニャの外出用の服装は、ゆったりとした布のローブに、大きな眼が目立たないように魔法使いが被るとんがり帽子を深く被る。
最初は酒場でもめちゃくちゃ警戒されていたけれど、ターニャがおとなしいのと、途中からアンナさんが少しずつターニャの良い情報を流していってくれたことで、少しだけターニャに対する視線はましになっている。
とはいえ、冒険者たちが束になっても勝てるかわからない魔物が人化していることもあり、手放しで歓迎するような雰囲気ではない。
そうそう、最近知ったんだけど。
人間に化けたり、魔法を使ったりする、知性・理性ある魔物のことを特別に魔族って呼ぶ言い方もあるらしい。
ボクも一応魔族に分類されるのかな?
ちょっとカッコいい響きだ、なんて心の中で鼻高々になっている。
最近王国の中では魔族との協調論を声高に騒ぐ一派なんかも出てきていて、魔物根絶派の聖女教? とぶつかっているみたいだ。
そういうボクも全然知らなかった世の中の情報は、元聖女教――という宗教があるらしい――のアンナさんや王国全土に販路を持つ大商会会長の孫娘であるエリーゼが教えてくれた。
みんな情報通ですごいよ。
そうこうしている内に、明日には辺境伯がやってくる日となった。
なんでも直接ターニャを見てみたいのだという。判断はそれからだとか。
「はやく寝なさいよ。明日は謁見なんだから」
手触りの良い、果物の香りが薄くついた毛布にくるまったアンナさんがボクらを手招きする。
ターニャはアンナさんに呼ばれたことが嬉しいのか、椅子から飛び跳ねてアンナさんの下へ跳ねていく。
ターニャは夜行性じゃないから、別に寝られるんだろうけど……ボクはまだ眠くない。
明日の謁見はギルドの中で行ってもらえるよう配慮してもらったけど、昼間なんだよね……。
憂鬱な気分で、部屋の隅に立てかけられている黒色のコートを眺める。
「はぁ……」
コートは火トカゲの皮をなめして作った逸品もので、今回のためにエリーゼに取り寄せてもらった。
遮光性が高く、耐久性も合格ラインだったので今後も使うと考えると悪い買い物ではない。
一番の売りは、耐熱性で、マグマを泳ぐともいわれる火トカゲはそんじょそこらの火なんかへっちゃらだ。
家財道具は火トカゲで守れ、なんて慣用句もあるくらいだ。
だけど、なによりもすごかったのは、
値段だ。
以前からボクが持っていたお金は、だいたい15000イン。銀貨15枚分だ。
そして、ターニャ――言葉の通じないBランクの魔物――を1か月保護・監視する任務の報酬として一日銀貨10枚もらってきた。
合算してなんと銀貨315枚、31万5000インの手持ちが懐にはあったわけだ。
これがどれくらいかとあらためて考えると。
宿屋に食事付きで泊まるのが50インだから、なんと6300日も泊まってられるんだ!
20年ぐらいは食っちゃ寝していられるって考えるととんでもない金額だ
普通ならその倍も稼いだら、冒険者引退で余生をはなばなしく過ごすコースだ。
そして、この火トカゲのコートの代金は――火トカゲ自体はDランクの魔物なのだが、火山付近にしかいないので希少性がある――加工代が銀貨30枚、輸送費が無理に運んでもらったので銀貨50枚、なにより酷いのが皮の素材代で金貨1枚つまりは銀貨100枚分だ!。
合計、銀貨180枚の品となっている。18万インだ!
これがエリーゼとの友だち価格だっていうんだから笑える。
友だち価格ってなんだと彼女の前で半泣きになってしまってしまった。
ホントに友だち価格なんてあるのか?
商人は笑顔で利益を出すから怖い。
この前みたいに出会い頭に魔法を叩き込まれる可能性もある。日光の下を出歩くならば耐久性を重視しなければならない事情はあったにせよ……あまりに高い買い物だ。
これでボクのお財布はだいたい13万イン、銀貨130枚分となってしまった。
一冒険者としては十分持ってると思うけど……ボクの目標はお屋敷を建てること。
もちろん信頼できる使用人と、広い庭付きじゃなきゃ嫌だ。
となると、まだまだ全然足りないんだよね……。
手持ちが半分以下になってしまった要因が、辺境伯の視察でこのコート代だと考えれば明日のイベントも憂鬱になろうというものだ。
やれやれ……。
「サラ、寝よ?」
アンナさんが来てから少しグレードアップした肌触りの良い毛布にくるまれながら、ターニャがボクを呼ぶ。
アンナさんはすでに寝に入っているようで反応はない。
ボクがとびきりの昼夜逆転生活を送っていることを彼女はわかっているからだ。
ボクに付き合っていると、肌が荒れるとかなんとか言っていた。
「散歩に行ってくる。ターニャは先に寝といて」
日中出歩くとなると、ボクの体への負担が非常に大きい。
質は問わないから……森で何か吸ってこよう。
アンナさんが来てから吸血は抑えてきたが、こんなガス欠状態じゃ何かあったとき困るもんね。
――ときおりターニャの魔力が溢れる体にかぶりつきたくなった。
そしてしょっちゅう、アンナさんの無防備な寝顔がボクを誘ってきた。
魔力があふれているターニャより、同じ形をした生き物――つまりは人間――の命の源を吸い上げる禁忌がボクを誘惑する。
普段はその誘惑に負けたりしないけれど。
ボクが傷つき弱ってしまったら、本能で牙が伸びてしまうかもしれない。
「身内贔屓上等だ……」
ぴかぴかの火トカゲのコートをまとい、ボクは夜の森へ駆け出していく。
長生きする生き物は、寂しがり屋なのだ。
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