口喧嘩とその後
火魔法。かつて嫌ほどみた、死の代名詞ともいえる凶悪な魔法だ。
水・土・火・風の四大魔法のうち、もっとも生物を死に至らしめるのに向いているのが火魔法だね。物理的な破壊力は質量のある水や土に劣るけれど、人は服に火が着いただけで焼け死んでしまう。
魔力や燃えづらい素材の防具で身を固めていなければ、火魔法使いの前に立つことさえ許されない。
それぐらい、魔法使い――中でも火魔法は対人戦では抜きんでている。
けれど、
「――ボクを巻き込まないように遠慮した魔力じゃ話にならないよ?」
即興で不意打ち気味に放たれた火魔法なぞなんのことはない。
槍がボクの横を抜けようとしたときに、魔力を込めた裏拳で弾き飛ばす。
火の槍はいたいけな新人美少女冒険者――ボクのことだよ――を巻き込まない配慮か、ほとんど魔力が込められていなかった。
これなら後ろの巨人にだってかすり傷もなかっただろう。
つまりは、威嚇か?
槍は大きく軌道を変え、近くの茂みに突き刺さり茂みを燃やし始めた。
月明りしかなかった村はずれに新たな光源が煙とともに生まれた。
「なっ……」
「もう一度だけ言うね。この魔物は、辺境伯の判断があるまで現状維持なんだよ?」
火魔法は、対人戦において抜群の性能を誇るけれど、対魔物戦においては他と変わりない。むしろ質量がない分他の魔法より劣るといってもいいかもしれない。
ボクを傷つけないよう加減した――森ウルフを焼き貫く程度の――魔法では単なる魔力の無駄遣いだった
「もしも意味が通じていないようならボクも相手になるよ」
全身に魔力を行きわたらせて戦闘準備を完了する。
アンナさんは今はCランクで、パーティーを組んでいたときはBランクの冒険者だったはず。
Bランクと言えば、巨人や吸血鬼もその辺りらしいから……アンナさんが本気で戦ったらボクと同格か?
巨人に、吸血鬼に、それを相手取れる人間が一同に会していると考えるとこの場って恐ろしいね。小さな町ぐらいならなくなっちゃいそうだ。
――幸いにして今は夜。たとえ熟練の冒険者といったって、夜目の利かない人間には厳しい環境だろう。
「――ごめんなさい。あなたの実力を疑ってたのサラちゃん」
謝罪なのか、喧嘩を売られているのか判断に困ってしまう。
「まあ……被害はなかったしいいや」
「でも、その魔物が危険なのは本当よ。サラちゃんだっていつでも見張れるわけじゃないでしょ? 私も手伝ってあげるわ」
ええー……。
余計なお世話なんだけど……。
「あなたが寝ている隙に本性を出して襲ってくるかもしれないのよ。悪いことは言わないから二人で見張りましょう」
まあ……親切で言ってくれてるんだもんね。
「――わかったよアンナさん。辺境伯の判断があるまで、よろしくね」
ボクが手を出すと、アンナさんはギュッと力強く握手を返す。
「よろしくね。まだ若いんだから無理しちゃだめよ?」
後ろの魔物に警戒の目を向けながら、アンナさんはボクにはにこやかに応じるのだった。
――――――――――――――
宿屋の一室に、少しかすれたハスキーボイスと、甲高い少女の声が響いている。
「この人はアンナさん」
「アンナ! 良い人! ごはんおいしい」
「これは、服」
「服! 着るもの!」
「ボクは、かわいい美少女サラ様」
「サラ! うぬぼれや!」
「なんと!?」
どこで『うぬぼれ』なんて難しい言葉を知ったんだと首を捻っていたら、横で汗をかいているアンナさんが目に映った。
おのれか!
「……君の名前は?」
「ターニャ! ターニャ!」
あれから一か月。
ターニャ―――巨人族の名称・タイタスからアンナが取って考えた――の学習能力は非常に高く、聞き取りはほぼ完ぺきになった。もちろんまだまだゆっくり話す必要はあるけれど。
そして、片言ながら日常生活で使いそうな言葉は話せるようにもなった。
1歳児ぐらいの言語能力だろうか?
知能が低いわけではなく、人の言葉に慣れていないだけなのでこれから堪能になっていくだろう。
それもこれもボクが魔族語で頑張って翻訳した成果でもあるけれど……アンナさんの功績によるものが大きい。
アンナさん。はじめはターニャをあれほど警戒していたのに、彼女の服を買いに行ったりボクたちに食事を作ったりしている内に愛着が湧いてしまったらしい。
まあ、あの大きくて無垢な瞳は可愛らしいよね。
ターニャはおとなしくて、何気に礼儀正しいし。
ターニャが初めて片言で、「あんな、いつもありがと」と言った時なんて、アンナさんは涙を流して喜んだものだ。
その後、ターニャがアンナさんよりボクの名前を覚える方が早かったと悔しがっている姿もあったりした。
子を持った親かな?
ちなみに、ターニャの外出用の服装は、ゆったりとした布のローブに、大きな眼が目立たないように魔法使いが被るとんがり帽子を深く被る。
最初は酒場でもめちゃくちゃ警戒されていたけれど、ターニャがおとなしいのと、途中からアンナさんが少しずつターニャの良い情報を流していってくれたことで、少しだけターニャに対する視線はましになっている。
とはいえ、冒険者たちが束になっても勝てるかわからない魔物が人化していることもあり、手放しで歓迎するような雰囲気ではない。




